AI時代における日本の大学の課題は何か。『学歴社会から実力社会へ AI時代の教育・雇用・評価を問い直す』(朝日新書)を出した一橋大学名誉教授の野口悠紀雄さんは「イギリスの調査によると、製造業時代において大国だった日本が、 AI分野の教育では立ち後れていることがわかる」という――。

■「AI分野が優れた大学」世界1位はMIT
イギリスの高等教育評価機関であるクアクアレリ・シモンズ社(以下QS)が2025年6月に公表した大学の世界ランキングには、「データサイエンスと AI」という分野のランキングが掲載されている(※1)。
これによると、世界第1位は、アメリカのMITだ。以下、第2位カーネギー・メロン大学、第3位オックスフォード大学、第4位カリフォルニア大学バークレー校、第5位南洋理工大学(シンガポール)、第6位ハーバード大学、第7位シンガポール国立大学、第8位スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH)、第9位エール大学、第10位トロント大学となっている。
第50位までには、アメリカの大学が16校、イギリスの大学が5校ある。上位100位までを見ると、アメリカが23校、イギリスが12校だ。これらを合計すると35校となり、全体の3分の1以上を占める。
このように国別で見ると、アメリカとイギリスの比重が極めて高い。それに対して、製造業中心時代の大国であった日本の大学の比率が極めて低い。
上位50校にはゼロ、上位100校中に辛(かろ)うじて京都大学が入るだけだ。
これは、製造業中心の産業構造から新しい時代の産業構造に転換しつつあるなかで、大学など高等教育機関の AI教育・研究の充実度の差を如実に示すものだ。このままでは将来の日本の AI力や経済力は大きく立ち後れると懸念される。
*1 QS World University Rankings by Subject 2025: Data Science and Artificial Intelligence.
■アジアでは香港やシンガポールの大学が健闘
QSの調査で注目されるのは、アメリカやイギリスのほかに、ランキング内で香港やシンガポールの大学の比重が高いことだ。
上位50校中でシンガポールが2校、香港が5校となっている。これは人口における比率と比べると、著しく高い比率だ。
また、カナダ(上位50校中に5校)、オーストラリア(上位50校中に3校、上位100校中に7校)の比率もかなり高い。
こうした姿は、製造業を中心にしていた時代の産業構造のイメージとはかなり違う。製造業時代における大国だった日本が、 AI分野の教育・研究で立ち後れていることがわかる。
教育や研究で AI分野を牽引している国・地域として、次の3つのグループがある。
第1はアメリカとイギリスだ。イギリスは産業革命を実現した国であり、アメリカはそれを引き継いで、製造業の時代に世界を牽引した大国だ。だがこれらの国は、いまや製造業中心の産業構造からITや金融に象徴される新しい時代の産業構造に転換している。 QSの調査でもそのことがわかる。
■AI分野が遅れている日本の大学教育
第2は中国だ。 中国は製造業の産業革命を1980年代に実現し、「世界の工場」となったが、その後さらに教育・研究制度を充実し、 AIを中心とする産業構造への転換を行なおうとしていると評価することができる。

第3は香港とシンガポール、そしてオーストラリアとカナダだ。これらの国・地域は、製造業の時代でも経済成長したが、さらに新しい形態の経済に向かって進化しつつあることがわかる。
アメリカやイギリス、シンガポールなどの国・地域が AIの時代に向けて大学の教育・研究活動を充実させているのに対して、日本はこの分野での教育・研究体制の充実が遅れている。製造業中心の経済構造や価値観から脱却できていないのだ。
現在のままの大学教育・研究が続くとすれば、日本は来るべき AIの時代に大きく後れを取ることになるだろう。したがって、大学における AIの教育・研究の充実は、緊急の課題だ。
■AI発展の障害となるトランプの関税政策
なおこれに関して、現在、アメリカのトランプ政権が進めている関税政策は時代の流れに逆行していることを指摘したい。「MAGA(Make America Great AgAIn、アメリカを再び偉大に)」を掲げるトランプ大統領は、関税をかけることによって、輸入品の流入を阻止する一方で、海外に展開した生産拠点を回帰させることで自動車産業や鉄鋼産業などのアメリカの製造業を再生しようとしている。
しかし、アメリカの将来を決めるのは、このような産業ではなく、 AIだと言ってよい。その分野の発展のために、トランプ政策はかえって障害になるだろう。
アメリカはすでに AIを中心として、新しい方向での経済成長を実現しつつある。かつての製造業の中心地であるラストベルトも、それによって復活している。

実際、 QSランキングで世界第2位のカーネギー・メロン大学の本部は、ラストベルトの中心地ピッツバーグにある。
■博士号取得者数の低さが際立つ日本
文部科学省の有識者会議(2025年9月30日)において「博士課程入学者が過去20年で14%減少し、とくに人文社会科学系では約4割減」という衝撃的なデータが示された(※2)。
日本では少子化による大学進学者数の減少が続いているが、博士課程における減少幅はこれを大きく上回り、若手研究者の供給基盤が揺らいでいる。
日本の博士号取得者数の低さは、国際比較を見ても際立つ。文部科学省の科学技術・学術政策研究所(NISTEP)による科学技術指標2025、学位取得者の国際比較によると、人口100万人当たりの博士号取得者数は、日本は2022年度で123人だ。
ところが、韓国(23年度)、イギリス(22年度)では約350人だ。アメリカ(20年度)は約280人だ。
また、2010年度と最新年を比較すると、多くの国で増加しているが、日本とフランス、ドイツでは減少している。
日本における博士号取得者の供給がこのように少ないことは、大学・研究機関のみならず、企業の研究開発や行政の専門職にも直接的な影響を与える。そして、日本が科学技術立国としての基盤を失うことを意味する。
*2 朝日新聞「博士課程入学者、20年で14%減 就職への不安影響か」2025年10月4日
■進学意欲に冷水を浴びせる“生活の不安”
博士課程入学者が減少している最大の理由は、「博士号を取得しても職がない」という深刻な問題だ。
SNS等では、「博士課程人生終了」「博士卒は就職氷河期」「博士課程へ来てはいけない! すぐ戻れ!」といった表現が飛び交っており、若者の博士課程進学意欲に冷水を浴びせている。

博士課程での苦労は、研究面のものというよりは、金銭面での苦労であり、進路が決まらない不安という生活上の問題なのだ。
欧米では、博士課程修了者には、企業の研究職やコンサルティング、行政分野など多様な就職先がある。それに対して日本では、依然として大学・公的研究機関への就職に偏っている。
しかも、ポストが不足しているため、構造的ミスマッチが解消されないまま残ってしまう。基礎研究・先端研究を担う博士人材への需要が構造的に少なく、待遇も改善しないため、若い世代が博士課程を避けることが合理的な選択になってしまっている。
この背景には、1990年代以降の大学教員ポストの削減、国立大学運営費交付金の減少、企業の研究投資の頭打ちなどが重なっている。

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野口 悠紀雄(のぐち・ゆきお)

一橋大学名誉教授

1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省入省、72年エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院教授などを経て一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書に『「超」整理法』『「超」文章法』(ともに中公新書)、『財政危機の構造』(東洋経済新報社)、『バブルの経済学』(日本経済新聞社)。近著に『日本が先進国から脱落する日』(プレジデント社、岡倉天心賞)、『「超」メモ革命 個人用クラウドで、仕事と生活を一変させる』(中公新書ラクレ)、『プア・ジャパン 気がつけば「貧困大国」』(朝日新書)、『戦後日本経済史』(東洋経済新報社)、『日銀の限界 円安、物価、賃金はどうなる?』『アメリカが壊れる!』(ともに幻冬舎新書)ほか多数。


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(一橋大学名誉教授 野口 悠紀雄)
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