9月13日投開票の沖縄県知事選挙は、自民党などが推薦する古謝玄太氏(42)と現職の玉城デニー氏(66)が接戦だ。そんな中、SNSなどを通じて世論や投票行動に影響を与えようとする「認知戦」が広がっている。
SNS選挙という罠』(平凡社新書)を書いた作家・批評家の物江潤さんは「その内容の真相や黒幕などを探してはいけない」という――。
■沖縄県知事選挙で起きているSNS上の「戦争」
9月13日に投開票される沖縄県知事選で、SNSを舞台とする「認知戦」が激しさを増している。
沖縄タイムスが8月の知事選関連のX投稿を分析したところ、発信地は約9割が県外と推定され、「自民党」への言及や、玉城デニー知事を「極左」とする投稿が目立ったという。もちろん、県外からの投稿が多いこと自体は、組織的な工作の証拠にはならない。ただ、沖縄県民が知事を選ぶ選挙で、県外から流れ込む言説がSNS上の議論を大きく形作っていることは確かだ。
さらに8月末には、玉城氏が米軍基地の完全撤去を求め、その理由を中国の意向と結びつけているかのように語る、4分余りのショート動画が拡散した。
Xで約2万7000件、Instagramで約2万2000件の「いいね」を集めたが、沖縄タイムスが検証したところ、玉城氏は米軍基地の完全撤去を求めておらず、名護市の安和桟橋で起きた事故を「辺野古で起きた」と紹介するなど、複数の事実誤認が含まれていた。
県がガードレールの設置を「抗議活動がやりにくくなるから」拒否したとの説明にも事実はなく、事故をめぐって玉城氏が笑ったかのように見せた映像も、事故とは無関係なやり取りを切り取ったものだった。同紙は、事実と誤りが混在する動画全体を「不正確」と判定している。
■認知戦と闘わないという選択肢
こうした情報が拡散すると、SNS上では、人々がそれぞれ異なる答えを出していく。内容を事実だと信じ切る人もいれば、検証によって誤りを指摘する人もいる。さらには、投稿の背後に敵対勢力や外国による工作があると断定する者も現れる。
答えはまるで異なるが、いずれも流通する物語の正体を突き止めようとしている。
しかし、本当に私たちは、SNS上で増殖する物語の全体像を見極められるのだろうか。
個々の事実は検証するとしても、物語の真相や黒幕まで見極めようとすることをやめるという選択肢はないのだろうか。私は認知戦に対し「闘わない」という選択を提案したい。
■1枚の生成AI画像が大混乱を招いた
8月21日18時28分、日本保守党の北村晴男参院議員はXで、「玉城デニー県政を終わらせること、それこそが国益に叶います(原文ママ)」と主張。その約1時間後には、県外在住を名乗る古謝玄太候補の支持者が、北村氏への返信として「国益にかなう沖縄をつくる」と書かれた古謝氏のポスター風の画像を投稿した。
作成者は後に、「沖縄だけでなく、日本のためにはこの人が良さそうだと本土から応援したかっただけです」と説明している。本人の説明によれば、画像を作った意図は攻撃ではなく応援だった。
SNS上の支持者の集団(界隈)のなかで、仲間の士気を高める画像や動画が投稿されること自体は珍しくない。生成AIの登場によって、専門的な知識を持たない個人でも、それらしい宣伝素材を短時間で容易に作れるようになった。今回の画像も、その一つだったと考えるのが自然だろう。
しかし、画像が界隈を超えて拡散した瞬間、その意味は様変わりした。
選挙ポスターのように見える画像は古謝氏側の公式の発信と受け取られ、「沖縄県民より国益を優先するのか」といった批判を招いたのだ。古謝氏を勝たせるための画像が、古謝氏を落選させるための材料へ変わったのである。
■画像だけでなく物語も次々と生まれた
ところが、事態は再び急転する。22日夜、古謝陣営に入っていた自民党の新垣淑豊県議が、画像に掲載されたようなフレーズは使ったことがないと否定した結果、たちまち「左派が偽情報に飛びついた証拠」という新たな意味が生まれ、一部の利用者らに活用されたのだ。
新しい意味が生まれることで、往々にして敵と味方が峻別される物語が膨らむことを考えれば、意味だけでなく物語までもが次々と生成されたことになる。
なお、24日には古謝氏側も関与を否定し、25日には作成者が謝罪。そして26日には、画像には生成AI由来の電子透かしが含まれ、古謝陣営が作ったものではないと日本ファクトチェックセンターが報じている。
ここで重要なのは、それほど労せず生成AIによる画像だと判明したように、巧妙な隠蔽工作がなされていなかったという点だ。
それにもかかわらず、一つの画像が三つの物語を生成し多数のインプレッションを稼ぎ出したならば、仮に意図的かつ精巧に作られていたらどうなっていたのだろうか。生成AIの痕跡が容易に確認できず、誰が作ったのかも分からず、複数のアカウントが事実であるかのように同時に拡散していたら、投票日までに正体を突き止められたとは思えない。
■偽情報だけでなく拡散用の偽アカウントも
たとえば、自民党関係者を装う架空の人物だけでなく、後援会や地元メディアを装う複数のアカウントまでもが生成AIで作られ、数カ月にわたって活動していたらどうだろうか。
その人物が「国益にかなう沖縄をつくる」という画像を投稿し、偽の後援会や地元メディアが好意的に反応をすれば、自ずと真実味を帯びてくるはずだ。
たとえ自民党が関与を否定しても、何が真実なのかを見分けるのは容易ではないだろう。
なにもこれは、単なる絵空事の話ではない。
2024年9月4日、米司法省は、ロシア政府主導とされる情報工作「ドッペルゲンガー」に使われた32のインターネット・ドメインの差し押さえを発表した。
この工作は、2024年米大統領選を含む各国の選挙や世論へ影響を与えることを目的とし、ワシントン・ポストなどの報道機関に似せた偽サイト、米国人などを装うSNSアカウント、AIで作成した広告などを利用していた。偽情報だけでなく、それを本物に見せる「情報源」まで偽造していたのである。
この事例が示すように、現代の情報工作は偽情報の拡散にとどまらない。発信者、報道機関、支持者まで偽造することで、「情報」だけでなく「情報が本物に見える環境」を丸ごと作っているのである。
■認知戦の黒幕は誰なのか
そして、いったん情報が広がれば、政党関係者、指示を受けていない支持者、収益を求めるインフルエンサー、社会の分断を狙う外国勢力まで、ばらばらの意図を持って物語の形成に加わっていく。
候補者を勝たせるため、広告収入を得るため、社会不信を広げるためと目的は異なっても、結果として、いずれもインプレッションを増やす方向に作用する。そのうえ、生成AIが画像、動画、文章の量産を可能にするため、物語の作成と拡散を加速させてしまう。
それでは、こうして生まれていく物語は、果たして誰が作ったのだろうか。最初にある意図をもってデマを流した者だろうか。
それとも、それを信じて拡散した者だろうか。はたまた、便乗して煽るだけ煽ったインフルエンサーなのだろうか。
その答えは、誰でもあり、誰でもないとしか言いようがない。たとえ発端となる情報に作者がいたとしても、その後に継ぎ接ぎされていった物語全体には、ある固有の作者などいるはずがない。ばらばらの意図を持つ人間、生成AIの出力、アルゴリズムの選択などが混ざり合い、誰にも制御できないまま成長していったのだ。いわばそれは、作者が混在したキメラだといってよい。
認知戦の渦中で、物語全体の真相や黒幕を見極めようとすることは、いるはずのない一人の作者を探し続ける行為に等しい。たまさか、ある時点で物語を主導していた者を発見しても、たちまち別の作者たちが物語を作り変えてしまうだろう。国家が認知戦に備えるのは至極当然だが、私たち一人ひとりが黒幕を捜索しても仕方がない。
■戦後最大の思想家の金言
認知戦から降りることは、事実の追求を諦めることではない。政治を判断する足場を、SNSから自分の人生に戻すことにある。
戦後最大の思想家と評された吉本隆明は、大衆の原型を、明日の魚をどう売るかというような日常的な問題しか考えない魚屋の姿によって説明した。

なんだか上から目線の話に聞こえるが、決してそうではない。私なりに大胆に解釈・応用すれば、魚屋なら魚屋のプライドをもって、その持ち場から一票を投じろということだ。もっとも、吉本の政治思想にはかなり過激な部分があり、私自身、共感できないことが沢山ある。ただ、自分が生きる日常から社会を考えるという姿勢は、日常から切り離されたSNS上の物語が力を持つ今日だからこそ、大きな価値を持つはずだ。
投票先を考えるときくらい、生成AIも、アルゴリズムも、外国勢力による分断工作も、インプレッションを稼ぐインフルエンサーも、すべて締め出してしまえばよい。そこに残るのは、毎日魚と向き合い、客と話し、商売を続けるなかで見えてきた現実である。少なくとも魚を売るという営みについては、そこいらの評論家や政治家よりも、自分のほうがはるかに詳しいはずだ。
■闘う場所と判断する場所を間違ってはいけない
なぜ、自分が最もよく知り、最も得意とし、そして最も誇りを持つべき場所からわざわざ離れ、もはや人智を超えたAIが暗躍するSNSへ出向き、その真贋を見極める必要があるのだろうか。そんな戦場で闘う必要は、一切ない。
極端にいえば、当選すれば魚がいちばん売れそうな候補者に投票したってかまわないし、長年の接客で培った勘から、信用できそうな人間を選んだってかまいはしない。
そこには誤りもあるだろうが、少なくともSNS上で生まれた物語に身を委ねるのではなく、自分の足で立ち、自分の頭で判断している。しかも、その選択を支えているのは、自分の持ち場で懸命に働くなかで得られた経験知だ。

闘う場所と判断する場所を間違ってはならない。魚屋は、明日も魚を売るその場所から、プライドを持って一票を投じるべきではないか。

----------

物江 潤(ものえ・じゅん)

作家・批評家

1985年福島県生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、東北電力、松下政経塾を経て、政治・社会・教育などについて執筆活動を続けている。著書に『空気が支配する国』(新潮新書)『入試改革はなぜ狂って見えるか』(ちくま新書)『現代人を救うアンパンマンの哲学』(朝日新書)など。近著に、尾崎行雄記念財団「咢堂ブックオブザイヤー2025」選挙部門大賞を受賞した『SNS選挙という罠』(平凡社新書)がある。

----------

(作家・批評家 物江 潤)
編集部おすすめ