■平日でも行列が絶えない人気店
老祥記は、神戸の中華街、南京町の一角に店を構える豚まん専門店である。できたての豚まんを求める人々で、連日行列が絶えない。
行列は平均すれば50名ほどで、待ち時間は30分ほど。休日には100名を超える行列となることもある。店内では常時20人ほどの店員が、生地をこね、具を皮に包み、蒸し上がった豚まんをテイクアウトで販売している。
1915年の創業以来100年以上にわたって、老祥記はこの同じ場所で同じ豚まんをつくり続けてきた。現在はビルの老朽化で店舗のリニューアル工事を行っており、南京町の広場を挟んで向かい側にある姉妹店の曹家包子館で販売を続けている。リニューアル後の老祥記には、新しくイートインスペースなども設けられる予定である。
30坪(コンビニエンスストアの標準店の3分の1)ほどの小さな店舗で、1日に1万~2万個ほどの豚まんをつくる。その一部は近隣の百貨店などに卸すが、大半は南京街の2店舗(現在は1店舗)で販売し、毎日完売する。本店で販売するのは基本の醤油味一種類だけ。保存しやすいレトルトパックや冷凍品は販売していない。
老祥記は神戸の観光名所のひとつともいえる有名店だが、ビジネスモデルという観点から見ても興味深い。老祥記のビジネスモデルは収益性が高いだけではなく、地域創生にもつながるユニークな展開を見せている。
本年7月に老祥記代表取締役に就任予定の4代目、曹祐仁さんにお話をうかがった。
■大型化・多店舗化に背を向けて
小売店やレストランが成長を果たすためのビジネスモデルの基本は、店舗の大型化、そして多店舗化である。行列の絶えない人気店であれば、豚まん以外のメニューも出すレストランなどを併設して店を大型化し、さらに店舗数を増やしていけば、売り上げの拡大は見込める。
ところが老祥記は、大型化にも多店舗化にも背を向け続けてきた。南京町のほかには自店舗をもたず、その2つの店舗もそれぞれ30坪ほどの小さな店である。
では老祥記は、未来に向けてどのような歩みを進めようとしているのか。そこにどのような可能性があるというのか。
■日本で初めて豚まんを売り出した店
老祥記のビジネスモデルは、ある意味で潔い。毎日、1つの味の豚まんを従業員総出でつくり、販売する。他に扱う商品がないわけではないが、その売り上げの大部分は、100年以上つくり続けてきた豚まんから生まれる。30坪の店舗でこの豚まんをつくり、販売し続けることで、創業家の生計と、パートを含め30人近くの雇用を支えている。
老祥記の豚まんのおいしさの鍵は、皮に使う麹だという。
豚まんの皮の生地は、小麦粉(強力粉)と水に麹を合わせ、発酵の進行を調整しながらつくられる。老祥記の歴史は、その麹の歴史でもある。
老祥記の創業年である1915年の日本は、第1次世界大戦が続くなかでの大戦景気にわいていた。この年、初代曹松琪が日本人の妻の千代とともに神戸の港に降り立ち、南京町に新しい店を開く。それは中国料理の包子(パオツ)の専門店だった。日本人たちに親しみを持ってもらえるよう、松琪と千代は包子を「豚饅頭(まんじゅう)」と呼ぶことにした。こうして、日本初の豚まん店「老祥記」が生まれた。
■戦禍や震災を越えて守られてきた麹
曹松琪は中国浙江省の出身である。彼は横浜や上海などで働いてきた料理人だった。神戸での開店にあたり、松琪は包子の皮をつくるための麹を中国から持ってきた。麹による発酵は、風土や環境による変化が大きく、品質を安定させることが難しい。しかし麹でつくる生地には日本酒のような風味があり、独特の食感がある。
夫婦は、発酵の管理の方法を試行錯誤しながら確立し、納得のできる豚まんの味を神戸で実現していく。
この麹の種は、千代、2代目の穂昇、3代目の英生を通じて、今に伝えられ育まれている。100年を超えるその歴史において、老祥記は太平洋戦争の空襲や、阪神淡路大震災などの災禍にも襲われた。そうした中でもこの麹は守られ、今も生き続けている。そこから生まれる味に、老祥記はこだわり続けている。
■人気店なのに店を拡大しない理由
老祥記は人気店である。これだけの行列ができるのなら、南京町の内外にもっと大きな店を構えたらよいのではないか。そして豚まんにとどまらず、さまざまな中華料理を店内で味わったり、テイクアウトしたりできるようにすれば、もっと売り上げが伸びるのではないか。
だが、それは無理なのだという。たしかに初代の松琪は腕のよい料理人だった。しかし、その後を継いだ妻の千代、2代目の穂昇以降の曹家の人たちはそもそも料理人ではない。豚まんのつくり方は仕込まれているが、それ以外の料理をおいしくつくる腕があるわけではない。

外から有名シェフを招いて、老祥記を大きなレストランとする展開はあり得る。しかしその先の老祥記の未来は、この有名シェフに任せることになる。曹家の人たちはこのシェフの腕を信じるしかなく、その料理をコントロールする知見は持ち合わせていない。
では、豚まんの専門店を南京町の外に展開していくというアプローチはどうか。蒸し終わった豚まんを南京町から配送して販売できるのは、近距離の店舗に限られる。このアプローチについてはすでに対応ずみであり、老祥記は店で蒸し上げた豚まんを神戸市内の百貨店などに卸している。
■南京町だからこそ創業以来の味を守れる
その先のより広いエリアでの展開の壁となるのが、老祥記の豚まんの味を支える麹の発酵のデリケートさである。麹の発酵は、風土や環境による変化が大きく、品質を安定させるのが難しい。
南京町の店については、松琪と千代から受け継いできた管理のノウハウの蓄積がある。だが気候などの条件が異なる場所に店を広げれば、老祥記の味を守るためにはこの発酵の問題への取り組みを1からやり直さなければならない。かといって、日持ちのしない豚まんを神戸の南京町から広域に運び、短時間で売り切るのも無理がある。
老祥記は、こうした課題を前に、慌てること焦ることもなく前進を続けている。
ひとつの理由は、現時点で老祥記は、すでに小さな高収益企業だからである。老祥記の豚まんは、つくった先から売れていき、毎日完売する。
老祥記の豚まんの原材料は極めてシンプルで、小麦粉、水、牛肉、豚肉、ネギ、醤油である。受け継いできた麹を除けば、特殊な高級食材などを使うわけではない。日持ちがしないのは牛肉、豚肉、ネギで、そのうち牛肉と豚肉は、南京町からほど近い神戸の老舗の精肉店に電話をすれば、10分もすれば持ってきてくれる。在庫を積んでおく必要はなく、南京町で商売をしているかぎり、老祥記が廃棄ロスの問題に悩まされることはない。
■「儲かる仕組み」を従業員に還元
こうして老祥記では、原価率の低い商売が実現されている。この粗利率の高さは従業員にも還元されており、正社員の給与の平均は、日本の上場企業の平均を上回る。楽な仕事ではないが、正社員の離職率は低く、定年までつとめあげる人が多い。
この高い収益性を、南京町の外でも再現するのは難しいかもしれない。毎日大量の豚まんをつくり、売り切っていくには、来客が絶えない店となる必要があるわけだが、よほど好条件の場所に出店しなければ、その実現は難しい。そのような好条件の物件は、賃料も高い。

老祥記が小さくとも高収益である理由の一つとして、立地のよさは無視できない。南京町は神戸の繁華街にあり、多くの人が行き交う。東側の通りの向かいには百貨店が店を構え、北側には神戸の老舗などが店を構える元町商店街が広がる。おかげで老祥記の周りには、地元の買い物客や、遠方からの観光客が回遊している。
老祥記の前に並んでいる人たちは、豚まんを買い求めるためだけに出掛けてきたわけではない。神戸の三宮・元町界隈に出て、食事をしたり、買い物をしたり、映画を見たり、街角のイベントを楽しんだりするなかで老祥記に立ち寄り、豚まんを買って小腹を満たしたり、お土産に持ち帰ったりしようとしている人たちである。
■区画整理で街の集客力が上がった
100年を超える歴史をもつ老祥記だが、店の前に行列が絶えなくなったのは、その折り返し点を経た1980年代以降なのだという。1970年代の後半以降、南京町の周辺は神戸市の土地区画整理事業の対象となる。10年ほどの年月を経て、道路が広がり、南楼門や長安門が建てられ、あづまやのある広場が整備された。そして、南京町商店街振興組合が創設され、毎年2月には春節祭が開催され、多くの人を集めるようになった。
それ以前の南京町は、道も狭い裏通りで、若い女性には敬遠されるような場所だった。老祥記の豚まんを買い求める人たちはいたが、今のように大勢の従業員を雇うほどではなく、家族で店を回していた。
今の南京町の環境があるからこそ、老祥記には行列が生まれる。今の老祥記は店内で豚まんをつくる様子を、行列に並んで待つあいだも店の外から見えるようにしている。店の周囲には異国情緒を感じられる街の空間が広がり、それもまた行列客の目を楽しませる。
■街を育てれば商売も繁盛する
漁師が海を豊かにするために、しばしば植樹活動に取り組むことは知られている。森の栄養分は川から海へと流れ、魚介類の餌となるプランクトンの増加をうながす。そのため、漁師たちが山に木を植えることによって漁獲高が増えるのである。
老祥記のビジネスモデルにも、これと似たところがある。街を大勢の人が訪れ、滞在することが、老祥記の繁盛の背景にはある。南京街のエコシステム(生態系)に老祥記は向き合ってきた。阪神淡路大震災やコロナ禍など、数々の困難な時期もあったが、それらを乗り越えて今も行列は続く。
3代目の英生以降の老祥記は、この街のエコシステムを理解し、商店街振興組合などの活動にも熱心に取り組むようになっていく。3代目の英生、そして4代目の祐仁はイベントや街づくりの実行部隊の中核としての役割を担い、引き継ごうとしている。
■イベントや企画で街ぐるみの集客
南京町では、旧暦の正月を祝う春節祭に加え、中秋の名月を楽しむ中秋節なども開催されるようになった。竜龍舞や獅子舞、中国音楽や中国舞踊が披露され、多くの来場者が集まる。神戸市内の有名豚まん店が発起人となってはじまった「KOBE豚まんサミット」にも、老祥記は第1回から参加している。地域の人気店が互いに手を組むことで話題を呼び、街に足を運ぶ人がさらに増えるという好循環が実現している。
老祥記が老祥記であるのは、100年を超えて家族が守り受け継いできた、麹という小さな命のおかげである。そして老祥記もまた、神戸の南京町という街に支えられ、同時に集客力のある人気店の一つとして街のにぎわいを支えてもいる。
小さな高収益企業と地域が織りなす、貴重なエコシステム――。老祥記に毎日できる行列は、それが息づいていることの証である。

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栗木 契(くりき・けい)

神戸大学大学院経営学研究科教授

1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。

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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契)
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