■インド料理店が激増した裏に「ネパール人」
日本のインド料理店を手がけるのは、実はインド人よりもネパール人のほうが多い――。そんな話を聞いたことがあるかもしれませんが、実際、巷にある外国人経営のカジュアルなインド料理店は、ネパール人経営であることが多いです。
なぜ、こうした現象が起こっているのでしょうか。その端緒となったと考えられるのが、1970~80年代頃から本格的にでき始めた高級路線のインド料理店です。
豪華な内装のもとでレストランインド料理を提供するこうした店では、インド人とあわせ、ネパール人が多く雇われました。ネパールはインドの北隣りに位置し、文化的に重なる部分もあって、インド料理店との親和性が高いこともあったのでしょう。
そして、店で働いたネパール人たちは、そこで得たインド料理店のノウハウを携えて、独立して新たにインド料理店を開きます。開店にあたっては、故郷ネパールから人を新たに呼び寄せ、コックとして雇う。
さらには、そうしたコックたちがやがて独立し、また自身の店を開き、ネパールから人を呼ぶ――。そうした連鎖が加速したのが、2000年代以降だと考えられます。
そしていつからか、こうしたネパール人経営のインド料理店は「インド・ネパール料理店」、略してインネパ店と呼ばれるようになりました。
■100万~200万円を払って出稼ぎ
もともと、インド人やネパール人が海外で出稼ぎする際、仲介者やあっせん者に金銭を支払う、または借金をする習慣は19世紀のイギリス植民地時代からあったといわれます。外国人が新たにコックとして来日するには、働く店が決まっていないとビザが下りません。
それもあり、インネパ店の店主や仲介業者が来日志望のネパール人からビザ代、渡航費、手数料といった名目でお金をとって呼び寄せることが習慣化していきました。
その金額はおおよそ100万~200万円だったといわれ、実際に日本で働くネパール人コックの多くが、そうした形を通して来日したと見られます。
来日するネパール人にとっては、家族滞在の在留資格を利用すれば家族を呼び寄せられる点も、日本で出稼ぎを行う動機となりました。家族滞在で来日した家族は、許可を得ることで週28時間の就労ができ、夫はコックとして働き、妻はコンビニやホテルのベッドメイキングなどのパートをするという形が一般化していきます。
■3人→90人→270人と増えていく
一部のインネパ店の中には、数十店もの支店や系列店を展開するところもあります。
たとえば、支店を出すごとに3人のネパール人コックを呼び寄せ、計30支店を出したとすると、それだけで90人が新たに呼び寄せられます。さらに90人がまた独立してネパール人を呼び寄せるとなると、それが270人になる。
もちろん、全てのコックが独立するわけでは決してありませんが、こうして“親”が“子”を呼び、“子”が“孫”を呼び……という構図で、インネパ店は急速に増えていったようです。
結果として、都会では一つの駅の徒歩圏内に複数のインネパ店が軒を連ねるという現在の状況が生まれていきました。
それにしても、なぜこうしたインド料理店の激増が、インド人経営よりもネパール人経営の店で多く起こったのでしょうか。
いくつかの理由が考えられますが、まずは政治・経済が不安定なネパールを離れ、海外で働くネパール人が多いことです。2015年の統計では、ネパールの国内総生産の約3割を、ネパール国外で働く人たちからの送金が占めました。
■ネパール人は素直で柔軟性が高い
また、前述のようにインドとネパールでは文化が比較的重なることや、インド国内をはじめとする飲食店でインド料理を習得するネパール人が多いことも要因でしょう。
さらには、一般的にネパール人は素直で柔軟性が高いといわれ、雇われる側に回っても開業する側に回っても、その時々の状況に順応しやすい点も理由に挙がりそうです。
それにも関連しますが、インネパ店が高級路線のインド料理店をルーツに持ちながら総じてリーズナブルな価格設定を図ったことや、ナンを甘くふかふかにアレンジするなど日本人の嗜好に柔軟に合わせていったことも、インネパ店の隆盛(あるいは高級路線のお店の衰退)を後押ししたのかもしれません。
ポジティブ、ネガティブの両側面があるものの、少なくともこうしたインネパ店の増加によって、日本人にとってインド料理が身近な存在になったことは確かではないでしょうか。
■なぜインネパ店はどこも似ているのか
各地にあるインネパ店を見ていて感じるのが、メニューや設え、全体の雰囲気が、どこもやけに似ていることです。
まずは店名。よく目にするのが、ネパール語の挨拶「ナマステ」を冠したナマステ○○という名前や、「エベレスト」「ポカラ」「カトマンズ」「ヒマラヤ(ヒマール)」「ルンビニ」といったネパールの山や地名を取り入れたものです。
インネパ店のうちの相当数が、こうしたパターンのどれかに当てはまります。
店構えも同様です。
店内に入れば、壁にはヒマラヤ山脈のポスター、天井には青空柄の壁紙。メニューはナンとカレーのセットを前面に押し出し、メニューブックやチラシの構成・雰囲気まで判で押したように似ている――。
■失敗は許されないという切実な思い
まるでインネパ店という巨大なフランチャイズチェーンが存在し、全店共通のフォーマットが決められているかのようです。
もちろん実際には、同一オーナーが経営する系列店でない限り、各店は基本的に独立運営されています。それでもなぜ、似通った姿になるのでしょう。
その大きな理由の一つに挙げられるのが、インネパ店を手がけるネパール人にとって、店は自己実現の場というより、出稼ぎという“ビジネス”の場である点です。
だからこそ、出身元の店や成功している店のやり方を忠実に踏襲するのです。この商売をやっていくためには、これがルールなのだと考える経営者も少なくないでしょう。そうした裏には、家族や親戚からお金を集めてまで日本にやってきた以上、失敗は許されないという切実な思いもあるはずです。
■個性や差別化を追求する日本人との差
加えて、そもそも他のやり方に思いが至らないというケースも少なくないでしょう。
インネパ店以外の飲食業に携わった経験がなく、外食の機会もあまりない。
内外装の工事やメニュー作成などを依頼する先も、特定のネパール人業者に限られやすく、結果的にでき上がるものもテンプレート化していく。中には、独創的な店名やコンセプトを打ち出すインネパ店も確かに存在しますが、全体から見れば少数派です。
その点では、個性と差別化を追い求める日本人の飲食店経営者とは、ほぼ真逆のメンタリティーといえます。
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インド料理調査会(いんどりょうりちょうさかい)
インド、ネパールなどのインド亜大陸料理をこよなく愛するライター、編集者などがもっとその魅力を広めたいというところからスタートしたユニット。知れば知るほど知らないところが出てくる奥深きインド亜大陸の食文化を研究、調査することが趣味。
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小林 真樹(こばやし・まさき)
アジアハンター代表
インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とするアジアハンター代表。1990年頃からインド渡航開始。インド亜大陸の食文化が最大の関心事で、食器の仕入を兼ねてインド亜大陸各地を、営業を兼ねて日本全国各地を、それぞれくまなく食べ歩く。著書に『日本の中のインド亜大陸食紀行』『食べ歩くインド 増補改訂版』(以上、阿佐ヶ谷書院)、『インドの台所』(作品社)などがある。
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(インド料理調査会、アジアハンター代表 小林 真樹)

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