兵庫県高砂市の山陽電鉄高砂駅近くにある「サンモール高砂」は、いま廃墟のような姿をさらしている。かつては地元の商店街を圧倒し、隣の姫路市の集客力を低下させたと指摘されるほどの存在だった。
ところが現在、周辺の商店街にはシャッターが目立ち、サンモール自身も核テナントの西友撤退から2年後に閉館した。商店街を飲み込むほど繁栄した駅前モールに、いったい何が起きたのか。ライターの坪川うたさんがリポートする――。(後編)
■2017年末に閉館、更地に計画はない
開くことのないシャッター。むき出しのまま、ガランとした空き区画。撤退したテナントに散乱する備品。買い物や食事を楽しむ人が少なく、ショッピングモールとしての賑わいが感じられない。
本連載における廃墟モールは上記のとおりであるが、この状態を通り越して本来の意味での“廃墟”になっているモールが存在する。兵庫県高砂市の山陽電鉄高砂駅近くにあるサンモール高砂だ。
サンモール高砂では、核テナントの西友が赤字を垂れ流したすえ、2015(平成27)年末に閉店。後継店舗が決まらず、耐震性の問題も重なり、サンモール高砂は2017年12月に閉館した。
東館と南館は解体されたが、跡地は更地のまま活用されておらず、上層階がマンションである西館はそのまま残っている。
高砂市は所有者へ早期整備を度々要請しているものの、閉館から約9年が経つ今もなお具体的な計画は明らかになっていない。
一方、隣接するアルカドラッグには車利用者を中心とした買い物客の姿が見られる。このことから、日常利用の店舗は成り立つが、休日にショッピングをするようなモールはもはや成立しなくなってしまった、すなわち高砂駅周辺では商圏が縮まったのではないかと分析できる。
■“銀座商店街”の店舗も減少
商圏の縮小を表すように、サンモール高砂周辺の商店街も苦戦している様子がうかがえる。
高砂駅からサンモール高砂を通り抜けた先に、高砂センター街と書かれた商店街がある。ここは居酒屋が営業している程度で、ほとんどがシャッターを下ろしている。
付近には高砂商店街と高砂銀座商店街もあるが、やはりシャッターが目立つ。売物件やテナント募集の貼り紙も目に入る。筆者は2025年末の休日と2026年の平日に訪問したが、いずれも人通りは非常に少なかった。
高砂銀座商店街に関しては2016(平成28)年時点で、「多いときは26店あったが今は8店になり、アーケードの人通りはまばらだ」と報じられている。(朝日新聞 2016年4月2日付)
また「高砂市統計書」によると、高砂市の小売業商店数は1962(昭和37)年の730から右肩上がりだったが、1985(昭和60)年の1296をピークに減少に転じ、2021(令和3)年には447にまで激減している。(「高砂市統計書」令和7年版)
やはりサンモール高砂だけでなく、高砂駅周辺の商圏が縮小したと言えよう。

■明治維新で衰退、工業で復権した街
では、高砂駅周辺の商圏はどのように成立し、そして縮小してしまったのだろうか。
高砂市は兵庫県の播磨沿岸地域、加古川市と姫路市の中間に位置している。1954(昭和29)年に4町村が合併して誕生し、その後さらに周辺の3町村が合併した。サンモール高砂は旧高砂町に立地している。
加古川の河口に位置する高砂町は、物資の集散地や貢米の集荷によって栄えていた。ところが明治維新によって貢米が廃止され、港の存在意義が失われてしまう。さらに山陽鉄道(現・JR山陽本線)が1888(明治21)年に開通し、舟運が衰えていく。物資の集散地は駅が開設された加古川に移り、高砂は衰退していった。
高砂の復権をかけたのが、工業化である。1901(明治34)年の三菱製紙の移転、1907(明治40)年の鐘淵紡績工場の開設を契機とし、高砂は工業都市へと姿を変え始めた。
1923(大正12)年には神戸姫路電気鉄道(現・山陽電気鉄道)が開通し、高砂町駅(現・高砂駅)が開設された。そして1964(昭和39)年には工業整備特別地域に指定され、高砂町は工業都市として発展した。
また、工場労働者の需要により飲食店を中心に商店街が栄えた。
現在でも臨海部を中心に工場が建ち並び、街中には工場の排水路があり、歩いていると煙突ともくもくとした煙が見えてくる……高砂市はそんな街である。
■「商店街は悲哀をかこっている」
先ほど触れたとおり、高砂市は複数の町村が合併して誕生した。そのため中心となる商業集積や交通ターミナルがなく、買い物客が市外へ流れてしまっていた。1969(昭和44)年に行われた「高砂市高砂町商店街診断」によれば、高砂市民の消費購買力の23%~25%は市外へ流出していたという。主な流出先は、隣接する姫路市であった。
昭和40年代には、高砂市の商店街について次のような記述が確認できる。
「商店街も神戸、姫路にお客をとられ、中間消費地帯の悲哀をかこっている。」「昔のような“飲み屋街”の復活は望めそうにない。」〔『サンデー毎日 48(臨時増刊号)』1969年8月〕
「商店街はさびれはじめている。」(『月刊世界政経』1975年4月)
サンモール高砂のオープン前からすでに、高砂市の商店街には陰りが見え始めていた。
■「地元の希望」を背負っていた
そんな高砂の街に中心を作るべく、高砂市は1968(昭和43)年に「高砂地区再開発事業計画」を作成した。しかし市の計画は住民の反対運動により挫折。その構想を三菱倉庫が引き継ぎ、三菱製紙高砂工場のグラウンド跡地などを取得して開発されたのが、サンモール高砂である。三菱倉庫がショッピングモールを開発するのは初めてのことだった。

1976(昭和51)年3月に東館・西館が開業し、核テナントの西友ストアーと専門店54店舗が出店した。1978(昭和53)年に南館を増築し、三菱倉庫グループのサンモールスイミングクラブなどが新たに開設されている。商店街が衰退しつつある高砂においても、大型店が成立する商圏を見込んで開発したのだろう。
1970年代後半~1980年代にかけて複数の業界誌において、サンモール高砂などのモールが誕生したことで、姫路市の集客力が低下していると指摘されている。裏を返せば、高砂市はサンモール高砂によって地元買い物客の流出を抑制できたと言える。
だが、サンモール高砂は地元の商店街衰退に拍車をかけた。高砂市の小売業商店数は1985(昭和60)年の1296をピークに減少に転じたが、売り場面積は広がり続け、ピークを迎えたのは2007(平成19)年だ。年間販売額のピークは1999(平成11)年、従業者数のピークは2002(平成14)年である。売り場面積が狭く従業者も少ない小さな商店は淘汰され、大型店が取って代わったのだ。(「高砂市統計書」令和7年版)
1997(平成9)年の日本商工会議所の調査によると、高砂市の大型店の店舗面積シェアは73.3%で、全国トップ10にランクインしていた。
高砂市は、大型店の立地によって個人商店が次々と姿を消した最たる地域といえる。
■開業当初からジャスコに包囲されていた
地元の商店街を飲み込んだサンモール高砂は、周辺の大型店にさらに飲み込まれていく。

ジャスコの前身の一社であるフタギが高砂市に隣接する姫路市で創業したことから、サンモール高砂は開業当初からジャスコに包囲されていた。高砂市にはジャスコ高砂店があり、姫路市にはジャスコ姫路店・野里店・網干店・飾磨店・広畑店、加古川市にはジャスコ加古川店・べふ店などが存在した。加えてダイエーも姫路店や加古川店を構えていた。
さらに1980年代以降、より大型の店舗が開発される。加古川市では、ニチイ加古川ショッピングデパート(1982年開業、現イオン加古川店)、ダイエーが核のニッケパークタウン(1984年開業)、イトーヨーカドーが核のグリーンプラザべふ(1988年開業、現アリオ加古川)が相次いで誕生。姫路市でもジャスコが核の姫路リバーシティ(1993年開業、現イオンモール姫路リバーシティー)がオープンした。
このように大型店が乱立し、1993(平成5)年には、高砂市では大型店の進出が相次いだ加古川市への買い物客の流出が増えていると指摘されている。(『播磨の地理 人文編 町と産業と交通路』1993年4月)
そして1998(平成10)年6月、高砂市にアスパ高砂がオープンした。アスパ高砂の核テナントには、ジャスコ高砂店が移転する形で入居。ほかに専門店42店舗が出店した。市外に消費が流出していることに危機感を抱いた高砂商工会議所が中心となって計画されたものだった。
敷地面積は約3万3000平方メートルで、サンモール高砂の約2万平方メートルを大きく上回り市内最大級。
さらにサンモール高砂と違ってエンクローズドモール(屋内型)のため、天気に関係なく買い回りしやすい造りになっている。
こうして大型競合に囲まれたサンモール高砂は、力を失っていった。
■駅の乗客は37年間で100万人減った
サンモール高砂が地元の商店街を飲み込み、さらにより大型の店舗がサンモール高砂を飲み込んでいく……この食物連鎖のような流れには、モータリゼーションの進展が大きく関係している。
「高砂市統計書」によると、サンモール高砂の南館が増築された1978(昭和53)年度の高砂市の自動車保有台数は2万842台だった。それが1985(昭和60)年度には3万台を超え、1989(平成元)年度には一気に4万9474台にまで増加し、核テナントの西友が撤退した2015(平成27)年度には5万6130台に達している。
片や山陽電鉄高砂駅の乗客数は、1978(昭和53)年度の約230万人から2015(平成27)年度には約126万人になり、100万人以上も減少している。(「高砂市統計書」昭和57年、平成2年、平成28年版)
この数値から、モータリゼーションが加速し、それに伴って駅の利用者が減少したことが読み取れる。人々が車に乗って広い駐車場を備えた郊外へ行き、駅前から人がいなくなる流れは日本全国で起こったが、高砂駅でもまた如実に表れているのだ。
■消費者は「より便利な選択肢」を選んだ
サンモール高砂という大型店が商店街を衰退させ、さらなる大型店がサンモール高砂に打撃を与えた流れを考えると、あたかも大型店が悪のように思える。
しかし、大型店だってお客が来なければ存続できない。大型店は消費者に支持されたからこそ繁栄したのだ。車を手にした消費者は、広い駐車場があり、さまざまなものを比較購買でき、レジャーも楽しむことができる大型モールを選ぶようになった。
大型店の出店ラッシュとそれに伴う商店街や既存モールの衰退には法令による規制緩和なども関与しているが、「消費者が選択した結果」であるのもまた事実だ。
次なる未来の商業がどうなるか、それは我々消費者の選択にもかかっているのである。

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坪川 うた(つぼかわ・うた)

ライター、ショッピングセンター偏愛家

熊本県出身。熊本大学卒。新卒で大型SCデベロッパーに就職。小型SCデベロッパーへの転職を経て、フリーランスに。国内外で500以上の商業施設を視察済み。宅建・FP2級。

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(ライター、ショッピングセンター偏愛家 坪川 うた)
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