■京名産の湯葉に可能性を見出した男
京都の老舗料亭で、醤油をひとたらしして味わう繊細な一枚――「湯葉」と聞けば、多くの人はそんな景色を思い浮かべるだろう。食文化の変化で地元でも日常的に食べる機会は減り、京都で生まれ育った筆者も「観光客しか食べへんもん」という印象だった。しかし、現在京都には観光客向けの飲食店が乱立し、もはや観光客にすら選ばれにくいものとなっている。
そんな湯葉を“巻いて”、東京・表参道のど真ん中でファストフードとして提供している店がある。
手がけたのは渡邊尋思(じんし)さん30歳。大阪大学を卒業し大学院まで進み、江崎グリコで新規事業責任者を任されていた男だ。彼は後継者不足にあえぐ湯葉という斜陽産業に、キャリアを手放し、周囲の猛反対を押し切って飛び込んだ。いったいなぜ。
まずは、そんな彼が生み出した“yuppa”を、実際に食べてみることにした。ビルが立ち並ぶ表参道駅から徒歩1分。15席のコンパクトな店内だが、大きな窓から光が差し込み、窮屈感はない。
定番フレーバーは6種類、そこに期間限定品も加わる。ハンバーガーのように包み紙で巻かれ、棒状で片手でも食べやすい。
まずは一番人気だという「オリジナルまぜそば」(1000円・税込み)から。包み紙をくるりとめくると、中からあらわれたのは真っ白な生湯葉。
■なぜキャリアを捨てて湯葉業界に
中身は茶そばのまぜそば、山芋の梅和え、車麩の角煮風など。しっかりとした和風の味付けだが、食べる箇所によって異なる食材が組み合わさり、都度味が変わるので最後まで飽きずに食べられた。最後に残るのは、折りたたむだけの薄い包み紙1枚。コンビニ弁当のようにかさばる容器が出ないのはテイクアウトにもいい。
ひとつでもかなりの満足感だったが、せっかくなので欲張ってもう一品。
さらに驚いたのが、栄養面だ。どのフレーバーも1個でタンパク質20~30gが摂れるよう計算されているうえ、「オリジナルまぜそば」のカロリーは327kcal。高タンパクな湯葉で包むことで、ヘルシーなファストフードが成立した。
この発想は、いったいどこから? そもそもなぜ湯葉業界に? 尽きない疑問の答えを探るには、彼の少年時代までさかのぼる必要があった。
■600年続く寺の息子
渡邊さんは1995年12月、600年続く京都・綾部の寺に生まれた。父は住職を務めながら、寺の隣で1日1組限定の創作精進料理店を営んでいたそうだ。
幼少期は重いアレルギーに悩まされていた。「卵も米も食べられなくて、離乳食は父の店の野菜の端材でした」というほどで、体を拭くタオルさえ一度煮沸しないと使えなかったそう。
「別に好きじゃなかった」と渡邊さんは笑う。父の店には、麺でイガグリの形をつくり、中にいちじくを忍ばせるといった、遊び心たっぷりの創作精進料理が並んでいたからだ。それに比べれば、生湯葉はただそこにある地味な脇役。当時いちばん好きだった食べ物は、冬瓜の煮付けだったという。渋い。
父の遊び心あふれる料理の陰で、たまたま隣にあり続けた地味な食材を、のちに人生の主役に据えることになるとは、渡邊少年はまだ知る由もない。
加えて、大きな扁桃腺にも悩まされていた。熱を出すたびに40度超えの、自他共に認める病弱っぷり。高校1年の文化祭では本番直前に42度の熱を出して1週間休み、打ち上げの焼肉だけは意地で参加したそう。青春の一大イベントを棒に振ってでも焼肉だけは死守する、この食への執着はのちの伏線だったのかもしれない。
大学院生のとき、これでは社会人になれないと危機感を覚え手術を決意。
■阪大院→大手企業という“安定ルート“
そしてもう一つ、渡邊さんに影響を与えた出来事がある。5歳からサッカーを始め、中学でキャプテンを務めていたが、両足の疲労骨折でドクターストップがかかり続けられなくなった。「毎日泣いてました」と当時を振り返る。
ちょうど同じ頃、両親の離婚が重なる。母親を支えなければという思いが強くなった渡邊さんは、そこからすべてのリソースを勉強に注ぎ込んだ。その結果が、大阪大学理学部化学科への首席合格だった。
大阪大学大学院理学研究科まで進んだ渡邊さんは、江崎グリコに基礎研究者として入社。コロナ禍の2020年、新入社員研修はすべてZoom越しだった。フラストレーションが募った渡邊さんは、入社からわずか3週間後の4月21日、人事に「コロナ禍の新入社員だからこそできる企画をやらせてほしい」と直談判のメールを送る。それは11月11日、同社の看板商品にちなんで実施された大型企画となった。
コロナ禍で強制的に“型破り”を叩き込まれた新人が、ここから型という型を破り始める。事業創りの楽しさに目覚めた渡邊さんは、以降も経済産業省・JETROの「始動 Next Innovator 2021」選出やGLOBIS経営大学院への進学など社外活動を重ねた。入社からわずか1年3カ月でマーケティング部門に引き抜かれ、新規事業責任者を任されるまでになった。
■父の創作精進料理がヒントに
そんな渡邊さんに影響を与えたのは、その間に出会った起業家たちだった。自分の意志だけを頼りに、たったひとりで事業を創る人々の生き方に強く惹かれていったという。
2021年から3年間、会社や経営の勉強と並行して、実に5つの事業を個人で考案し、調査からコンセプトづくりまでを重ねた。そのうちのひとつが、のちの「yuppa」につながっていく。原点にあったのは、常々感じていた違和感だった。
「“健康”ってどうしても真面目すぎるんですよね」
効能や機能ばかりが先に立って、食べる楽しさが失われがちだと感じていた渡邊さんが思い出したのが、父の創作精進料理だ。
精進料理はもともと、限られた食材を工夫し尽くす、和食の“もったいない”精神をルーツに持つ料理だ。ただ現代では「よくわからない」「お寺に行かないと食べられない」というイメージが先行し、すっかり遠い存在になっている。父はそんな精進料理に独自のアレンジを加え、遊び心ある創意工夫を凝らしていた。
これにヒントを得た渡邊さん。キー素材に選んだのは、精進料理の主要なタンパク源である生湯葉だった。思いついたアイデアを、iPadのメモ帳に書きなぐった末にたどり着いたのが、生湯葉を使ったファストフードだった。コンセプトは「健康に、あそびゴコロを」。
■「普通に働いた方がいい」と止められた
事業化を進めるなか、渡邊さんは半年近くかけて、Googleマップに印をつけながら関西中の湯葉店を一軒ずつ訪ね歩いた。
「アポを取ったり、飛び込みで話を聞かせてもらったりして、こういうことをやろうと思っているので応援してくれませんか、と言って回ったんです。ただ正直、湯葉を使ったファストフードって言っても『よく分からん』という感じであまり理解はされなかった。それどころか湯葉での起業自体も『このまま普通に働いた方がいい』と止められましたね」
湯葉と若者、伝統食とファストフードは、そう簡単には結びつかなかったらしい。よそ者の思いつきは、業界の人間にすらすぐには理解されなかったのだ。さらに、歩き回るうちに見えてきたのは、想像以上に厳しい現実だった。
京都では1200年もの歴史を持つ食材だというのに、昭和初期には40社近くあったという関西の湯葉事業者は、今やわずか10社ほどにまで減っているという。豆乳を湯煎して膜をすくうという製法上、作業場はサウナのような高温多湿になる。工業化が進んだ豆腐が一事業者あたりの売り上げを伸ばす一方、湯葉は生産効率が悪く、研究も進んでいない。なかには老朽化した工房も残っていた。
■京都の老舗でも抗えない湯葉店の現実
回った先の中でも、ひときわ印象に残っているのが、京都・十条で100年以上続く老舗湯葉店「湯葉に」の社長、吉田恵美子さんとの出会いだ。今でもとても懇意にしてもらっているとのこと。彼女の元を訪れたとき、忙しい手を止め、見ず知らずの若者の話にじっくりと耳を傾けてくれた。そして、100年続く老舗をもってしても太刀打ちできない現実を教えてくれた。
「吉田さんの店も次誰が継ぐんだという状況で、『もう湯葉の文化を守っていくことで精一杯』とおっしゃっていました。『湯葉で起業なんか絶対せんほうがええ』とも言われましたね」
調査を続けるうちに気付いたのは、当の職人たち自身が、もう自分の代で終わらせてもいいと思っていることだった。
「実際、継ぎ手がいないという人もいれば、子や孫にこの過酷な仕事を継がせたくないという人もいました。それに、1人や2人じゃなくいろんな職人さんに、こんな業界に来るのはやめといた方がいいと言われました」
斜陽産業の当事者たちが背負ってきた諦めのようなものを、渡邊さんはこの足で回って知った。
■結婚1年半、江崎グリコを退職
それでも検証を重ねるほどに見えてきたのは、健康食への確かなニーズと、湯葉という食材そのものに根強いファンがいるという事実だった。
「難しさや課題があることは想定していました。ギャンブルかもしれませんが、ギャンブルをしてもいいと思えるだけの可能性はある、と思ったんです」
退職したのは、数千万円の大型の出資が決まる前の2024年6月、28歳のときだった。
「300万円の事業検証資金は出たけど、給料はゼロっていう段階で辞めたので、そこから出資が決まって手続きが終わるまでの8カ月は無収入でした。最後のほうは毎日ふりかけのおにぎりを作っていました。このときが一番しんどかった」
結婚して1年半ほどの妻・怜伽(りょうか)さんがいたにもかかわらず、である。さらに周囲の反応も厳しかった。
「グリコを辞めるって言ったら同僚からは『湯葉を使ってやるの? マジで?』ってなかば呆れられたし、母親は意味不明の一点張りで、正直かなり反対されました。妻より母親のほうが強く言ってきたぐらいで。それで妻とは約束しました。大型出資が決まらなかったら、サラリーマンに戻って借金を返すわ、と。『それでいいんじゃない』ぐらいの反応でしたね」
もう一つ筆者が気になったのは、これまでのキャリアを手放す決断に、迷いはなかったのかということだ。渡邊さんは「昔は学歴とか経歴とか、すごく気にしていました」と打ち明ける。それを変えたのが、大学院生の時に受けた扁桃腺手術(先述)のあとに彼を襲った出来事だった。
■「学歴、キャリアはどうでもいい」
「手術の影響で自律神経を崩して、2カ月ぐらい高熱が下がらなかったんです。教授に一旦研究を止めて休んだほうがいいと言われて。その休養期間にタイに行きました。ジャングルを歩いたりゲストハウスを泊まり歩いたりしているうちに、日本人の女性2人組と知り合って。彼女たちは日本でキャバ嬢をしていたけど、辞めて旅をしていました。
僕のお金が尽きてからは、彼女たちのYouTube動画の編集を手伝う代わりにご飯をおごってもらうような生活をしていました。それを経験してから、学歴とかキャリアとか、正直どうでもよくなりました。どう生きてもいいんや、って思うようになったんです」
彼は全くといっていいほど、キャリアに執着を持っていなかった。周囲の心配をよそに退職し、早速出店エリアの調査を始める。なんと怜伽さんを大阪に置いて、単身で東京に向かった。
渡邊さん曰く、妻自身も多くの挑戦をしてきた人だそう。何かに挑もうとする人の気持ちが、説明されなくても伝わっていたのかもしれない。怜伽さんは「何とかなるでしょ」と彼の決断を見守った。もっとも「あのときは寂しかった」と言われたそうだ。そりゃそうだ。
■あえて京都を外し、東京・表参道へ
出店場所を決めるに際し、渡邊さんは湯葉のお膝元である京都をあえて外した。
「建物の高さ制限があって、オフィスワーカーが縦じゃなく横に広がってしまうし、商圏も狭いんです。それに、京都まで湯葉を食べに来る人はクラシックなものを求めているから、新しい湯葉はむしろ入りづらい」
大阪での試験販売を経て、最終的に東京・表参道に店を構えたのは、家賃こそ高くても、オフィスワーカーだけではなく、エステやジムなど健康に気を遣う人が訪れる店が近くに多かったからだ。
次なる課題は、商品づくり。湯葉は、日本の湯葉発祥の地――比叡山延暦寺御用達「ゆば八」から仕入れることに決めた。具材を巻くという用途を考えたとき、この湯葉の大きさや強度、味のあっさりさが適していると感じたからだ。
中の具材は「ファストフード」と名乗る以上、味の濃さや食感で満足感を出す必要がある。それらをまるごと包み込む湯葉は、あくまで脇役だ。とはいえ、最初に舌に触れるのはこの湯葉であり、そこで存在感を消してしまっては商品として成立しない。具材を引き立てながらも、湯葉ならではの風味を感じさせる、そのバランスを探っていった。
■80食が3時間で完売
調理方法も、1つに絞らなかった。湯葉は本来、冷たいまま食べるのが定番だが、それだけでは「健康に、あそびゴコロを」というコンセプトが目指す“楽しく食べる”体験には届かない。そこでメニューの一部には、湯葉を焼いたり炙ったりする調理法も取り入れ、食感の幅を作り出していった。
2026年1月19日、いよいよ開店。あえて平日の月曜日を選んだ。「最初は人の少なそうな平日にして、スタッフにもゆっくり慣れてもらおうと思ったんです」。ところがその狙いに反して、用意していた80食ほどはわずか3時間で完売した。
「ちょっとなめてたな、と思って」と渡邊さんは苦笑する。見誤ったのは販売数だけでない。店内が手狭で、行列のお客さんを待たせる時間が長くなってしまった。翌日も長い行列ができ、売り切れた。
この状況を見て、開店からわずか2日で店のオペレーションやレイアウトの変更を決意する。休業期間は2日間とはいえ、最初の勢いを止める決断には、それなりの覚悟が必要だったはずだ。開店5日目の金曜日にリスタートを切り、待ち時間は着実に短縮された。
■8カ月無収入から返済の日々に、でも楽しそう
ここで渡邊さんはまたしても驚きの判断を下す。メディアからの取材もあったが、あえて1カ月間は公開を控えることにした。
「レイアウトを変えても、お客さんがたくさん来てくれても、スタッフがそれに対応できなければ意味がない。販売個数を増やすにしても、増やせるだけのオペレーションをまず整えなければと思いました」
とにかく現場に慣れてもらうため、客数に対して多くのスタッフを配置した。日によっては人件費が売り上げを上回るという、通常ではありえない状態にも耐えた。
1カ月を過ぎるとメディア露出も増え、多くの人に知られる機会が増えていく。オペレーションの改善により1日に170食を提供できるようになった。1日の平均は110食ほどで、土日は完売する日も多い。
表参道で働くオフィスワーカーの中には、すっかり気に入って社内ケータリングとして活用する人もいれば、店頭やデリバリーで一度に10本以上を買っていく常連客もいる。
あれほど「意味不明」と困惑していた母親も、渡邊さんがテレビなどに取り上げられる機会が増えた今では、態度をがらりと変えたという。「最近はすごいやんって褒められますよ。あの時と全然違いますね(笑)」
妻・怜伽さんとは「僕たちいつ楽になるんだろうね」といつも話しているそう。8カ月の無収入の次は、開業にかかった費用の返済が始まっているのだ。しかし、渡邊さんはどこか楽しそうだった。彼の挑戦は、まだ始まったばかりだ。
■あえて湯葉を主役にしない
キャリアを手放し、斜陽産業を立て直す一歩を踏み出した渡邊さん。誰も継ぎたがらない産業に挑むモチベーションは、業界を変えてやろうという野望か、それとも湯葉の限りない可能性に商機を見出しているのか――。
「僕のすごくリアルな気持ちを言うと“湯葉が”ではなくて。ずっと応援してくださっている湯葉店の社長の吉田さんや、現場を訪れるなかで出会った職人さんたちが大事に守ってきたものが、こんな形になりましたよって見せ続けてあげたい。そんな感覚に近いです」
彼の大きな挑戦の動機は、目の前の人たちが大切に守ってきたものだった。今、各地に後継者不足や大手との競争に苦境を強いられている店や工場は多い。それでも立て直そうと奮闘する人の灯は、こうして誰かが守ってきたものへの敬意から生まれるのかもしれない。実際に吉田さんへ商品を届けたところ「美味しいわ」と喜んでくれたという。
起業を猛反対された湯葉業界の方からも、今では「文化を守るのは任せなさい。あなたたちが新しいことにチャレンジするのを応援します」と背中を押してもらえるまでになった。
これからyuppaを通して湯葉がどうなってほしいのかと尋ねると、返ってきたのは湯葉への熱い想い……ではなく、意外にも慎重な言葉だった。
「湯葉であることをメインに打ち出し続ける限り、湯葉が気になる、湯葉が好きという人しか来てくれないので、広がっていかないと思っているんです。だからこそ湯葉を主役にせず、あくまで高タンパクなヘルシーファストフードとして展開して、気付いたら湯葉を食べていた、ぐらいでいい」
■形を変えることも、ひとつの“守り方”
今後はアメリカや台湾などへの進出に向け準備を進めているという。これらの地域では、日常的に湯葉に近い食材が食べられているうえ、トルティーヤや生春巻きなど、「巻いて食べる」スタイルになじみが深い。
京都の伝統的な生湯葉を、“形を変えて”全国・そして世界に届ける――。伝統に手を加えることには、疑問を呈す人もいるかもしれない。しかし、ただ守り続けるだけでは立ち行かない。形を変えることもまた、ひとつの“守り方”のはずだ。工業化を目指すにしても、まず必要なのは多くの人に知ってもらい、求められること。渡邊さんが選んだのは、遠回りに見えて確実な一歩だった。
そういえば、筆者自身も京都生まれ京都育ちでありながら、人生で初めて食べた湯葉は、この東京・表参道のyuppaだった。地元では当たり前すぎて、わざわざ食べようと思ったことがなかったのだ。すっかり気に入ってしまい、後日京都の老舗店まで足を運び、初めてちゃんと生湯葉を味わった。湯葉が苦手だったわけでも、嫌いだったわけでもない。ただ、入り口がなかっただけだ。実際に「初めて湯葉を食べました」という声が届いたのは一度や二度ではないそう。
斜陽産業に飛び込んだ当時28歳の選択は、社会課題を解決するというような大きな旗のためではなく、目の前の人に見せたい景色のための、静かな覚悟だった。その覚悟は、京都出身の筆者を“逆輸入”で湯葉好きにするところまで、確かに届いた。
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吉田 ゆみ(よしだ・ゆみ)
フリーライター・編集者
関西在住。元公務員のフリーライター・編集者。株価や優待の話が食卓に上る家庭で育ち、株式投資や不動産、企業決算等の執筆を得意とする。FP2級保有。金融機関のコラムや法律系メディアへ多数寄稿。「みんかぶ」にて、経営者や投資家へのインタビューを連載。「プレジデントオンライン」に編集者としても携わる。
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(フリーライター・編集者 吉田 ゆみ)

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