■ロシア経済は低調なのに、通貨高が進行中
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が8月13日、初となる北方領土(択捉島)訪問を電撃的に敢行した。7月には北方領土の無人島の一つをゾルゲ島(旧ソ連期に日本でスパイを働いたリヒャルト・ゾルゲ氏に因む)と名付けるなど、ロシアは北方領土への関与を強めている。
9月20日に迫った統一地方選を見据えた有権者へのアピールのようだ。
そのロシアの経済は今、ウクライナとの戦争の長期化や、主要国からの経済・金融制裁が重荷となって、極めて厳しい状況が続いている。インターネットへの規制を強めたこともあって、プーチン大統領に対する支持率にも陰りが見られている。一方、通貨ルーブルの相場は、そうした経済の不調にもかかわらず、上昇トレンドを維持している。
現代の通貨は管理通貨制度(信用貨幣制度)に基づいて発行される。戦前の金本位制度のもとでは、地金の信用力に基づいて通貨が発行された。しかし管理通貨制度のもとでは、国力に基づいて通貨が発行される。国力とは、政治力や軍事力、透明性など様々な要因が複雑に絡み合う概念だが、基本的には経済力によって大きく規定される。
国力を持つ国の通貨は国際通貨(ハードカレンシー)となる。国際通貨は国際間での貿易取引や金融取引の決済に用いられる通貨であり、基軸通貨たるドルを筆頭に、ユーロやポンド、スイスフラン、円などに限定される。国力を持つ国が国際通貨を発行できるのだから、国力が衰退すれば、その通貨の国際通貨性は低下することになる。
様々な見解があるが、筆者は、この歴史的な円安はすでに円という通貨の国際通貨性の低下を反映しつつあると考えている。
確かに円は、引き続きアジアを中心に貿易取引の決済に用いられるし、いわゆる欧米通貨との間での金融取引の決済にも用いられる。ただし、特に後者の場合、円が他の国際通貨より弱いために成立する取引である。
いわゆる円キャリートレードだが、これは円が金利を上げることができない通貨だから成立する取引である。かつてはデフレだったから金利を上げないことは合理的だったが、今はインフレである。にもかかわらず、景気を理由に金利を上げないのだから、それは弱い通貨と判断されて当然である。こうした通貨は、相対的に価値を失う。
他方で、管理通貨制度には一種のパズルがある。それは経済が弱いのに通貨高が進んでしまうことがあるという点だ。1990年代中頃や2010年代前半の日本がそうだったが、これは他の主要経済の問題が相対的に深刻だったからでもある。一方、経済が相対的にも絶対的にも低調なのに、通貨高が進むことがある。今のロシアがそれだ。
■国外で取引されなくなったルーブル
2022年2月、ロシアはウクライナに軍事侵攻を仕掛けた。
その後、欧米日といった主要国が矢継ぎ早にロシアに対して経済・金融制裁を強化した。その結果、ロシアの通貨ルーブルは大暴落したが、直後にロシア中銀が大幅な利上げをしたことや、国際原油価格の急騰で貿易黒字が急増したことから、相場は「V字反転」するに至った(図表1)。
その後もルーブルの為替レートは振幅を伴って推移してきたが、2025年中頃を底にルーブル高トレンドが定着している。軍需の牽引を受けたロシア経済は2023年と2024年の成長率が4%台に乗るなど好調だったが、それが剥落した2025年以降、低迷が顕著である。にもかかわらず、ルーブル高が定着しているのはパズルそのものだ。
要するに、経済が弱いのにもかかわらず、ルーブル高が定着していることになる。その最大の理由は、ルーブルが国外で取引されなくなったことに尽きると考えられる。主要国による経済・金融制裁で、少なくとも主要国の大企業はロシアでの事業展開を見直さざるを得なくなった。その結果、国外でのルーブルの取引は激減したのである。
言い換えると、主要国の大企業や投資家がルーブルの取り扱いを手控えたことで、その為替レートは国内の通貨需給に強い影響を受けて形成されるようになったわけだ。ロシア中銀は物価と通貨の安定を図り、現金供給量を絞り込んでいる(図表2)。供給が絞り込まれた一方、国内では軍需産業を中心にルーブル需要が根強いままである。

さらに、ロシアは産油国であり、貿易黒字国でもある。そして輸出企業は、国外で得た外貨をルーブルに交換する必要がある。こうしたことから、ロシア経済が不調であるにもかかわらず、ルーブル高トレンドが定着するに至る。しかし、これは価格(price)の問題に過ぎず、ルーブルの通貨としての価値(value)は向上していない。
■「信用に足らざる通貨」のまま
ルーブルの価値が向上していれば、ロシアはルーブルを使って国際間での貿易取引や金融取引を決済できる。しかしそれができないから、ロシアは中国の人民元や民間の米ドル建てのステーブルコイン、あるいは地金を用いて貿易決済を行っている。結局ルーブルは、国外だと依然として信用に足らざる通貨と認識されたままなのである。
とりわけ興味深いのは、ロシアが保有する地金を減らしていることだ。中銀の統計によれば、2026年に入ってロシアの金準備(政府が中銀の口座に保管する外貨準備としての金保有高)は減少基調で推移している(図表3)。推測の域を出ないものの、政府の金売りは貿易取引や金融取引の決済が目詰まりを起こしている可能性を物語る。
あるいは、政府が財政赤字を補填するために、国外で地金を売却している可能性も考えられる。実際、トルコをはじめとする中東諸国やインドなどの新興国に対して、地金を現送していると伝えられている。
ともかく、ロシアが真の意味で国力を高めており、それを反映したルーブル高が生じているならば、こうした動きは起きないはずだ。
通貨高の国からの金流出という、一見すると矛盾した現象は、第一次世界大戦期の日本でも生じている。当時、欧州大陸の各国が金本位制度から続々と離脱した一方、日本は米国と歩調を合わせて金本位制度を維持していたため、欧米の投資家が金を購入するために日本に押し寄せた。ゆえに円買いを伴う金流出というパラドクスが生じた。
当時の日本と今のロシアに共通している点を挙げるなら、それは制度設計と実際の経済運営との間で著しいズレが生じているという事実である。制度を維持するなら経済運営を正す必要があるし、経済運営を優先するなら制度を変更する必要があるが、そのいずれの選択も取らずに現状を是認すればパズルが生じ、何れ立ち行かなくなる。
■通貨の対外的な価値をどう確保するか、が問われている
ロシアは豊富な石油やガスを持つ世界有数の資源国であるが、そうしたエネルギー以外の貿易収支は、実質的に赤字の国である。要するに、石油やガスで稼いだ外貨で、それ以外のモノを輸入し、経済活動が成り立つ国である。ゆえに、通貨が対外的な信用力を、言い換えれば対外的な価値を持たなければ、経済活動が窮してしまう経済だ。
確かにロシア経済は、主要国からの経済・金融制裁にもかかわらず、新興国との取引に活路を見出したことで維持されている。一種の堅強性を示しているとも言えるが、一方でルーブル高の問題は、ロシア経済が抱える構造的な問題を強く反映している。一見するとパズルだが、それが価値の向上を伴っていない点を理解すれば合点がいく。

円高恐怖症に苛まれてきた日本では、これまで円安はいいことだという言説がまかり通ってきた。しかし、それも価格と価値の問題を混同した見解だ。概して、価値を保ちつつ価格を引き下げることは極めて難しい。一方、価格を引き下げるために通貨の価値を毀損させることは、愚の骨頂そのものだ。この点の理解に乏しい論者が多い。
一見すると、今のルーブル高は管理通貨制度のもとで生じたパズルであるかように見受けられるが、実態としては、ロシアの構造的な問題を反映した現象だ。同時に、日本の構造的な円安と照らし合わせて考えると大きな含意がある。価値の向上を伴わない通貨高の問題は深刻だが、価値の毀損を伴う通貨安の問題も著しく深刻だからだ。
(寄稿はあくまで個人的見解であり、所属組織とは無関係です)

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土田 陽介(つちだ・ようすけ)

三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 主任研究員

1981年生まれ。2005年一橋大学経済学部、06年同大学院経済学研究科修了。浜銀総合研究所を経て、12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。現在、調査部にて欧州経済の分析を担当。


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(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 主任研究員 土田 陽介)
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