■NHK大河が描いた「本能寺の変」
大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)において小栗旬さんが熱演した織田信長。ドラマで描かれたとおり、天正10年(1582)6月2日、天下統一を目前にしていた信長は重臣・明智光秀によって討たれます。本能寺の変です。
信長とその後継者・信忠の死によって天下は大いに揺らぐことになりますが、光秀は結局、信長の遺体(首)を見つけ出すことはできませんでした。不意打ちのクーデターに成功した光秀の軍勢がなぜ信長の遺体を発見できなかったのでしょうか。諸史料を基に考察していきましょう。
まず、信長の一代記として著名な『信長公記』(著者は信長の家臣・太田牛一)には信長の死はどのように描かれているのでしょうか。同書は誤解や誤りもありますが、史料としての信憑性(しんぴょうせい)は高いとして歴史家からも重宝されています。
■『信長公記』が伝えた信長の最期
鬨(とき)の声を挙げて「御殿」へ鉄砲を撃ちかけてくる明智軍。それに対し、信長は最初、弓で応戦していましたが、弓の弦が切れてしまいます。その後、槍で戦っていた信長ですが、肘に槍傷を負います。
これを同書は「御姿を御見せ有間敷(あるまじき)と思食され候歟」(お姿を見せまいと思われたのであろうか)と想像しています。「御殿」には既に火が掛けられており、それが迫っておりました。殿中奥深く入った信長は内より「御南戸」(御納戸)の戸口に鍵をかけて「御腹めされ」た――つまり切腹したというのが『信長公記』が記す信長の最期です。同書にはその直後に織田信忠に対し、家臣の村井春長軒父子らが「本能寺は早くも落ち、御殿も焼け落ちています」と走り伝える場面があります。本能寺が灰燼(かいじん)に帰したことが記されているのです。
■「女たち」を寺から避難させたか
さて豊臣秀吉に近侍した大村由己が著した秀吉の伝記『天正記』の「惟任謀反記」には信長は明智軍の襲来に際し、広縁に出て、弓にて敵兵5、6人を射倒したとあります。その後、十文字の槍でもって数人の敵を倒したとのこと。しかし、数カ所の傷を負い、引き退きます。
『信長公記』では信長は女性を逃していましたが『天正記』では女性らをことごとく刺し殺したと記述されています。その後、信長は自ら御殿に火を掛けて「御腹を召されおはんぬ」――切腹したというのが『天正記』が記す信長の最期でした。信長が自ら御殿に火を掛け、切腹したと書かれているのです。
■信長は討ち死と書いた史料もある
江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵の著作『信長記』(『信長公記』より史料的価値は低いとされる)には『信長公記』と同様、本能寺には「女房達(侍女のこと)、下女」が付き添っていたとあります。そうした女性たちに対し、信長は「女は苦しかるまじいぞ、急ぎ出でよ」(女たちは構わぬ。急ぎ逃げよ)と脱出を促したのでした。
『信長記』によると、信長はその言葉を「三度」も発したとのこと。『信長公記』には三度までとは書かれておらず『信長記』の方が信長の女性たちを逃がしたいとの想いが強調されています。
『多聞院日記』(戦国~江戸初期の興福寺多聞院院主の日記)にも信長の死について記されていますが、それは信長が京都において「生害」(自害)したと極めて簡潔です(天正10年6月2日条)。
『蓮成院記録』(興福寺蓮成院の僧侶らが残した記録)は『多聞院日記』よりは詳しく信長の死を記録しています。信長は京都本能寺において「御生害」した。その時、信長側には近習の者14、15人しかいなかった。同書はそれをもってして、信長は日頃、用心していたが、運が尽きたためであろうか、この時は「御油断」していた。信長が「御腹」を切ると「御殿」に火が掛けられたと言います(天正10年6月2日条)。
さて、公卿・山科言経の日記『言経卿記』(6月2日)には、信長は討死したと書かれています。これまで見てきた諸書は自害と書かれていましたが、同書は討死と書かれているのでした。
■フロイスが考えた「光秀の動機」
日本の史料のみならず、外国人の著した書物にも信長の最期が記述されています。その1つが、ポルトガル人の宣教師ルイス・フロイスが著した『日本史』です。来日したフロイスは信長や秀吉と会見しています。ちなみにフロイスは光秀謀反の理由を「過度の利欲と野心が募りに募り」「天下の主になることを彼に望ませるまでになったのかもしれない」と光秀の野心に求めています(いわゆる野望説を採っています)。
同書によると、事情を知らされていない明智軍の兵士たちは、信長の命令で徳川家康を殺しに行くものと当初、考えたとあります。しかし、到着したのは信長が宿泊する本能寺という「一大寺院」でした。本能寺を「三千の兵」でもって包囲した光秀。「御殿」の前で騒ぎが起こり、まもなく銃声が響きます。本能寺から上がる火はフロイスらのいる南蛮寺(教会)からも望まれたようです。
手や顔、身体を洗っていた信長に明智軍の兵士は矢を放ちます。
■信長は自害か、それとも焼死か
一方で「他の者」の話としてフロイスは「彼(信長)はただちに御殿に放火し、生きながら焼死した」との説も載せています。この場合は切腹ではなく「焼死」説ですが「火事が大きかったので、どのようにして彼が死んだかは判っていない」と付記されています。要は信長が切腹したのか、焼死したのか、どのようにして死んだのか、誰も分からないというのです。
これまで『信長公記』『天正記』『多聞院日記』『フロイス日本史』などの記述を紹介してきましたが、それら著者の中で信長の死に様を見た者は誰もいないのです。いずれも誰かが話した情報を書き記したに過ぎないのです。よって信長が切腹したのか、焼死したのかは今後も確定できない可能性が高いでしょう。
フロイスは「我らが知っていることは、その声だけでなく、その名だけで万人を戦慄せしめていた人間が、毛髪といわず骨といわず灰燼に帰さざるものは一つもなくなり、彼のものとしては地上になんら残存しなかったことである」と述べていますが、光秀軍が信長の遺体を発見することができなかったのは、本能寺が炎上し、信長の身体がこの世に残らなかったことが大きな要因でしょう。信長以外にも焼け死んだ人々が多くいる中で、焼死体から信長を判別することは困難だったとも思われます。
■森乱丸が遺骸を確実に燃やした?
江戸中期に成立したとされる逸話集『祖父物語』(尾張国清須朝日村の柿屋喜左衛門が祖父の見聞談を書き留めた聞書)はこう伝えます。
「信長公の御死骸の上ヘ畳五六帖、森乱丸きせ申由し申伝なり」
本能寺で信長に付き従っていた小姓の森乱丸(蘭丸)が切腹した信長の遺体に畳を5、6枚かぶせ、確実に燃え尽きるようにしたというのです。
同書には「(本能寺の)門外小川のはたの石の上に首十三あり。森乱丸兄弟三人、狩野又九郎、御馬屋ノ庄助、高橋虎松、小沢六左衛門、これは御鷹師頭にて鷹ノ尾羽つきて名人の沙汰あり」と続け、森乱丸が主君の首を明智方に奪われないようにしながら、みずからは弟2人と共に討ち死にして首を取られたと記します。
■信長を見つけられず、焦った光秀
『祖父物語』にも、光秀は信長が本能寺から脱出したのではと危惧したとありますが、信長の遺体が発見できなかったことは、光秀を焦らせたでしょう。信長が生存している可能性がゼロではないからです。信長が生き延びていたなら、それこそ光秀は一巻の終わりです。
実際には信長は本能寺で死んでいるのですが、「信長は死なず」という情報を上手く流したのが、羽柴秀吉でした。秀吉は本能寺の変をいち早く知ると、対峙(たいじ)していた毛利氏と和睦し、備中国から姫路方面に向けて撤退を始めます。その途上、秀吉は摂津国の武将・中川清秀に返書(6月5日付)を書いているのですが、それは「京都より来た者がはっきりと、上様(信長)と殿様(信忠)は無事であり、脱出して膳所(近江国)に退かれたと言った。福富平左衛門の比類なき働きにより、無事に退くことができたとのこと。まずもってめでたい」との内容でした。
■秀吉は信長が生きていると吹聴
秀吉は信長の死を知っていて、あえて偽情報を書き送ったのです。光秀を討つには多くの武将を自らに加勢させる必要があります。
光秀は信長の遺体を見つけることはできませんでしたが、そのことは光秀の運命にどのような影響を与えたのでしょうか。筆者は仮に光秀が信長の遺体を見つけ出していたとしても、大勢に影響はなかったと考えています。
■信長の首があれば光秀は勝ったか
例えば光秀の縁戚でもある細川藤孝・忠興父子(光秀の娘・ガラシャが忠興に嫁いでいた)は、本能寺の変後に光秀から加勢するよう懇願されますが、彼らは要請を蹴ります。それは主君である信長を光秀が討ったことを不義であるとして歓迎しなかったこともありますし、今後の情勢を読んで光秀に味方することの不利を悟ったこともあるでしょう(藤孝は信長の死を悼み出家しています)。
信長の遺体を光秀が発見していたとしても、細川父子の態度に変化があったとは思われません。光秀の不義が歴然としたとして、いっそう拒絶された可能性が高いでしょう。光秀は主君・信長を突発的に討った時点でその運命は極まっていたと言えます。
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濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう)
歴史研究者
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師・大阪観光大学観光学研究所客員研究員を経て、現在は武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。歴史研究機構代表取締役。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。
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(歴史研究者 濱田 浩一郎)

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