プーチン大統領が初めて北方領土に上陸したことで、日本政府が反発を強めている。ジャーナリストの山岡鉄秀さんは「イラン戦争でアメリカの戦力が分散されているタイミングで、日本周辺の軍事情勢が急速に騒がしくなっている。
日本が警戒すべきは中国の動きだけではない」という――。
■プーチンの択捉島上陸はだれのため?
8月13日、ロシアのプーチン大統領が択捉島に上陸した。
日本が返還を求めている北方領土にプーチン氏が足を踏み入れるのは初めてのことだ。
これは、北方領土に対するロシアの実効支配を誇示する行動であり、日本に対する強い政治的メッセージである。日本政府は当然、強く抗議した。
しかし、注目すべきは上陸そのものだけではない。
その前後、ロシアは北方領土周辺や日本周辺で大規模な軍事活動を展開していた。8月20日、21日にはロシア海軍艦艇が宗谷海峡を通過し、21日にはロシア軍のIL-20情報収集機の活動も防衛省から公表されている。
ここで日本が留意すべきことは、台湾海峡で危機が高まるなか、ロシアが日本の北側で軍事的圧力を強めれば、台湾統一を目指す中国の習近平政権にとって大きな援護となるということだ。
果たしてプーチン大統領の真意は、台湾有事に向かう中国を側面から支援することにあるのか。
この問いを考えるには、日本を南西諸島だけでなく、北方と日本海側を含む一つの戦域として捉え直す必要がある。
■米国の力を分散させたい中国とロシア
現在、この問いを考えなくてはならない重要な理由がある。

米軍がイランとの戦争に引き付けられ、消耗しているからだ。
8月、横須賀を母港とする米海軍の原子力空母ジョージ・ワシントンが中東へ向かった。長期間イラン方面に展開してきた空母エイブラハム・リンカーンを交代させるためである。
AP通信は、この移動によって西太平洋から米空母が一時的に不在となったと報じた。もちろん、米軍そのものが西太平洋から消えたわけではない。しかし中国と対峙する地域から、象徴的かつ強力な航空戦力である空母打撃群が抜け、中東へ投入された意味は軽くない。
米国には世界中にコミットメントがある。
そして中国の戦略論のなかでは、米国がその力を中国正面に結集できない状況をつくることが、明確な利益として語られてきた。
中国の駐ロシア国防武官を務めた王海運は約10年前、ロシアが強大さを維持し、中国・ロシア間の戦略的協力が継続すれば、米国が力を結集して中国に対応することは難しくなる、と論じている(『新世紀的中俄関係』上海大学出版社、2015年。防衛省防衛研究所『中国安全保障レポート2026』第1章より)。
これは中国側の一研究者の議論にとどまらない。
2025年5月の中露共同声明は、両国が協調と協力を強化して米国による「二重の封じ込め」に断固として対応する、と明記している。

二正面で封じ込められているという認識を公式文書で共有しており、米国の力を分散させることは双方にとって利益になるという構図なのである。
■日本の北も南も騒がしくなっている
中東で戦争が長引けば、艦艇も航空機もミサイルも弾薬も人員も必要になる。米国の軍事力がいかに巨大であっても無限ではない。
そして今、その戦力分散が現実になっている。
問題は、そのタイミングで日本周辺の軍事情勢が急速に騒がしくなっていることだ。
6月27日、中国とロシアの爆撃機が日本周辺で共同飛行を行った。
中国軍の爆撃機とロシア軍のTu-95爆撃機などが、日本海から東シナ海、さらに四国沖の太平洋にまで長距離共同飛行を実施した。
防衛省はこれについて、「我が国に対する示威行動を明確に企図したもの」と強い表現で評価している。中露爆撃機による共同飛行はこれで10回目だった。
海上でも動きは続いている。
防衛省の公表資料を見ると、中国海軍、ロシア海軍の艦艇が日本列島周辺の海峡を相次いで通過している。対馬海峡、宮古海峡、与那国島周辺、そして宗谷海峡。

日本は中国とロシアの軍事活動に南北から挟まれている。
■ウクライナ侵攻前も不穏な動きがあった
さらに8月、ロシアの活動は北方で一段と活発になった。冒頭で見たプーチン大統領の択捉島上陸と、その前後の艦艇航行、情報収集機の飛行である。
個々の事象だけを見れば、「いつものロシア軍の活動」と言えるかもしれない。
しかし、問題は全体を俯瞰したときである。
プーチン大統領の択捉島上陸と、その前後に行われた大規模な軍事活動。この組み合わせを、単なる偶然として片付けてよいのだろうか。
ここで思い出すべきことがある。
2022年2月のウクライナ侵攻前、ロシアは国境周辺に大軍を集結させ、大規模な軍事演習を繰り返していた。
当時も、「本当に侵攻するはずがない」「これは外交交渉を有利にするための威嚇だ」という見方は少なくなかった。
結果はどうだったか。
演習と部隊集結は、本物の侵攻へと転化した。

だからといって、現在のロシア軍の活動を「北海道侵攻の前兆だ」と断定するのは飛躍である。
北海道はウクライナとは条件が違う。
何より日本は米国の条約同盟国だ。北海道への武力攻撃は日米安全保障条約第5条が適用され得る事態であり、ロシアは米国との全面的な軍事衝突を覚悟しなくてはならない。
また、北海道への侵攻には海峡を越えた大規模な上陸作戦が必要であり、陸続きだったウクライナ侵攻とは軍事的難易度がまったく違う。
■ロシアが北海道を攻める可能性は低いが…
現時点で、ロシアが北海道占領を具体的な国家目標としていることを示す公開証拠もない。
だから、「ロシアが北海道に攻めてくる」と煽るべきではない。
しかし、逆の思考停止も危険だ。
「そんなことはあり得ない」と最初から可能性を排除することの危険性こそ、ウクライナ戦争から学ぶべきことだからである。
さらに重要なのは、ロシアは北海道を実際に侵攻しなくても、中国を軍事的に助けることができるという点だ。
想像してほしい。
台湾海峡で重大な危機が発生する。

中国軍が台湾周辺に大兵力を展開し、南西諸島周辺でも活動を急激に活発化させる。
日本政府は当然、沖縄、九州、西日本方面へ警戒監視能力や航空戦力を集中せざるを得ない。
その瞬間にロシアが北方領土とオホーツク海で大規模演習を開始したらどうなるか。
ロシア軍機が北海道周辺へ接近する。
艦艇が宗谷海峡を相次いで航行する。
千島列島でミサイル部隊が展開する。
爆撃機が飛来する。
日本政府はそれを「単なる演習」と断定できるだろうか。
ウクライナ侵攻を経験した現在、それは難しい。
結果として日本は、北海道の防衛力を南西方面へ自由に移動できなくなる。
■ミサイルも兵士も使わず中国を助けられる
つまりロシアは、一発のミサイルも北海道に撃ち込まず、一人の兵士も上陸させずに、日本の戦力を北に拘束できるのである。
これこそ、中国にとって大きな戦略的利益となる。

中国の習近平国家主席がプーチン大統領に「日本の北側から圧力を掛けてくれ」と頼んだのではないか――そんな疑念さえ抱きたくなる。
ロシアの対中依存は数字のうえでも著しい。2023年、ロシアの貿易総額に占める中国の割合は侵攻前から倍増して約40%、輸入にいたっては52%に達した(防衛省防衛研究所『中国安全保障レポート2026』第1章より)。
しかし、依存は命令関係を意味しない。防衛研究所の分析は、ロシアが中国の意向と異なる危険な行動を現に起こしてきたことを指摘し、対中依存ゆえに中国の言うとおりに動くという理解は成り立たないとしている。
そもそも秘密会談で具体的な役割分担を決めなければ、戦略的協調が成立しないわけではない。互いの利益を理解し、それぞれが自国の利益に従って行動した結果、相手を助けることは十分にあり得る。
まして中国とロシアは、すでに爆撃機の共同飛行を繰り返している。
そして日本にとって厄介なのは、むしろこちらである。北で動く相手を、中国ですら抑えられないということだからだ。
■中国、ロシアに加えて北朝鮮もいる
この見方は、私の推測にとどまらない。
防衛省防衛研究所のレポートは、中国・ロシア両国の共同の軍事行動について、連携した行動によっても、それぞれ個別の行動によっても、日本にとって懸念すべき事態をもたらす可能性を指摘し、それはロシアが西側の対応を鈍らせるために用いる「恐怖カード」の一環ともいえる、としている。
さらに、緊張が高まった際に別の戦域で連携した軍事行動が起こることも、想定すべき事態として挙げられている。
同レポートの指摘から、日本が北で足を止められるという展開は、すでに専門的な分析の射程に入っていると読み取ることができる。
問題は「秘密協定が存在するか」ではなく、現実の軍事行動が日本にどのような効果を与えるかなのである。
ここで忘れてはならない存在が北朝鮮だ。
8月12日、北朝鮮は弾道ミサイルを発射した。さらに8月20日にも複数発を発射している(防衛省・内閣官房「北朝鮮のミサイル等関連情報」2026年8月12日20日)。
防衛省は北朝鮮について、日本を射程に収める弾道ミサイルに核弾頭を搭載する能力を保有するとみられるとしており、その軍事動向を「従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威」と評価している
しかも北朝鮮はロシアのウクライナ侵攻を支援し、弾道ミサイルなどを供与し、兵士まで派遣している。この2カ国の軍事協力は、もはや象徴的な外交関係のレベルを超えている。
■3カ国の危うい関係がリスクを高めている
すると日本が直面する構図はこうなる。
北=ロシア。

北西=北朝鮮。

南西=中国。
三方面である。
もちろん、中国、ロシア、北朝鮮が一枚岩の軍事同盟を形成していると主張するつもりはない。
先ほどから紹介している防衛省防衛研究所のレポートは、3カ国のダイナミズムがこれまでのところ二国間関係を基礎に展開されており、三者関係が形成されているわけではないと分析している。中国はロシア・北朝鮮の軍事協力から距離を置こうとしており、朝鮮半島の非核化をめぐっても中国・ロシア、中国・北朝鮮の間に不一致がある。
そのうえで同レポートは、連携と非連携、求心力と遠心力を同時に抱えたこの不均衡なパートナーシップこそが、インド太平洋の安全保障環境の不確実性を高めていると結論づけている。
■台湾有事は「南西だけの戦争」ではない
しかし軍事戦略上重要なのは、「3カ国が完全な同盟国かどうか」ではない。
日本が三方向への対応を迫られるかどうかである。
ここに日本の安全保障議論の盲点がある。
われわれは台湾有事について語るとき、台湾、尖閣、沖縄、宮古、石垣、与那国という地図を思い浮かべる。
しかし実際の危機では、日本列島全体が一つの戦域になる可能性がある。
中国が南西から圧力を掛ける。
ロシアが北から牽制する。
北朝鮮が日本海側から弾道ミサイルを発射する。
そうなれば自衛隊は、戦闘機も、イージス艦も、早期警戒機も、ミサイル防衛も、情報収集能力も、限られた戦力を分散せざるを得ない。
相手側から見れば、必ずしも日本を三方向から同時に「攻撃」する必要すらない。
演習、艦艇航行、軍用機の接近、ミサイル発射。
これだけでも日本に防衛資源を使わせることができる。
■いざというとき、米国は助けに来るか
戦争とは、敵の領土を占領することだけではない。
敵に選択肢を与えず、戦力を望まない場所へ拘束することも立派な軍事作戦なのである。
だからこそ、いま日本に必要なのは「中国だけを見た安全保障」からの脱却だ。
中国が最大の戦略的脅威であることは間違いない。
しかし中国だけを見ていれば、日本は北を突かれる。
ロシアだけを見れば南西を突かれる。
北朝鮮を単なるミサイル問題として処理すれば、複合危機への対応を誤る。
日本は今後、中国・ロシア・北朝鮮による「三方面同時圧力」を前提に防衛体制を組み立てなくてはならない。それは極めて困難なタスクである。
そしてもう一つ、厳しい現実を直視しなくてはならない。
米国にも限界があるということだ。
米国とイスラエルが始めたイラン戦争によって、西太平洋の空母を中東へ動かさざるを得なかった事実は、日本に重大な問いを突きつけている。
「いざというとき米軍が来る」のではなく、そのとき米軍はどこにいるのか。
日本の安全保障は、そこから考え直さなくてはならない時代に入ったのである。
■「アメリカファースト」の残酷な意味
私は、イラン戦争に最初から一貫して反対してきた。
その理由は、イランとの戦争が中東だけの問題にとどまらず、米国の軍事力と外交的関与を中東へ引き付け、日本を含むインド太平洋地域の抑止力を低下させると考えていたからだ。
しかし、当時その立場を示すと、「反トランプに転じたのか」と攻撃された。
だが、これはトランプ大統領への好き嫌いや、政治的立場の問題ではない。
米国がどこで戦い、どの地域に戦力を投入するのか。その結果、日本周辺の安全保障環境がどう変化するのかという、極めて現実的な問題である。
そして、現実は予想以上に悪い方向へ向かっている。
米空母が西太平洋から一時的に姿を消し、その一方で中国、ロシア、北朝鮮が日本周辺で軍事的圧力を強めている。
日本は「米国は必ず日本のために十分な戦力を残してくれる」と思い込んではならない。
米国には米国の国益があり、アメリカファーストとは米国の国益を最優先するという意味である。
■軍事バランスは刻一刻と変わっている
だからこそ日本は、米国の関与を前提としながらも、米国の戦力が別の地域に引き付けられる可能性を織り込んで、自国の防衛体制を考えなくてはならない。
「反トランプかどうか」という政治的なレッテル貼りに終始している間にも、現実の軍事バランスは変化している。
必要なのは、誰を支持するかではない。
どの戦争が日本の安全保障にどのような影響を与えるのかを、冷静に見極めることである。
台湾有事は、南西諸島だけの問題ではない。
ロシアが北から圧力を掛け、北朝鮮が日本海側で動き、中国が南西から迫る。
そのとき米軍がどこにいるのかも分からない。
この現実を直視しない限り、日本は次の危機に備えることができないのである。

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山岡 鉄秀(やまおか・てつひで)

ジャーナリスト、情報戦略アナリスト

1965年、東京都生まれ。中央大学卒業後、モービル石油株式会社を経て、シドニー大学大学院、ニューサウスウェールズ大学大学院修士課程修了。2014年4月豪州ストラスフィールド市で中韓反日団体が仕掛ける慰安婦像公有地設置計画に遭遇。シドニーを中心とする在豪邦人の有志と反対活動を展開。オーストラリア人現地住民の協力を取りつけ、2015年8月阻止に成功。現在は日本で言論活動中。令和専攻塾塾頭。著書に『日本よ、もう謝るな!』(飛鳥新社)、『日本よ、情報戦はこう戦え!』『新・失敗の本質』(共に育鵬社)、『シン・鎖国論』(方丈社)、などがある。

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(ジャーナリスト、情報戦略アナリスト 山岡 鉄秀)
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