2026年7月4日、アメリカ合衆国は建国250周年を迎えます。私たち株式会社伊勢半は200年を超える歴史をもち、同じく7月に創業記念日(7月7日)を迎える化粧品メーカーです。
展開する「ヒロインメイク」は、現在アメリカ市場でも注目を集め存在感が増しています。この機会に改めて自社の歩みを振り返ってみたところ、アメリカは私たちにとって事業における重要なヒントを常に与えてくれる存在でした。

なかでも伊勢半グループを江戸創業の紅屋から総合化粧品メーカーへと転身させた、6代目・澤田亀之助(1914~2007)は、アメリカとの関係を起点に革新を生み出してきた経営者でした。今回は亀之助が残した当時のエピソードを基に、伊勢半とアメリカの長年にわたる歩みについてご紹介します――。

アメリカ建国250周年に振り返る――伊勢半200年、“革新”を生んだアメリカでの学び


伊勢半6代目当主・澤田亀之助(1914~2007)

アメリカ建国250周年とともに振り返る、伊勢半「革新の源泉」

株式会社伊勢半は1825年に日本伝統の化粧品「紅」をつくる紅屋「伊勢屋半右衛門(通称:伊勢半)」として創業し、日本の化粧文化とともに歩んできました。その200年にわたる歴史の中で、アメリカとの関係は単なる海外市場ではなく、事業変革のターニングポイントとして存在してきたといえます。特に象徴的なのが、6代目当主・澤田亀之助の存在です。

亀之助は早くから海外にも目を向け、戦前にはすでにアメリカへの輸出も積極的に行っていました。当時について記した社史には、アメリカのみならずアジア・中東・南米など、各国のニーズに応じた商品・ブランドを展開していた記録も見られ、亀之助の海外志向がうかがえます。こうした姿勢が、後の商品開発や販売戦略においても重要な土台となりました。アメリカ建国250周年という節目は、伊勢半にとって自社の「革新の源泉」がどこにあったのかを改めて知る機会でもあるのです。

アメリカ建国250周年に振り返る――伊勢半200年、“革新”を生んだアメリカでの学び


戦前、伊勢半が海外向けに販売していた口紅

アメリカから来た1本の口紅がもたらした挑戦と教訓

伊勢半には事業に大切な教訓を与えた、あるエピソードがあります。それは、戦前にアメリカから持ち込まれた1本の口紅がきっかけでした――。

取引先から「こんなものは作れないか?」と渡された口紅は、従来の日本製とは異なる、ねっとりとした質感の口紅で、当時日本ではまだ例がないものでした。
「ライバルが現れる前に、時代を先取りして新しい口紅をつくり出そう」と、紅屋としての矜持を胸に亀之助(当時は森龍右衛門)は、この未知の品質にいち早く挑戦します。

持ち込まれた口紅をさまざまな方法で分析してみるも、成分の詳細は容易には判明せず、開発は難航しました。そこで亀之助は一般的な理論に頼ることをやめ「実験あるのみ」と、地道に試作を繰り返しながら原料・配合を究明していくことにしました。昼間は紅屋の仕事に勤しみ、夜はひとり実験を重ねる日々。そして連夜にわたる試行錯誤の末、ついにアメリカ製に劣らない質感の国産口紅の開発に成功しました。

しかし、結果は必ずしも成功とは言えませんでした。品質は申し分なかったものの、宣伝不足により日本人にまだなじみのなかった質感の口紅は市場に受け入れられず、売上にはつながらなかったのです。

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当時日本では、ねっとりとした着け心地&高発色な油性口紅とは逆の

さらっとした使い心地で自然な発色の口紅(写真)が好まれた



この経験について亀之助は、「製品が優秀でも、宣伝が効果的でなければ売れない」という教訓を得たと語っています。同時に「これからは宣伝の時代だ」とその重要性を胸に刻みました。この苦い教訓が、戦後にユニークな宣伝コピーやプロモーションを次々と打ち出し、世の中を席捲する礎となりました。

日本の化粧品販売に革新をもたらしたアメリカ視察

現在、皆さんがよく目にする化粧品売場の礎を生み出す契機となったのが、1951年のアメリカ視察です。亀之助は日本の化粧品業界の先陣を切り、戦後初のアメリカ視察へ赴きました。当時、サンフランシスコ平和条約の調印前ということもあり、海外へ向かう日本人はまだ少ない時代でした。


現地の化粧品市場を自ら見て回るなかで亀之助は「戦後復興していくこれからの日本では化粧品の需要は確実に伸びていくに違いない。戦後間もない品不足による売り手市場は終わり、これからは消費動向をしっかりつかんだ売り方が必要だ。」と考えはじめていました。

アメリカ建国250周年に振り返る――伊勢半200年、“革新”を生んだアメリカでの学び


アメリカでの見聞を記したノート(左)とサンフランシスコでの亀之助(右)

なかでも、最も印象的だったのはスーパーマーケットにおける化粧品販売の光景でした。当時の日本はまだスーパーやドラッグストアもなく、食品・日用品を購入する場で化粧品を売るという概念すらありませんでした。

そんななか、亀之助がアメリカのスーパーで目にした、人々がひとりで自由に化粧品を手に取って購入していく「セルフ販売」スタイル。これこそが、専門店での対面販売が一般的だった日本の化粧品業界にとって、売り方の概念を変える出会いだったのです。

「これから日本にもスーパーで気軽に化粧品を購入できる時代が来る!」と確信した亀之助は、アメリカで得た着想をもとにトライ&エラーを重ね、1966年にPSP(パーフェクト・セルフ・パッケージ)システムを日本の化粧品業界へ初導入しました。個包装された商品をフックに並べ、説明を読んで自ら選ぶ仕組みは、日本の化粧品売場の常識を大きく変え、現在では主流の売り方のひとつになりました。

アメリカ建国250周年に振り返る――伊勢半200年、“革新”を生んだアメリカでの学び


日本の化粧品業界に「セルフ販売」の革新をもたらしたPSPシステム



さらに、視察は商品開発にも影響を与えました。亀之助はニューヨークのレブロン、コティ、ヘレナ・ルビンスタイン、シカゴのコルゲートなど、アメリカの化粧品ブランドを訪ね歩きました。現地でたくさんの化粧品を入手し、日本へ持ち帰り日本製の化粧品開発に勤しみます。

当時アメリカで流行していた「落ちにくい口紅」をヒントにした「キスミースーパー口紅」は、「キッスしても落ちない」という印象的な宣伝コピーで1955年に売り出され、圧倒的な売れ行きで社会的なセンセーションを巻き起こしました。

亀之助は「この好機を逃してはいけない」と、社運をかけるほどの勢いで生産・販売に努め、この「キスミースーパー口紅」のヒットは、口紅市場においてやや有利に過ぎなかった伊勢半の地位を、ゆるぎないものにするきっかけとなりました。

アメリカ建国250周年に振り返る――伊勢半200年、“革新”を生んだアメリカでの学び


キスミースーパー口紅

外国人の男女がいまにも口づけしそうなビジュアルと「キッスしても落ちない」の

コピーを用いた広告は世の中にセンセーションを巻き起こした

学びの地から挑戦の舞台へ――伊勢半グローバル戦略の現在地

かつてアメリカから数多くのヒントを得て、化粧品メーカーとして成長を遂げてきた伊勢半。現在では日本のみならずグローバル市場でも存在感を高めており、アメリカはその重要な舞台のひとつです。特に「ヒロインメイク」はインバウンド需要の高まりや、SNSを起点に認知を広げ、現地消費者からの支持を拡大しています。

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ヒロインメイク海外向け英語パッケージ



アメリカ建国250周年に振り返る――伊勢半200年、“革新”を生んだアメリカでの学び


アメリカでのSNS施策

かつては在米日本人やアジア系ユーザーが中心でしたが、現在ではそれだけにとどまらない幅広い層へと支持が広がっています。日本ならではの品質や機能性に加え、オリジナルキャラクター「エリザベート・姫子」を活用したブランディングにも注目が集まっています。

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アメリカ最大級の化粧品展示会「Cosmoprof North America」の様子

伊勢半はアメリカから新たな価値を学びながら進化を遂げてきました。そして今、日本発の価値をアメリカへ発信する存在へと変わりつつあります。私たちはこれからもアメリカをはじめ、世界で見聞を広げながら新たな価値創造に挑み続けていきます。

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