■製造が“難しすぎる”シューズ
じつはスポーツシューズをつくると決めたとき、喜八郎は西井商事に勤めていた際に知遇を得た神戸高校の教師、松本幸雄に相談した。いまでも神戸高校は兵庫県を代表する進学校だが、バスケットボール部も1925(大正14)年設立の強豪で、当時からすでに体育館で本格的な練習を行なっていた。
指導者の任にあった松本は兵庫県バスケットボール協会の理事長を務め、全国的にも名の知れた人物だった。喜八郎に「どんなシューズをつくったらよいか」と問われた松本は、当然のように答えた。
「バスケットボールシューズはどうだ」
先に述べたように、当時の日本にはまともなバスケットボールシューズが存在していなかった。靴の街である長田でも小さな町工場一社が細々と生産しているだけで、松本を納得させる品質には遠く及ばなかった。
そう返されて、ここに光明あり、と喜八郎は直感したが、「いちばん難しいスポーツシューズ」をおいそれとつくれるなら、苦労はない。いの一番に矢仲ゴム工業所の矢仲社長に話してみたが、「無理だ」と首を縦に振ってくれなかった。
「バスケットボールシューズは難しすぎる」
長田でバスケットボールシューズの製造業者が一社しかなかった理由は、市場がまだ小さいこともあったが、製造の難しさが何よりの理由だった。
■一喝されたシューズの試作品
ならば、と次に、喜八郎は堀から紹介を受けた別の会社を訪ねた。長田に生産拠点を置く吉川ゴム工業所である。
「うちでつくってあげよう」
早速、見よう見まねでバスケットボールシューズづくりが始まった。吉川ゴム工業所も品質のよいズック靴メーカーだったが、そもそも未知の製品づくりだから、工場頼みというわけにもいかない。アイデアを出して現場の職人たちの意見を聞きながら、手探りで試作品づくりを始めたのだ。
紆(う)余(よ)曲(きょく)折(せつ)を経て、ようやく試作品らしきものができたところで、その出来栄えを喜八郎は神戸高校の松本に見てもらった。携えたシューズを松本に手渡すと、形相が一変した。
「こんなデタラメなシューズがあるか」
当然のこと、バスケットボールシューズに求められる機能をしっかり詰め込んだ試作品をつくってくるだろう、と松本は考えていたが、喜八郎は、ただがむしゃらに試作品をつくること自体を目的に突っ走ってしまった。ゴールセッティングができていなかったのだから、松本が怒るのも無理はない。
「本気でバスケットボールシューズをつくりたいなら、毎日練習を見に来い。そこで選手の足の動きとシューズの具合を詳細に観察してから、試作品をもってこい」
もっともな話だ。
■「鬼塚ビジネスモデル」の原点
それからというもの、毎日午後3時になると喜八郎は神戸高校の体育館に足を運び、部員たちが練習する横で球拾いをしながら選手のフットワークを研究しはじめた。同時に、松本からアメリカのバスケットボールの手引書の翻訳を借りて、競技特性を理論的に学んでいった。
ところが、これもなかなか厄介で、どれだけよいシューズがつくれたとしても、食の好みと同様、細かいところの感じ方は人それぞれである。極端にいえば、「万人が認めるシューズ」は存在しない。
すべてが個別具体という事実を、シューズという一つの商品にどう収斂(しゅうれん)していくのか。選手それぞれの微妙に違う反応を克明に記録し、それを根気よく改良していくという後年のオニツカタイガーのビジネスモデルの原点は、この神戸高校での喜八郎の経験にあった。
試作を重ねてようやく、これでいけるかもしれない……となった段階で、松本は選手全員にそのシューズを履かせて練習試合を行なった。
しかし、本気で試合をしてみると、練習ではわからなかった欠陥が露呈した。試作品のシューズは滑りすぎるのだ。オフェンスからディフェンスへ、ディフェンスからオフェンスへと急激に攻守が入れ替わる際、ピタッとストップできずに滑ってしまう。
■夕食のおかずから得た革新的アイデア
「これではダメだ」
使いものにならないことは、すぐわかった。靴底のゴムの品質のせいなのか、滑り止めの役割を果たす模様が原因なのかはわからないが、いずれにしても、靴底に問題があることは明らかだった。
とはいえ、何をどう改善したらよいのかの見当もつかない。
悶々とした日々が続いたある日、自宅で福弥(*1)が用意した夕食のおかずに喜八郎は目を落とした。その瞬間、頭のなかを稲妻が駆けめぐった。
「これだ!」
酢の物に入っていたタコの吸盤にその目は張りついた。タコは吸盤の圧力を調整してものを吸着する。この形状を利用すれば、うまくすると滑らないシューズがつくれるのではないか……。
興奮した喜八郎は夕食もそこそこに、金型屋に向かって猛然と自転車のペダルを漕いだ。
*1 鬼塚清市、福弥夫妻は、戦後、喜八郎の養親となった。
■バスケットボールシューズ「タイガー」誕生
もちろんそのアイデアとて、一筋縄ではかたちにはならなかったが、しつこさが売りの喜八郎である。再び試作を繰り返し、いよいよ吸盤付きのソールをもつバスケットボールシューズが完成した。神戸高校の選手たちに履かせたところ、滑りすぎる問題はみごとなまでに解消されていた。
しかし、今度は目の前で、試作品を履いた選手たちが急ストップするたび、バタバタと倒れはじめた。
「バカヤロー。捻挫でもしたらどうするんだ」
見かねて松本も声を荒げる。新しいシューズは、止まりすぎたのだ。練習後、松本と喜八郎は話し込んだ。
「アイデア自体は悪くない。しかし、あれでは使いものにならない。ストップ性能をなんとか調整できないか」
吸盤の大きさやかたちを変えるために、再度、金型からつくり直してのチャレンジである。
いまでこそ、「靴底=ソール」にさまざまな形状の凹凸をつけることで、競技特性に応じた最適な機能を付与することが当たり前だが、敗戦直後の日本は、テニスシューズでも陸上競技でも、スポーツシューズはズック靴か、地下足袋(じかたび)という時代だった。
その後も松本のアドバイスを受けながら改良を重ね、ついに1951(昭和26)年、「吸着盤型バスケットボールシューズ」が誕生する。
喜八郎は当初から、自らが生み出したバスケットボールシューズに「タイガー」というブランド名をつけた。
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財部 誠一(たからべ・せいいち)
経済ジャーナリスト
1956年東京都生まれ。80年、慶應義塾大学法学部を卒業し、野村證券に入社。
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(経済ジャーナリスト 財部 誠一)

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