「東京ではお金を消費しなければ一日が埋まらなかった」。 そう語る石垣勇(いしがき・いさむ)さん(51歳)は、11年前、40歳のときに東京のマンションを売却し、未経験から林業を学ぶために岐阜県へと移住した。
「あと30年も同じ仕事を続けるのか」という自問自答、マンション高値売却という不動産の転機、そして移住後に手に入れた「残業ゼロ・暗くなったら仕事終了」という人間らしい暮らし。人生100年時代、40代・50代からの「住まいと働き方のスマートなシフト」について、石垣さんのリアルな選択を伺った。
「あと30年もこの仕事を?」都内マンション売却が40歳の転機に
現在、石垣さんは、園芸・農業用資材の製造販売や環境リサイクル事業を手がける企業「自然応用科学株式会社」の林業部門に所属。自社の林を中心に木々の伐採、運搬、植林などを行っている。
林業を学ぶために森林や木材、建築を総合的に学べる、全国でも珍しい岐阜県立の専門職大学校「森林文化アカデミー」への入学を決意し、岐阜に移住したのは40歳のとき。普通ならば体力が衰え始める年齢だが、自然相手の、屋外で身体を動かす仕事に挑戦することにしたのだ。「確かに体力勝負ではありますが、むしろ健康的になった気がします。体力がつきました」と話す石垣さん。
本社は名古屋だが、岐阜県内の複数の市町村をまたぐロケーションに約4500haの自社林を持っており、その管理が石垣さんの主な業務(写真撮影/本美安浩)
石垣さんの前職は、デパ地下などに展開する惣菜店の店長。東京で忙しくも充実した日々を送っていたが、漠然と自身の人生に疑問を抱いたのは35歳のときだった。
「ずっと建物の中にいるわけですよ。仕事も会社も愛着があったけれど、“このまま、あと30年もずっと、空も見えないところで働き続けるのかなぁ”と考えるようになりました。とはいえ、新しいことを始めるには遅い年齢だと分かってはいるものの、何がやりたいか思いつかず、動けないでいました。
そんなある日、高尾山で登山をしていると、作業着で山の中に入っていく集団に気づいた。
「あれ?なんの仕事だろうって思ったんです。なにか調査のための入山だったようですが、ふと、『山の中で暮らして働くという生き方もありかもしれない』と思ったんです。そこから調べるうちに、 “林業”という選択肢に心惹かれるようになりました」
そこで石垣さんは、まず東京都林業労働力確保支援センターに相談に赴いた。しかし、そこで告げられたのは厳しい現実だった。
「東京含め関東で林業に従事しようと思うと、事業体の数が少ないうえ、僕のように35歳を超えている場合は難しいかもしれない、全国に目を向けた方がいい、というアドバイスを受けました。そこで、“移住”という選択を視野に入れ始めました」
次に訪れたのは、有楽町の東京交通会館にある全国の移住相談窓口が集まったフロアだ。
「当初は海も山も川もある高知県に興味があったんです。たまたま近くの岐阜県のブースも立ち寄ってみたら、担当の方が、僕と同じ埼玉県出身で岐阜が大好きという方で、すっかり話が盛り上がって。そこで、岐阜県立森林文化アカデミーのことを教えてもらいました。まず2年間、林業についてきちんと学んでから現場に行く選択肢もあるんだと知り、その後東京で開催されたイベントに参加しました。いきなり未経験で飛び込むよりは、ある程度学んでから働けるルートがあるのが良かったんです」
不安だった購入したマンションの売却も、マンション相場の上昇傾向を受け、買ったときよりも高く売却でき、とんとん拍子で移住が決まった。
グラップルという林業機械で伐採した木材を運ぶ。免許も岐阜に来てから取得した(写真撮影/本美安浩)
伐採した後は植樹する。シカ対策で、1本1本囲いをつけるのも業務のひとつだ(写真撮影/本美安浩)
普段、現場は1チーム3~4名で動く。ワイヤーを高く張り上げて、山の上部で伐採した木材を運び出す作業をしている様子(画像提供/自然応用科学株式会社)
40歳未経験で「森を学び直す」贅沢。接客スキルが活きた新規事業
「アカデミーで学んだ2年間は楽しかったです。学生時代が再び戻ってきた感覚ですし、林業がこんなにも学ぶことが多いんだと初めて知りました。40代で新たなことを吸収するのは大変ですけど、面白かったんです」
卒業後はガーデニング・農業用資材を扱う企業に就職した。タイミングよく新規事業として林業部門を立ち上げるための増員があったのだ。主な業務は自社林を中心とした森林環境の整備だが、意外にも前職の接客スキルが活かされている。
「自社林の管理がメインですが、効率よく伐採した木を運搬するために、周囲の山を所有されている方に交渉することもあります。それには前職の接客スキルが大いに役立っていると思います。というか、最初からそういう面を期待されての採用だったと思います。
事務方スタッフと談笑。朝イチで事務所に出社したあと、現場へ移動する(写真撮影/本美安浩)
自社林へ。一時期は事務と現場を兼任していたが、現在は「現場をやりたい」という自身の希望から、木を伐る日々を送っている(写真撮影/本美安浩)
暗くなったら仕事終了。広すぎる古民家で保護猫と過ごす充実の日常
現在の住まいは「自分が活動する山の近くに住みたい」と、当時の上司に相談して紹介してもらった古民家。ずっと空き家で使われておらず、一人暮らしには広すぎるほど。
「どこからが敷地か、境目も広さも分からないほど(笑)。使っているのは母屋の1階のみで、2つある離れも使っていません」
石垣さんが暮らす古民家。「離れだけでなく、田んぼや牛舎があります」(写真撮影/本美安浩)
現在の岐阜での生活は、東京時代とは劇的に異なるものだ。家に帰ったら屋根にサルがいたり、シカが道を塞いでいてなかなかどいてくれないこともあった。「想定外なことがたくさん起きます」と石垣さんは笑う。
「周囲は昔から暮らしている方々ばかりなので、自治会の年末総会に参加して、皆さんの前で挨拶をしました。今では、ご近所さんが自分の畑で採れた野菜を玄関の前に置いてくれたり、東京では味わえないご近所付き合いをしています」
日本家屋の建具が懐かしい、石垣さんが暮らす古民家。
湿気がすごいので、洋服類は収納に入れず部屋全体に吊るしている。床の間には趣味のスノーボードと、元から古民家にあった“なんとなく縁起が良さそうなもの“を飾っている(写真撮影/本美安浩)
倉庫には農作業の道具がずらり。「元の持ち主のものもあります。庭で農業も始めたいとは思っているのですが、草刈で一日が終わり、なかなか始められないでいます(笑)」(写真撮影/本美安浩)
何より、岐阜での生活で最も大きな変化は、時間とお金の使い方である。
「とりあえず残業がなくなりました。暗くなったら仕事が終わりますから。東京ではお金を消費しなければ一日が埋まらなかったけど、今は家を片付けたり、草を刈ったり、庭をいじったりしているだけで、充実した一日が過ぎていくんです。ああ、人間らしい暮らしをしているなと実感します。気軽に山に行けるようになったので、冬場は趣味だったスノーボードを再開できたのも良かったです」
もともと洋服が好きだったが、ここでは着ていく場所もないので出費しなくなった。「昔は海外ブランドのアウトドアアイテムが好きでしたが、ワークマンを知って感動しましたね。
同僚たちとBBQ。以前の職場ではシフト制なので同僚とオフを過ごすことはできなかったが、ここでは可能(写真提供/自然応用科学株式会社)
充実した山の暮らしだが、「体力は必要」と痛感している。
「身体を動かしたりして、健康には気を付けています。現在51歳ですが、ここで体力をつけておけば、60代、70代になったときにきっと心強い。前の会社にいたら可もなく不可もなく、日々を淡々と過ごしていただけかもしれない。僕は変化や挑戦がある人生の方が好きなので、今回自ら動いたことで、自分の人生にいい波を起こせたと思っています」
現在51歳になった石垣さん。「今が人生で一番健康かもしれません」(写真撮影/本美安浩)
20~60代の都会人が殺到! 自ら動き「人生に波を起こす」大人たち
石垣さんが2年間通った「岐阜県立森林文化アカデミー」にも話を伺った。
近年、林業の担い手を育てるために全国の自治体が「林業大学校(林大)」などの専門研修機関を相次いで開設しているが、同校が現在の「総合的に森を学ぶスタイル」になってからは25年以上の歴史があり、まさにその先駆的存在といえる。
なかでも珍しいのが、石垣さんが在籍していた「森と木のクリエーター科」。
「技術者を育てるエンジニア科は、主に高卒者が対象ですが、クリエーター科は22歳以上が対象。自ずと社会人経験者や大卒者が中心で、年齢層も20代から60代までと極めて幅広いんです」と話すのは、同アカデミーの准教授、杉本和也(すぎもと・かずや)先生。
自分の研究テーマやビジネスプランを形にするという、大学院のゼミに近いスタイルが特徴的。石垣さんのように「林業」を生業にする人もいるが、自然を体験させる教育機関のスタッフになる人、木造建築の建築士になる人、木工房の職人になる人と、卒業後の進路は幅広い。
「自らテーマを見つけて課題解決に挑む卒業研究もあります。なかには在校中に起業を試みる学生もいるなど、いわゆる“一方的に技術を学ぶ学校”というイメージとは一線を画していますね。すでに社会人経験を積んでいる人が多く、定年後に社会とのつながりを求めて入学する人もいれば、受講と併せて地方へ移住してくるケースもあります。ほとんどが県外からの移住者で、都市部から来る人が多いですね。都会での生活を経て、将来を見つめ直し、新たな暮らし方、働き方を求めているんだと思います」と杉本先生。
卒業生が古民家を改修し、そこをシェアハウスとして学生に貸し出すケースもあり、学校が地域課題解決の場となっている。
岐阜県美濃市にある岐阜県立森林文化アカデミー。6.4haの緑豊かな敷地に広がる木造建築の校舎群が美しい(画像提供/岐阜県立森林文化アカデミー)
森林文化アカデミー准教授の杉本和也先生。京都大学農学研究科を卒業。専門は森林利用学、木材生産システム、生産管理、作業道配置や林業機械の効率的運用シミュレーションなど。世界伐木チャンピオンシップに日本代表として出場した経験を持つ(写真撮影/本美安浩)
柱と梁の見える10m×10mの大空間が学びの場となる林業機械学習棟(写真撮影/本美安浩)
100年後の未来に働いた証を残す。短期利益の対極にある林業のロマン
同校・林学専攻の在校生の方々にもインタビューをした。
大阪府で化学製品メーカーの営業職を21年間務めた毛利剛(もうり・つよし)さんは、登山という趣味が高じて、まず岐阜への移住を決意した。
「山で暮らすなら仕事は?と考えたときに、林業しか思いつかなかったんです。どうせやるならきちんと学んでからと考えました」と入学の動機を語る。現在は兵庫県に妻を残し、単身で岐阜で暮らしている。
生活環境は激変した。「満員電車で1時間かけていた前職とは違い、今は車で15分。渋滞もありません。早起きして体を動かし、夜は早く寝る。そんな健康的な日々の中で、知らない木を調べては知識を蓄積していく暮らしがとても心地いいです」
50歳になる前のジョブチェンジ。「山の近くで暮らすという選択があることを会社員時代は思いもよりませんでした。決意してよかったです」(写真撮影/本美安浩)
吉田大記(よしだ・だいき)さんの前職は警察官。しかも中間管理職という立場で、安定した将来が約束されていたが、彼はあえて「ゼロスタート」の道を選んだ。
「確かに40代で辞める警察官は珍しいと思います。でも想像できる未来を歩むのは面白くない、新しいことに挑戦するなら今しかないと思ったんです。山で暮らしてみたい。身体を動かすのも好きだ。ということで林業を選びました」
林業の知識はほとんどなかったが、今では学ぶ楽しさに目覚め、休日でも学校に足を運んでいる。
「例えば木を伐っても道がないと搬出できない。いかに壊れない道をつくるかを学んでいます」
都会の生活とは違い、コンビニも近くにはない。「地元で取れた野菜を道の駅などで買うようになりました」(写真撮影/本美安浩)
栃木県日光市出身の長航介(ちょう・こうすけ)さんは、ホテルの経理として5年間働いていた。しかし、心の中にあったのは、かつて造林作業に従事していた祖母と同じ「山の仕事」への憧れだった。
「1950~60年代の拡大造林の時代、祖母は植栽の作業をしていました。日光は観光地ですが、山がすぐそばにある環境で育ちました。伐採された木がどう活かされるのか、建築や木工はもちろん環境教育まで幅広く学べることから、アカデミーへの進学を決めました。デスクワークだった前職とは正反対の体力勝負の世界ですが、演習林で木を伐倒する実習は本当に面白いです」
現在はシェアハウスで仲間と過ごしながら、現場技能を磨き続けている(写真撮影/本美安浩)
AIの進化によって仕事の在り方が大きく変わりつつある現代。特にホワイトカラーはその影響を強く受けている。
杉本さんはまさにそれを実感し、林業の価値をこう説く。
「AIを使えば誰でも答えにたどり着けますが、リアルな体験を通じて身につく感覚は自分の中に蓄積されていくでしょう。自分が木を伐れば森の姿が変わる。自分が働いた証が残る。この感覚は現代にはとても貴重だと思います。しかも、林業はとても長いスパンです。100年、200年という長いスパンで森を育てる仕事は、決して自分の代だけでは完結しないんです。伐ったら植える。この積み重ねを前世代から引き継ぎ、次の世代に引き継ぐのが我々の役割です。こんな仕事は他にないでしょう」
学生数と教員数が2:1の少人数体制で手厚く指導が受けられる(写真撮影/本美安浩)
短期的な利益や即時的な結果が求められる現代社会において、次の世代に森をつなぐ林業の在り方は対極に位置する。「山の中で暮らしたい」という個人的な想いが、100年後の森の未来につながるのはロマンチックですらある。「ホワイトカラー職の人員整理が進む一方で、専門性の高いブルーカラー職の需要は高まり給与も上昇」という記事がネットニュースになるなか、働き方、暮らし方の変化はさらに進むかもしれない。
出典:ブルーカラーの給与が伸びる:ホワイトカラーは専門職と事務職で明暗 | nippon.com
●取材協力
自然応用科学株式会社
岐阜県立森林文化アカデミー

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