Photo by Mara Salerno
消えるために、日本へ帰る
私たちが世界へと活動の場を広げるほど、私たち自身は小さくなっていった。
そして不思議なことに、小さくなるほど、私たちは強くなった。
本来、この原稿では次のツアーについて書くはずだった。
けれど、結果的には、私たちが手放すと決めたすべてのものについて書くことになった。
何年ものあいだ、私たちは成長とは、より多くのものを加えていくことだと信じていた。より多くの経験、より多くの楽器、より多くの人、より多くの可能性。今は、その逆だと考えている。旅をするたびに、私たちは何かを削ぎ落としてきた。遠くへ行けば行くほど、私たちの音楽はより凝縮されていった。
私たちが占める場所は、以前より小さい。
けれど、そこに宿る引力は、はるかに大きくなった。
Little Boysは2020年の冬、飛行機の中で交わしたひとつの賭けをきっかけに、日本で生まれた。けれど、「私たちは日本で生まれた」と言うとき、それは単に私たちの物語が始まった場所を指しているわけではない。
日本は、私たちに何かの答えや型を与えてくれたわけではなかった。
奇妙な存在になってもいいのだと、背中を押してくれた。
イタリアや普段の生活から遠く離れた場所で、私たちは、それまで存在することすら知らなかった可能性を目にした。戦略などなかった。長期的な計画もなかった。あったのは、好奇心だけだった。
Little Boysはおそらく、日常のルーティンの中では決して生まれなかった。遅かれ早かれ、そのアイデアが現実になる前に、現実のほうがそれを正してしまっていただろう。
日本は、そうしなかった。
私たちがそのアイデアの行く先を追いかけることを許してくれた。
それ以来、私たちは新しい世界を探し続けてきた。それは、自分たちが何者なのかについて抱いていた考えを確かめるためではない。その考えを、何度でも揺さぶり、問い直すためだ。
中国が教えてくれたのは、耐え抜く方法ではなかった
中国では16公演以上を行い、北から南まで国を縦断するように旅をした。
こうやって文字にすると、ひとつの成果のように聞こえる。
でも、その渦中にいた私たちにとっては、むしろ何かを削ぎ落としていく過程だった。
8時間、9時間、ときには10時間に及ぶ移動。
ほとんど毎晩ライブがあった。
睡眠時間はごくわずか。
食事をする時間さえ、まともに取れなかった。
1カ月以上にわたって、私たちの生活はただひとつのことを中心に回っていた。次のステージだ。
疲れ果て、空腹で、明日がどうなるのかも分からない。そんな状況になると、もう高揚感だけを頼りにすることはできない。
最後に残るのは、音楽だけだ。
そこで初めて、自分たちが築いてきたものが、本当にそれだけで成り立つのかが分かる。
中国が私たちに教えてくれたのは、耐え抜く方法ではなかった。
余計なものを削ぎ落とす方法だった。
必要最低限のものだけになるまで削ぎ落とされたとき、音楽そのものもまた、なくてはならないものでなければならない。
それ以外のものは、自然と剥がれ落ちていく。
私たちは多くのものを失った。
幸い、Little Boysはそのひとつではなかった。
本来なら弱くなっていてもおかしくないような状況のなかで、私たちの音楽はむしろ強くなった。
もしかすると、アイデンティティとは見つけるものではないのかもしれない。
最後まで残ったものこそが、アイデンティティなのだ。
完璧な問題
その発見は、ツアーへの向き合い方を変えただけではなかった。
あらゆる表現上の判断の仕方まで変えた。
私は何年ものあいだ、一般的な右利き用ギターを、弦の並びを逆にすることなく左利きで弾いてきた。
ほとんどの人にとって、それは単なる間違いだ。
でも私にとっては、ひとつの言語になった。
いわゆる王道のギターソロには興味がない。
できるだけ複雑なコードを弾くことにも興味がない。
私が探しているのは、もっとずっと難しいものだ。
もっとずっと身体的で、本能に訴えかけるもの。
私は、もっと深く掘り下げたい。
私のギターは、決して出来のいいものではない。実際のところ、かなり弾きにくいということに、たぶんほとんどの人は気づいていない。
ネックは反っている。
すぐにチューニングが狂う。
まさに、そういう困難を私は求めている。
どのライブも、探求でなければならない。
だから私たちは、決まりきったセットリストを使わない。
だから観客に向けて話す内容も、あらかじめ用意しない。
毎晩、予想もしていなかった何かが起こる余地を残しておかなければならない。
私が使うギターでさえ、意図的にそう選んでいる。
今でも多くの人は、もっと弾きやすいギターにすべきだと思っている。
私が求めているのは、その逆だ。
このツアーの少し前、イタリアのあるルシアー(職人)が、完全なオーダーメイドのギターを無償で作ると申し出てくれた。
完璧なネック。
完璧なフレット。
完璧な木材。
完璧なピックアップ。
私の弾き方に合わせて特別に設計された響き。
彼がそのギターについて説明すればするほど、私は居心地の悪さを感じるようになった。
最初は、その理由が自分でも分からなかった。
何日も考え続けた。
それから彼に電話をかけ直した。
この話は全部なかったことにしてほしいと伝えた。
そのとき初めて、自分の中で何が起きていたのかが分かった。
私に必要なのは、完璧なギターではなかった。
弾きにくいギターを弾き続ける必要があった。
完璧な楽器を自分の手にできると分かった瞬間、私は心の底から惨めな気持ちになった。
それを手放した瞬間、また自由になれた。
そのとき、私には嫌いになれるギターが必要なのだと気づいた。
私の本当のサウンドは、そこから生まれるからだ。
そして、自分が本当は何を探していたのかが分かった。
完璧な問題だ。
問題の中には、解決するためにあるのではないものもある。
自ら選ぶためにあるものもある。
だから私たちは、ずっとデュオのままでいる。
だから今でもライブ録音をする。
だからライブを安全すぎるものにしてしまうものは、すべて拒む。
少なくとも私たちにとって、完全な自由は、かえって焦点を散らしてしまうのだと分かった。
創造性は、自ら選び、あえて越えないと決めた制約から生まれる。
自分の欠点を守り抜く
何年ものあいだ、私は自分の欠点だと思っていたものを直そうとしてきた。
でもやがて、それこそが、ほかの誰にも本当の意味では真似できない、自分だけの部分なのだと気づいた。
世の中が私たちに「自分たちを正す方法」を差し出すたびに、私たちはそれに従うのではなく、自分たちをほかとは違う存在にしているものを、さらに突き詰めることを選んできた。
技術は学ぶことができる。
アイデンティティを手に入れるには、代償を払わなければならない。
その代償とは、自分を誰かと取り替え可能な存在にしているものを、すべて手放すことだ。
今の私は、何でもできるアーティストにはもう興味がない。
私が惹かれるのは、ほかの誰かの手では決して同じように存在しえないアーティストだ。
私たちは、Little Boysを「可能な限り最高のバージョン」にしたいわけではない。
Little BoysがLittle Boysとして存在することを妨げているものを、すべて取り除きたい。
より小さく。
より濃密に。
より無防備に。
私たちが白い服を着ることにしたのも、まったく同じ哲学からだ。
白ほど、ごまかしの利かない色はない。
本当にロックンロールを演奏していれば、血を流す。
油で汚れる。
ステージの埃にもまみれる。
だから私たちのステージ衣装は、時間の経過を目に見える形で刻むタイマーのようなものだ。
ツアーが終わる頃には、私たちの服とギターが、私たち自身よりも雄弁にその物語を語っているはずだ。
前回日本を訪れたとき、私たちは相撲を観戦した。
私がこれまで目にしたものの中でも、あれは最高にロックンロールなもののひとつだった。
ふたりだけ。
隠れる場所はない。
逃げ道もない。
そこにあるのは、ただ存在そのものだけだ。
土俵の上では、何ひとつごまかせない。
そのとき私はこう思った。
これこそがロックンロールだ。
次の私たちのライブも、こんなふうに感じられるものにしたい。私たちは、旅立ったときと同じバンドのままでは帰ってこない
この2年のあいだに、何かが変わった。
以前は、それぞれが単発の機会の連続のように感じられていたものが、少しずつひとつの道としてつながり始めた。
ひとつのツアーが、次のツアーへつながる。
ひとつの出会いが、コラボレーションへの扉を開く。
ひとつのコラボレーションが、サウンドを変える。
ひとつの国が、必然的に次の国へと私たちを導いていく。
初めて、私たちがチャンスを追いかけているようには感じなくなった。
むしろ、チャンスのほうが私たちを前へと引っ張っているように感じる。
あと数週間もすれば、私たちはこれまでで最も野心的なプロジェクトを始める。
1カ月以上にわたって、韓国各地でロックンロールを鳴らして回る。
18公演以上。
大規模なフェスティバルにもひとつ出演する。
済州島まで行く。
きっと苦しいツアーになると思う。
毎晩、その状況をくぐり抜けて最後に残ったものから、音楽が無理やり絞り出されるようであってほしい。
ひとつひとつのライブが、次のライブを作り変えていってほしい。
快適さはいらない。
欲しいのは摩擦だ。
ツアーも半ばを迎える頃には、エッセ(Dr)は私のことを嫌いになっていると思う。
いや……。
そうなっていてほしい。
もしそうなったなら、おそらく私たちがまだ何かを探し続けているということだから。
そして、そのあと私たちは日本へ戻る。
単に地図上で次の目的地だからではない。
なぜか今、すべてがそこへと戻っていくように感じるからだ。
日本が初めて私たちを見たとき、そこで目撃されたのはLittle Boysの誕生だった。
今度、日本が目撃するのは、そこから生き残ったものだ。
東京のステージに立つとき、私たちはイタリアを旅立ったときと同じバンドではない。
日本、中国、韓国を渡り歩き、そのあいだずっと、最も楽ではない道を選び続けてきたバンドになっている。
どの国も、私たちから何かを奪っていった。
それでも、Little Boysだけは、どの国にも奪うことができなかった。
ツアーが終わったら、私たちは祖谷渓(徳島県)にこもり、次のアルバムをレコーディングする。
そして、しばらく姿を消す。
もっと人気を得たいわけではない。
もっと真似のできない存在になりたい。
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