ビニールカーテンで日本一の会社が東京・神田にある。石塚3代目社長の熊谷弘司さんが高校生の時、創業者である祖父が他界、親族間で相続争いが起きた。
二度と同じ経験はしたくないと、父から事業を継ぐときは家族会議を重ねた。そんな熊谷さんが立ち上げた新サービスとは。ノンフィクションライターの黒川祥子さんが取材した――。
■創業家に生まれながら継ぐイメージがなかった
祖父が興し、父が2代目となったファミリー企業の直系に生まれながら、熊谷弘司さん(44歳)は家業に興味を持ったことは一度もなかったし、父から「継げ」と言われたこともなかった。10代の少年が思い描く未来に、社長という映像は一切浮かぶことはなかった。
しかし、周囲の目は全く違った。高校生の時に祖父が亡くなり、葬儀の場で、会社関係者から言われた言葉に愕然とした。
「社長になったら、ここにいる社員とその家族の生活を背負うんだから、大変だね」
そんなことは自分にはできない、無理だとはっきり思った。さらに、「経営者」という存在への拒否感もあった。
「当時はライブドア事件などで、個人の富の最大化や、ゼロサムゲームが持ち上げられていて、ああいう風にならないと経営者として成功できないのなら、自分は嫌だなっていう思いが強かったですね。自分の富のために誰かが不幸になるというのが、すごく嫌でした」
■父親との賭けに負ける
大学は理系が好きだったため、東京理科大学応用生物学科を選んだ。
「生化学だったのですが、研究が全く合わなかった。
周囲が大学院に進み、研究を続ける中、私は就職を選び、第一志望をゲーム会社にしました。単に、ゲームが好きだったからです」
就活に際し、父から「これから、どうするんだ」と問われ、会社を継がないという意志と、その理由を説明した。しかしなぜか、その後、予期せぬ言葉がついて出た。
「第一志望の企業に就職できたら、やりたいことをやらせてください。もし、そこに落ちたら、会社を継ぎます」
それが運命だったのか。第一志望に落ちてしまったのだ。父との賭けに負けた以上、継ぐしかない。そこで、腹がすわった。
「自分で言い出したというのが、やっぱり一番大きかったと思います。当時、自分の中に、他者の生活を背負うならここまでできていないといけないという理想があって、それは無理だと止まっていたのが、劣っている以上、少しずつ穴埋めするしかない。やると言った以上、理想との差を少しでも縮めていくんだという思いに変わりました。同時に、ビジネスって本来、富をきちんと分配して、みんながいい思いをしてwin-winになるという当たり前のことを、誤解していたことにも気づきました」
■100年、100人、100億を目指す
4年間、仕入れ先の企業で修行をし、2010年に熊谷さんは将来の社長として、父の会社に入社した。
以降、常務、専務を経て、社長就任は2018年、熊谷さんが35歳の時だった。
社長となって8年、熊谷さんは「100年企業、100人社員、100億売り上げ」というスローガンを掲げている。
今年で創業70年ゆえ、100年企業はすでに射程に入っている。50人前後で推移していた社員も最近、60人近くまで増えることとなった。ならば、現在24億強の売り上げだが、50億を目指すなど中途半端なことではなく、いっそ、100億を目指そうという壮大な構想だ。
現在、44歳。十分に、現実味のある目標ではないか。
■苛烈極まる、骨肉の相続争い
会社を継ぐことへの拒否感は責任の重さ以上に、醜悪な争いに直面したことにあった。祖父の死後、父、庸一さんへの代替わりの際に、相続を巡って親族間で争いが生じ、家族が分裂してしまうという事態を、熊谷さんは高校生の身で目の当たりにした。
「それはもう、高校生でもわかるぐらいにめちゃくちゃ揉めました。事業に関わっていたのは父だけだったのですが、父には妹が2人いて、一番下の妹は結婚して子どもがおり、その叔母と配偶者である叔父が、私の祖母と一緒になって、父と対立したわけです」
彼らの要求は、株式をもっと高い値で買い取れということだった。
「会社の株式が、相続財産の中で最も大きいウエイトを占めていました。
とはいえ、中小企業の株式は市場で簡単に売れるものでもないのですが、金額としての評価額がついてしまうので、彼らは株式と現金の区別がつかなくなってしまったんです」
祖母とはもちろん祖父の妻であり、庸一さんにとっては実の母だ。祖父の存命中には誰一人予想もしなかった、骨肉の争いが繰り広げられることとなったのだ。
「父と母の、苦しそうな顔を見るのがつらかったですね。姉も妹も、同じだったと思います。私たちの前で直接、いがみあうことはなかったのですが、叔母から『あんたたちは、いいわね』と、ちくちく言われることはありました。とくに叔母の配偶者の方が、強く出ましたね。赤の他人ですし、株があるわけだからもっと主張したら、うちに金が入るだろうとヒートアップしたのです。祖母は娘に泣きつかれて、かわいそうだと思ったのかもしれません。非常に揉めて、今は完全に絶縁状態です。ご存命かも分かりませんし、祖母の死も私たちには知らされませんでした」
■二度と同じ経験はしたくない
もめにもめた結果、株を買い取るという形で、事業に影響がないように収めたものの、庸一さんは事業を継続させるために、実の母親と縁を切ることになったのだ。どれほど苦渋の決断だったことだろう。
「あの争いを見ていたので、私が会社を継ぐ時には、我々家族5人、二度と同じ経験はしたくないという共通の危機感を持ち、事業を続けるにはどうすればいいかの一点で準備を進めてきました。
結果、私が100%の株を受け継ぐことに姉も妹も同意して、スムーズに事業承継を実現できました」
■事業継承で“揉める家族”を減らしたい
2026年1月、熊谷さんはファミリー企業に特化した、事業承継コンサルタント事業を新たに立ち上げた。
「ビニールカーテンを納める工場など取引先のお客様から、『どうやったら、そんなに事業承継がうまく行くの?』と、日頃からご相談いただくことがあり、世の中にもっと広く伝えれば、揉めるご家族を減らせるんじゃないかと思い、事業を立ち上げました」
ファミリー企業に特化したのは自身の経験と、ファミリー企業ならではの特質があり、ファミリーだからこそ、第三者が入らないと解決が難しいという確信があるからだ。
「ビジネスパートナーである前に、家族じゃないですか。ビジネスパートナーなら、社長が他の社員より待遇がいいことを普通に納得しますが、家族の場合、感情が優位になってしまうので、『兄さんだけ、ずるい』になってしまう。事業継続のための経営課題が、家族の感情問題になってしまい、感情が優位になると、やっぱり揉めるんです。そうならないようにどうやって切り分けるか、そこは第三者じゃないと難しいわけです」
痛感するのは、創業者の多くは事業がうまくいっていれば、自分が死んだ後も事業は継続していくと信じていることだ。だが、亡くなった途端、親族間で骨肉の争いとなることが非常に多い。かつての熊谷家がそうだったように。
■揉めやすいファミリービジネスの特徴
熊谷さんが相談者に話すポイントに、「スリーサークル・マネジメント」という理論がある。
「事業、家族、株式という、この3つの円が今、どういう状況になっているのかをまず、問います。創業時は大抵、創業者のもとに3つの円が1つにまとまっています。この状態は、非常に揉めにくいんです。
しかし、事業に関わっている家族と関わっていない家族、株を持っている家族と持っていない家族など、この3つの円が散らばって、広がれば広がるほど揉めやすい状態になるのです。どうやってそこを、できるだけ一つにまとめるのか。そういうことを話していきます」
さらに親族には、この理論への最低限の理解が必要だと考えるゆえに、まずは一緒に学ぶことを勧めている。感情に流されがちな状況下、拠って立つ基盤になるものとして。
多いのは、兄が社長で、弟が専務というパターン。
「この場合、事業に関わる人数が増えているので、どうしても揉めやすいわけです。そして、感情が優位になりやすい。『兄さんだけ、ずるい』となって、喧嘩別れになるというのは、非常に多いですね」
相続に関しては、弁護士や税理士などの「プロ」もいるが、熊谷さん自身がファミリー企業の経営者であり、2つの真逆の事業承継パターンをその身で経験済みゆえ、他では得難い貴重なコンサルタントとなる。その経験と学びから、一つ一つの家族の実情に沿った、建設的なアドバイスを行うことができるのだ。事業立ち上げ後、相談件数は着実に増えている。
■2人の子どもに経営計画書を渡している
熊谷さんには中学生と小学生の子ども2人がいるが、自身の事業承継はどのように考えているのだろう。
「もし本人たちが継ぎたいと言ってくれれば、すごくうれしいとは思いますが、無理やりに、『継げ』という気はないですね。
2人には毎年、経営計画書を渡していて、まあ読んでいないと思うのですが、こういう考えでやっているよというのは伝えています。選択権は年上からで、上の子も下の子もやらないって言ったら、第三者を探す形ですね。ただ継ぎたいと言っても、適性が必ずしもあるかどうかはわからないので、ない時はきちんと無理だと判断します。私もそうなのですが、このスペックを維持できなかったら、クビだと決めています。最低限の、退任要件ですね。『自分、ポンコツだな』っていう、ラインです。そうじゃないと、ガバナンスが効かなくなってしまうので」
■会社を継がせてはいけない“ポンコツ・ライン”
ご自身が考える“ポンコツ・ライン”とは、どのようなものだろう。
「当たり前ですけど、事業より遊びを優先するなどは論外です。会社をきちんと成長させるために、一定の利益率の目標を決めて、それを維持できるということは大事ですね。さらに、ステークホルダーの中で、自分の優先順位を最下位に考えられることは必要だと思いますね。株主と取締役社長という立場を兼ねていますので、自分の優先順位は低くあらねばということです」
■会社は創業家のためにあるのではない
子どもに社長になる器がなければ、熊谷さんは会社をふさわしい第三者に託すときっぱりと語る。
「会社が続くこと、つまり全社員の生活を守るということが、第一の使命ですから」
何より、自身の後を継ぐ者に承継して欲しいのは、敢然と掲げる経営理念だ。
「会社というのは、創業家のためにあるのではない。社会のため、そして社員のためにあるのであって、その目標があって初めて、会社は事業を担う存在たり得るということです」
ビニールカーテンで作業現場の環境改善を進め、悪者にされがちなプラスチックが、実は再生性の高い材料であるという認知を広めていくなど、その視線には常に「社会」がある。
そして「個人の富の最大化」を嫌ったかつての少年は今、富をきちんと分配し、社員の幸せを第一に据える経営者となった。熊谷さんの営みは、閉塞的な現代社会の一画に灯る、一つの希望の光ではないか。

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黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)

ノンフィクション作家

福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)、『母と娘。それでも生きることにした』(集英社インターナショナル)などがある。

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(ノンフィクション作家 黒川 祥子)
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