宮崎駿(※「崎」は「たつさき」)はその想像世界をいかなる彩(いろどり)で描いたか。赤坂憲雄さんの新刊『宮崎駿の詩学』は、前著『ナウシカ考』からさらに飛翔し、「未来少年コナン」から「君たちはどう生きるか」に至るまで、数多の宮崎アニメを横断的に見渡しながら、地・水・火・風・空という五元素を通じてその輪郭を書き顕わした、宮崎駿論の集大成的一冊です。
その刊行を記念し、対談のお相手としてご登場いただいたのが、三浦しをんさん。言わずと知れたジブリファンである三浦さんは、今回『宮崎駿の詩学』を読んで、あらためて作品世界の自由な広がりを感じられたそう。
そして赤坂さんもまた、このたび刊行された「カリスマ」をめぐる三浦さんの短編小説集『夜の恩寵』を、民俗学的視点も取りながら楽しく読まれたといいます。
お互いの新刊について、たっぷり感想を語り合っていただきました。
構成/瀧井朝世 撮影/神ノ川智早
お二人のつながり
三浦 赤坂さんとは、私が二十歳くらいの時に遠野でお会いしたのが最初ですよね。
赤坂 僕がしをんさんのお父さん、三浦佑之さんと『遠野物語』のゼミナールの主催者側にいたんですよね。あの時はしをんさん、高熱を出してましたね。
三浦 腸炎か何かで四十度以上の熱が出て、ずっとホテルで寝込んでいました。私、赤坂さんと父がどういう関係なのか全然把握してないんですけれど、研究仲間?
赤坂 そうかもしれない。
三浦 仲良しだとは聞いているんですけれど、父が勝手にそう思っているだけなんじゃないかって心配してます。
赤坂 違う違う。親友です。佑之さんが僕の六歳年上なので、ロールモデルのように眺めています。
三浦 ああ、よくないロールモデルを……。
赤坂 娘さんからはけちょんけちょんに言われていますけれど、僕にとっては大好きな男です。
三浦 私とは、赤坂さんが『ナウシカ考』を出された時にイベントでお話ししましたよね。
赤坂 あれはありがとうございました。
三浦 あの時も楽しかったんですけれど、新作の『宮崎駿の詩学』も、あの宮崎作品のあの場面はこういう見方もできるのか、というのが分かって、ものすごく楽しかったです。評論家ではない私のような人間は、ただ楽しく宮崎アニメを観てきたと思うんです。そうするとどうしてもキャラクターの魅力やアニメの動きの魅力、ストーリーの魅力に没入するから、ひとつひとつのシーンを落ち着いて分析していないんですよ。そういう人間にとって、この本はすごく理解や発見を助けてくれます。このご本は、作品ごとに分析しているのではなくて、地の章、水の章、火の章とかに分けられてあって、各章でいろんな宮崎作品に触れられていますね。
赤坂 宮崎駿論はすでにたくさんありますが、ほとんどは作品論なんですね。だから、違う枠組みにしてみたらどうだろうと考えました。でも、そこまで厳密に計算してやっているわけじゃないです。
三浦 五輪って、その五つを表わしているんですか。
赤坂 そうですね。要するに世界を表象しているんだと思います。それで、「すばる」での連載を始める時に、宮崎駿作品を地・水・火・風・空の枠組みを借りて読み解いてみようと思ったのです。そういう目で眺めると作品論では見えない繋がりや反復がたくさん出てくるという予感がありました。それで、事前にこの章ではこれを書こうなどとは決めずに、白紙の状態で書き始めたんです。
三浦 それでよくこんなふうに、緻密かつ自在にお書きになれますね。
赤坂 僕はいつもそういう書き方なんです。そうすると、書きながら、「地」の章ならあれがあるな、そういえばこれもあるな、といろいろ見えてくるところがあるんです。
三浦 このご本は、いろいろな宮崎作品を自由に渡り歩きますよね。イメージに導かれるままに、あっちの作品はこうだった、こっちはこうだった、と深めていく。読んでいると私たち読者も、あのシーンは確かにそういうふうに受け止められるなとか、じゃああのシーンはどうだったんだろうとか、かつて観た宮崎アニメのシーンのあれこれが思い浮かんでくるんです。だから読者にとっても、宮崎アニメを観た時の自分をもう一回たどる旅になるんですよ。それがすごく楽しかったんですよね。
赤坂 そういうふうに読んでくれる読者が一人でも二人でもいると嬉しいですね。
三浦 いっぱいいらっしゃると思います。
赤坂 僕自身も断片的な風景や情景を呼び覚ましながら、この場面は「地」というまなざして見るとこんなふうに見えるけれども、「火」というまなざしで見ると全然違って見える、などと発見していきました。同じシーンが何度も出てくるので、繰り返してばかりだとか言われるんだろうけれども、そこは許してもらおうと思って。
三浦 何度も出てくるのは当然ですよ。
赤坂 まあ、みんな僕の妄想みたいなものだから。
三浦 妄想とおっしゃったけれど、自由な空想と想像力を働かせてお書きになっていて、すごく豊潤な評論という気がしました。
赤坂 それは嬉しいですね。
三浦 ここで「この場面はこういうふうに読み解けます」みたいにかっちり分析されすぎてしまうと、今度は宮崎駿の作品自体がその枠にはめられて縮こまっちゃう気がするんです。でもそうではなく、ひたすら広がっていくというか。
赤坂 ありがとうございます。自分が見取り図を持たずに書いているから広がっていくのかもしれませんね。「すばる」の連載を始めた後になるんですが、宮崎駿さんの『イメージボード全集』の刊行が始まったんですよ。これは連載中もずいぶん眺めました。宮崎さんは「ルパン三世 カリオストロの城」で興行的に失敗して、三年間くらいほとんど仕事がなくなるんですが、その間に膨大な量のイメージボードを描いている。それらも収録した全集です。
宮崎さんご自身が「僕は絵で考えるから、イメージボードを描く」と言われているように、僕らだったら言葉でメモをとりそうなところを、ひたすら絵を描くんですよね。当時描かれたイメージボードを並べていくと、「風の谷のナウシカ」にたどり着くまでのプロセスが見えてくると感じる瞬間がありました。腐海も最初は砂漠だったのが、「風の谷のナウシカ」になると巨大な植物と蟲たちの死の森になっていく、とか。
『イメージボード全集』にはアニメには描かれなかった場面や風景もたくさんあるんですが、それらも眺めて、そこから自分が何を喚起されるかを大事にしながら読み込むことをずいぶんやりました。それと、アニメや漫画の風景をいかに自分の言葉に移し替えるかということも、かなり試行錯誤を繰り返しましたね。
三浦 描写力を鍛えたってことですかね。
赤坂 そうですね。僕は映画評論や漫画評論をやっているわけではないから、ほかの人たちがどういうふうに書いているのか知らないんです。でも、僕は場面が読み手と共有されないと、自分が書いていることがまったく伝わらないと思うので、今回の本でもなるべくそれぞれの場面について描写することを試みました。だから「これはエッセイだ」と言われるのかもしれないけれど、だったらエッセイでいいんじゃないか、と。
三浦 ですよね。『宮崎駿の詩学』は文字を中心に読むわけだけど、アニメやイメージボードにどういう絵が描かれているのかすごく伝わってきました。風の谷はこういう感じで、元の構想は実際のアニメとは違ったんだ、とか。このご本でも紹介されていましたけれど、「風立ちぬ」に「設計で大切なのは センスだ センスは時代を先駆ける 技術はその後に ついてくるんだ」という台詞がありますよね。私はこの言葉に、論文であってもエッセイであっても、大事なのはセンスだなと思いました。
赤坂 感受性のところできちんと作品に向かい合っていないものは面白くないですからね。
三浦 そうですよね。宮崎さんも、頭の中で論理的に考えて作品を構築しているというより、まず手を動かして、絵を描くことでイメージを膨らませていってらっしゃるとしたら、それはセンスとしか言いようがないというか。赤坂さんのご本を読んで、「風立ちぬ」のこの台詞は、宮崎さんのアニメのことを言っているみたいだな、とも気づかされました。
赤坂 宮崎さんのような作家は、先にすべてが見えていなくても見えないままに描いて、その描いたものに触発されてまた描いていくから、無意識の層がたくさんあると思っています。宮崎さんは僕の『ナウシカ考』を面白がってくださったそうなんですが、きっとご本人が「えっ、こんなの俺わかんねえ」とか「よく知らないよ」と感じる部分がたくさんあったと思います。でも、こういう受け手側の想像力の遊びみたいなことを許してもらったほうが、宮崎さんの世界は豊かに広がるんじゃないかなと勝手に思っています。
三浦 いや、本当にそうだと思います。
赤坂 今回の連載は、自分でもどこにたどり着くのかわからないから、楽しく最後まで書けました。たいてい僕は、連載の途中で飽きてやめちゃうんです。
三浦 それはいけませんね。
赤坂 たぶん僕は出版界のお尋ね者なんですよ。でも今回の連載に関しては優等生でした。パソコンはひらがな入力変換で、指一本で打っているんですけれど……。
三浦 えーっ! もう手で書いたほうが速いのではっ!?
赤坂 手書きの頃はすごいスピードで書いていました。でもね、ひらがな変換一本打ちのリズムというか、速度が自分の思考の速度と合っているんで、全然イライラしませんよ。
三浦 一本でばばばって打ってるんですか?
赤坂 いや、ゆっくりです。しをんさんは一日何枚くらい書くの?
三浦 私は一枚も書かない日がほとんどです。って、ドヤって言うことじゃないですね。
赤坂 僕は速いですよ。書いている時は、一日十枚、二十枚くらい。
三浦 一本打ちで? 突き指しますよ?
赤坂 いやいやいや、鉛筆で書いていた頃は十枚書きなぐったらもう指が痛くて。それを考えればラクですよ。安部公房が『方舟さくら丸』だったかな、あれを書いた時はじめてワープロを使ったんですよ。
三浦 あの方はそういうのを導入するのが早かったんですよね。
赤坂 そう、早かったんですよ。その時、それまでと文体がかなり変わったようですね。僕自身もワープロを始めて一年くらいは明らかに文体が変わって、でもだんだん馴染んできて。ほかの人がどう打っているのかも知らずに、いつしかひらがな変換一本打ちになっていました。しをんさんはこれなの?(と、両手でタイピングするしぐさをする)
三浦 もちろん、華麗なピアニスト並みにやっています。
赤坂 ブラインドタッチで?
三浦 はい。
宮崎作品の変化とは
赤坂 しをんさんは宮崎駿さんの作品ではどれが一番好きですか。
三浦 私は子供の頃に観たから、ずっと「天空の城ラピュタ」が好きだったんです。冒険ものとして最高にわくわくすると思うし。でも、大人になって全部考えてみると、「君たちはどう生きるか」が一番好き。あれはすごくいい作品だと思います。
赤坂 僕もそう思います。実は、僕もずっといちばん好きなのは「ラピュタ」だったんです。冒険映画として、もうあれ以上はないよね。
三浦 はい!
赤坂 でもある時期は、「紅の豚」がすごく気になっていました。あれは趣味映画と言われて結構批判もされましたが、僕は飛行機や空を飛ぶことに対する宮崎駿さんの欲望を、どういうふうに受け止めることができるのか考えました。その後「風立ちぬ」では、飛行機が戦争の道具として描かれました。実は、僕は「風立ちぬ」は最初はあまり好きじゃなかったんですね。でも、繰り返し観直しているうちに、「風立ちぬ」っていいな、と変わっていきました。宮崎駿さんは自分の嗜好とか趣味といったものから逃げずに、非難されても、それをきちんと引き受けて追い詰めているな、という。そういう意味でものすごく敬意を抱きました。
ただ、僕が教えている学生のなかで、卒論でジブリを選ぶ学生は毎年いたけれど、そういう子は「崖の上のポニョ」や「ハウルの動く城」が好きなんですよ。
三浦 世代によって好きな宮崎作品は全然違いますよね。最初に何を観たのかが違うから。
赤坂 僕、「ポニョ」は最初、全然好きじゃなかったんですよ。
三浦 私も「ポニョ」を映画館で観た時、ちょっとよく分からない部分があるなって思いました。宮崎駿さんの作品は、最初の頃は結構、敵がいて、宝物を追いかけて、逃げてとか、構成としては非常にオーソドックスだったのが、いつからかどんどん物語の型から外れていったという印象があります。
赤坂 そうですね。
三浦 一時期、これはもしかして、もう脚本をまとめる力が……と若干思っていたんですけれど、そうじゃないんだなというのが、赤坂さんのご本を読むとすごくよく分かります。むしろ、あえて物語の軛(くびき)から解き放たれようとする、そのすごいパワーがあると分かって、やっぱり宮崎駿はすごいんだなとあらためて思いました。
赤坂 「風立ちぬ」に、「創造的人生の持ち時間は10年だ」という台詞がありますよね。芸術家の想像力というのは十年しか持たない、という。それなのに、宮崎さんご本人はこんなに長きにわたって描き続けているんだからね。あの台詞を書いた時に、きっと自分に対してもその言葉を突き付けていたと思いますけれども。
三浦 若い頃の馬力とか煌めきといったものはやっぱり十年で失われるから、その後何をどう追求していくかなんだと思うんですよ。それを宮崎さんは長きにわたって、しかも世界でも最高峰のアニメという高水準でやっているんだから、もう、本当にすごいとしか言えません。
赤坂 宮崎さんが長年、これだけの膨大な作品を作られているのは、我々にとっては励ましだよね。もしもジブリがなかったら、戦後の日本って、すっごく寂しかったと思う。
三浦 そうですよね。私の世代は子供の頃からジブリアニメを観ていますが、今の子供たちもそうじゃないですか。つまり、そういう状態が五十年くらい続いているということですよね。すごい影響力ですよね。
赤坂 そうやって長年描き続けてきてたどり着いたのが、「君たちはどう生きるか」という作品でした。これもやっぱり突き抜けた意味で面白かったですね。
三浦 いやあ、面白いですよね。アニメーションとしての面白さもあるし、青サギが明らかに怪しくてワクワクさせるし。私はインコが大好きですね。それと、あの男の子の描き方がすごくいいなと思ったんですよね。
赤坂 主人公の眞人(まひと)ですね。うん、いいですね。
三浦 ストーリーとして最後はよく分からないんだけれど、でも、彼が選んだことが私はすごくしっくりきたんですよ。
赤坂 僕もしっくりきました。今回の連載では、いろんな作品を取り上げながらもあえて終盤まで「君たちはどう生きるか」には触れずにいたんですよ。自分がこの作品をどう読むことができるか不安だったのですが、最終章まで残しておいたことで、いろんなことが見えたような気がします。
三浦 私、漫画版の『風の谷のナウシカ』は、「君たちはどう生きるか」にもすごく通じているなと感じていたんです。
赤坂 あ、それ感じてました?
三浦 感じてました。赤坂さんもお書きでしたけれど、私も最初にぼんやりと観た時に、これってちょっと『ナウシカ』っぽいなって思ったんだけど、その時はうまく言えなかったんです。今思えば、最後にどういう世界を選びとるかが同じなのかな、って。完全な全き世界なのか、そうではなくて、暴力もあれば憎しみもあるけれどみんなで生きていく世界なのか。そこが漫画の『ナウシカ』と同じだなと思ったんですよね。
赤坂 僕もそれは感じました。「君たちはどう生きるか」は、僕は最初、どう論じたらいいのかよくわからなくて、あの作品について語ってほしいといった雑誌の依頼なんかもみんな断っていたんですよ。でもやっぱり気になっていて。DVDなどで何度も繰り返し観ることができる環境になって初めて全体が見えるようになって、これは漫画版『ナウシカ』だと思いました。
三浦 ですよね、ですよね。
赤坂 「ナウシカ」のアニメ版はエコロジーがすごく前面に出ていたし、少女がみずからを犠牲にして終末が迫っている世界を救済する、というイメージで受け取られていたじゃないですか。でも、宮崎さん自身は、たぶんそこに居心地の悪さがあったんだろうと思います。その後も漫画版を描き続けて、ある意味では成功したアニメ版で観客に予定調和のように受け取られたことを裏切るようなものを描いている。
三浦 そうですね。漫画版の『ナウシカ』は思索が深まっているし、アニメとは到達したところがまったく違いますものね。
赤坂 まったく違う世界に到達しましたよね。漫画版『ナウシカ』は、旧人類によってデザインされた未来予想図みたいな千年後の世界をぶち壊すんですよね。清浄なだけの人間なんてありえないし、汚れっちまった悲しみとか怒りとかを全部抱え込んでこそ人間なんだと信じて、ぶち壊す。同じことを「君たちはどう生きるか」でもやっている。
三浦 やっていましたよね。「君たちはどう生きるか」では、まず、全き世界を作ろうとしている大伯父の中に、すでに悪がある。
赤坂 そう。僕が漫画版の『ナウシカ』と重なったと感じたのは、たとえどれだけ優れた知性であっても、人間の知性は哀れで愚劣な理想郷しか作れないんだということです。「君たちはどう生きるか」では、大伯父はその哀れな世界に主人公の少年を呼び寄せて、継がせようとする。あの血縁意識も変ですよね。
三浦 ねえ。どういうことなんでしょうね。
赤坂 僕はあの大伯父が、自分の作った世界を手放しでいいものだと信じていたとは思えないんです。結局、大伯父は自分の作った世界が壊れていく姿を見届ける人間を必要としたんじゃないか、そのために眞人を呼び招いたと勝手に解釈しました。
三浦 映画を観て、お墓の前の門扉に掲げられた「ワレヲ學ブ者ハ死ス」という文言はどういうことなんだろうと思っていたけれど、赤坂さんのご本に「学び」というのは「真似び」で、最初から大伯父は、私の真似をするなと言っていたんじゃないかとあって、そうかもしれないなと思いました。
赤坂 僕の勝手な解釈ですが。
三浦 そう考えたら、あの大伯父さんが、寂しそうに思えるというか。それと私、あの話はお母さんの描かれ方がちょっと変わってるなと思っていました。主人公のお母さんであるヒサコさんが亡くなって、妹の夏子さんが後妻になるけど、あの二人はたぶん異母姉妹ですよね。主人公が大伯父さんの作った世界に行った時、神隠しにあった若い頃のお母さんがヒミとしてそこにいる。時空のねじれがあるわけです。なんでヒサコさんが神隠しにあったのかというと、ヒサコの継母が妹の夏子を妊娠したか産んだかした頃で、それがヒサコはちょっと嫌だったから下の世界に呼びこまれちゃったのかなって。もちろん、大人になってからは姉妹は仲良くしているんだけれども。あの二人の年が離れているらしいのも、異母姉妹と思えば腑に落ちますし。
赤坂 僕は異母姉妹とは考えていなかったんだけれども、姉妹というのは神話ではすごく重要なテーマですね。この「君たちはどう生きるか」の姉妹も、すごく神話的なものを背負っている。
三浦 ああ、神話的なのか。
『夜の恩寵』の神話性
赤坂 僕ね、しをんさんの『夜の恩寵』を読ませていただいて、最終話の「夢の子ども」にたどり着いた時に、すごく神話的な物語だなと感じました。全部で五編、ちょっとずつ絡まり合う短編が微妙に繋がっていきますよね。最初はまったく神話的なお話だとは思わずに読んでいたんですよ。むしろ途中までは奇想天外さが漫画的だなと思っていたんだけれども、最後の「夢の子ども」に至ると、それまでは奇想天外に見えていたものが全部繋がってきて、あれ、これ漫画的というよりは神話的なお話になっているな、と思ったんです。神話のなかに出てくるような母親とか巫女とか兄弟といったものが、ここに沈められているんですよね。きれいなお母さんと義理の息子の話でもありますけれど、神話では近親相姦もひとつのテーマですからね。あのお母さんは、まずいよね。
三浦 まずいんですよ(笑)。
赤坂 みんな、しをんさんが漫画が大好きだと知っているから、書かれる小説も漫画的だと思いながら読まれるかもしれないけれど、僕は『夜の恩寵』には、神話の影みたいなものを感じました。そういうふうに読むとあらためていろんなものが見えてきて、僕の中で豊かな作品になりました。
三浦 すべてのストーリーというか物語って、結局神話的なものがあるんでしょうね。
赤坂 そこに繋がっていると、やっぱり作品って豊かになるんですよね。
三浦 無意識にそうなっちゃうんだとも思うんですよ。物語って、何かを要約したり単純化したりする作用がある。この複雑な世界を単純化し、要約することで物語になるともいえますね。でも、神話は混沌としている。だから神話と物語って、根本では繋がっていても、表出の仕方が違うなと感じます。
宮崎駿さんの作品を赤坂さんが読み解いた時の複雑さや豊穣さって、やっぱり物語というものからいかに逸脱していくかというエネルギーが生み出したものなのかな、という気がします。アニメというものだからこそ逸脱できるというか。言語だけで表現する小説の場合はなかなか単純化の作用から逸脱していくことが難しいんですね。身体性がないからなのかな、とも思う。文楽(人形浄瑠璃)といった語り物の系譜のものって、ストーリー自体は単純な勧善懲悪だったとしても、視覚と聴覚にも訴えることによって、物語の単純さみたいな軛から解き放たれて、神話の世界の混沌へと近づいていくことができているなと思うんです。でも、言葉だけで成り立たせている小説は、そういうことがどうしてもできにくいというのがありますね。
赤坂 僕も言葉で表現する人間なんでよくわかるんだけど、言葉って辛気臭いんだよね。
三浦 そうそう、そうなんです。
赤坂 絵画なんかでは、線の喜びとか、この色いいんだよなという、それだけで救われたりするのに。
三浦 漫画もそうですよね。
赤坂 漫画もそうだし、アニメもそうだし。それに対して言葉だけの表現メディアは、その重力に抗うのがすごく難しい。『夜の恩寵』でいうと、一人の女性が夢の中で妊娠して出産して子育てする「胡蝶」という話がありますよね。現代の話として読むと奇想天外なイメージだけれど、神話として眺めたら、こういうことって全然唐突でもないですね。神話の世界では、たとえばヤマトタケルが美しい女性に変装して舞って熊襲(くまそ)を油断させ、いきなり殺すじゃないですか。いきなり殺してしまうって倫理に反しているけれども、神話の世界では当然のようにそういう荒唐無稽なことが起きる。それに、ヤマトタケルの神々しいまでの美しさを言葉で描こうとしたら大変ですよね。
三浦 大変です。
三浦・宮崎作品のなかの巫女
赤坂 ちょっと訊いてみたかったことがあります。これ、五編の短編で編まれていますけれど、巻末の初出の日付を見たら、最初に書いた「神馬に乗る女」が二〇一四年で、次の「胡蝶」が翌年。その後の「夢見る家族」は二〇二三年で、コロナ禍以降ですよね。最後の「夢の子ども」は二〇二四年に書かれたもので、ここでいろんな方向を向いていた短編が、力業でひとつの物語として収められていく。最初の二編を書いた時に、こういう作品集を思い描いていたんですか。
三浦 はい。連作にしようとは思っていたんです。でも二話目はこんな話で、四話目はこうして、などと細かく考えていたわけじゃないんです。細部は書きながらですね。
赤坂 「神馬に乗る女」は、主人公の輝久に父親の再婚によって喜久美さんというきれいなお母さんができて、最後に輝久はその喜久美から逃げていく。それで、四話目の「金の糸」では神話的な兄弟が出てきて、実はこの主人公の兄が輝久なんですよね。弟側の目線から輝久が描かれている。最後の「夢の子ども」でまた輝久が出てきて、美しくて魅力的な継母の暴力から逃れていったはずなのに、結局つかまってしまって……という、そこまで見えていたの?
三浦 そうです。輝久が最後にどうなるのかは考えてあって、それが最終話になるだろうなって思っていました。でもそれじゃあ輝久が可哀想だから、可愛い弟も授けてあげよう、とか。
赤坂 途中で何年もの空白ができたのはどうして?
三浦 私が体調を崩して、ほかの仕事との調整もあって、スケジューリングがうまくいかなくなっちゃったんです。でも、当初のイメージどおりの本になっています。
赤坂 巻末に、どの話もテーマが「カリスマ」だと書かれてあるじゃないですか。僕も『ナウシカ考』なんかを書いた時に、カリスマとはなんだろうと気になって追いかけたことがあるので、そうかと思って。この本の中では二人の巫女的な母が出てきますよね。「神馬に乗る女」などに出てくる美しい継母の喜久美と、「胡蝶」と「夢見る家族」に出てくる、夢の中で妊娠し、出産し、子育てをする未千。カリスマという意味では喜久美さんのほうが当てはまりますよね。いきなり神が降りてくるようになったといって、人の身体の不具合を治したり、失くし物のありかを当てたりするようになり、小さな教団まで作られていく。僕はこれ、怖い小説だなと思いました。人が人を精神的に支配して、操ることができるという意味で、やっぱりカリスマって怖いんだよね。カリスマ本人はいたって無邪気、あるいは無邪気なふりをしているのかもしれない、それでもやる時はちゃんとやるというか。喜久美さんも無邪気に見えるけれども、ちゃんと後継者を確保しようとはかりごとをするんですね。そういう美しくて無邪気そうな女性にたぶらかされるというか、してやられるというのは我々の社会の中でもよくあることです。ただ、巫女って一般的には、無垢であったり処女であったりするんだけれど、この喜久美さんは、そうした巫女像を蹴散らすように、禁忌を当たり前に破っていくじゃないですか。
三浦 そうですね。
赤坂 その巫女像の描かれ方が、怖いというふうに感じました。柳田国男の『巫女考』では、巫女(ふじょ)には宗教的な役割と男たちに春をひさぐ役割があって、宗教とセックスと商業がセットになっていたと指摘されています。つまり、聖なる神社で神に奉仕していた巫女が堕落して、諸国をさすらいながら売春をするようになったと、巫女の歴史が語られています。喜久美さんも、巫女だけれど平気でセックスもするし、子供も産むし、それでも聖なる存在としての輝きを失わない。なかなか強靭な巫女だよね。……というふうに、僕は喜久美さんの姿から勝手に柳田の『巫女考』を思い出したり、神話を思い出したりしてドキドキしていました。
三浦 今時の巫女はこうなんですよ。それに、喜久美って、普通の人かもしれませんよ?
赤坂 たしかに。
三浦 これは輝久の一人称で書かれてあるから。輝久がそう受け取って、そう見ているというだけが書かれてあるので。
赤坂 そういうところが怖いんですよ。巫女でいうと、宮崎さんのアニメにも、ナウシカ的な無垢な巫女みたいな存在もいれば、同時に「もののけ姫」に出てくるエボシ御前なんかは、捨てられた遊女たちを集めて秩序を攪乱しようとしている。歴史の中のタタラ場って女人禁制なのに。
三浦 エボシ御前もそうだけれど、タタラ場の女の人たちはもう自分で主体的に選ぶ女になっていて、性的搾取されることを自分の意思で拒絶している人たち、ということだと思うんですよね。自分の好いた男とはいいけれど、そうじゃない人に何かされるのは嫌だといって、それを実現している。宮崎さんの描くヒロインって無垢な少女みたいに言われがちで、そういう作品も初期にはあるけれど、やっぱりその胡散臭さみたいなものを自覚しているし、それがかえって少女というものを搾取していることへの反省といった視点が絶対にありますよね。
赤坂 あると思いますね。
三浦 だから無垢な巫女とは違う女性像をどんどん描いていらっしゃると思うんです。そこも非常に誠実だと思います。「君たちはどう生きるか」の二人の母親も、産むということを主体的に選択しているし。
赤坂 そういう強さは大切だと僕も思います。
三浦 「もののけ姫」も、自分たちで選択した結果の疑似家族としてみんなでやっていっている。それもまたいいなと思うんですよ。
赤坂 それね、僕は「ハウル」も最後は疑似家族だと思います。
三浦 そうそう、そうですよね。
赤坂 あれはもうハウルの城じゃなくて、ソフィーの家になっている。それで、最後にあの家に集まっているのは完全な疑似家族ですね。観ているほうが宮崎さんのそういう冒険に気づかずに、自分の先入観で引きずりおろそうとしているところがあると感じます。そういう問題提起はしてみたいなと思っていました。
三浦 宮崎さんには、そういう先進性がちゃんとあるんですよね。
登場人物の名前の由来
赤坂 『夜の恩寵』の話に戻すと、「胡蝶」と「夢見る家族」に出てくる未千は、夢見という形の巫女といえますね。「夢見る家族」では、自分が夢を見るだけでなくて、自分の子供たちの夢を奪っている。僕はこれを読みながら、中世の説話集なんかにある、夢を買う話を思い出しました。
三浦 夢を買う話があるんですか。
赤坂 「夢買い長者」という昔話があります。男が居眠りしていると、アブが飛んできて鼻の穴に入っていく。その男は、どこかの家の木の下に財宝が埋まっている夢を見る。目覚めた後、男はただの夢だと思ってその内容をそばにいた人に話すんだけれど、その人は鼻からアブが入っていくのを見ていたので、その夢を俺に譲ってくれと言う。そうして夢を商品のように売買するんです。それから、夢を買った男がその場所に行って木の下を掘ってみると、本当に財宝があって長者になりました、という話です。
三浦 面白いですね。
赤坂 中世の人たちは、アブなどの虫を、夢を運ぶ生き物として考えていた。しかも夢を物質化して、お金で売買するものとしていたわけです。まあ、夢見というのが、ある種の商売や宗教的なシステムの中に組み込まれた例はいくらでもありますから。
三浦 夢占いみたいなものもありますしね。
赤坂 「胡蝶」のように、妊娠して出産して子育てして子供が成長していって、という、そこまで継続的な夢を見る話って、ほかにあるのかどうか……。
三浦 あれは私が見た夢なんですよ。出産まではいかなかったんですけれど、夢の中で妊娠して、つわりが大変だったんです(笑)。
赤坂 ああ、実体験でしたか。
三浦 そうそう。目が覚めた時、「あれ、私妊娠したんだっけな」って頭が混乱したんですよ。私は妊娠したことがないからリアルと言っていいか分からないけれど、それくらいつわりがリアルっぽかったんです。なんだか変な夢を見たなと思っていたんですけれど、この短編集を書き始めてから、そうだ、あの夢を使おう、って。
赤坂 夢というのがこの作品集の大切なテーマになっていますよね。喜久美も夢見ができるからね。
三浦 そうですね。それと、喜久美の名前は、この世ならぬ声を聞く人だから、ということでつけたんです。
赤坂 『聴耳草紙』か。「聞き耳」も昔話とか仏教説話のテーマのひとつなんですよ。
三浦 それは知らないんですけれど、「番町皿屋敷」の幽霊ってお菊さんといいますよね。大学の時かな、あの世とこの世のはざまで幽霊として出てくる人は「菊」という名前になることが結構多いと聞いて、なるほどと思っていました。『聴耳草紙』というのはどういうものなんですか。
赤坂 佐々木喜善が昔話を採集して作ったのが『聴耳草紙』で、そこに「聞き耳」とか「聞きなし」というのが出てくるんです。
我々日本人は、鳥の声や虫の声をすごく意識しているでしょう。風情があるとか言って、「閑さや岩に染み入る蟬の声」という芭蕉の有名な句もある。でも、ほかの国の人たちにとって、蟬の声は雑音なんです。日本人は虫や鳥の声を、言語をつかさどる脳のほうで受け入れているらしいんです。「聞き耳」とか「聞きなし」というのは、蟬の声や鳥の声、自然の音の中に、何かの意志やメッセージを感じ取ってしまうということだと思います。
三浦 聞きなしちゃう、ってことか。
赤坂 そうです。そこからアニミズムについて考えるのも面白いんですよね。日本文化の中では、そういうものが至るところに出てくるんです。それに、日本の若い学者が鳥の声を聞き分けて解読したでしょう。
三浦 ああ、『僕には鳥の言葉がわかる』(鈴木俊貴著、小学館)ですね。
赤坂 あれは海外の学術文献でもちゃんと取り上げられている。今、喜久美の名前の由来を聞いて、そうしたことを思い出しました。しをんさんの小説には、そういうことがさりげなく入っているんですね。ただ、意図的にやろうとしているようには見えません。
三浦 意図的にやろうとすると、何かつまらなくなっちゃう気がするんですよ。実作する人は、そういう情報や知識をあまり知りすぎてもよくない気がする。読む側としては、『宮崎駿の詩学』の民俗学的な読み解き方とかも、そういうふうに解釈できるんだという驚きがたくさんあってすごく楽しいんですけれど、実作する側がそれをあんまり意識しすぎちゃうと、今度はその型に当てはめようとしてしまうから危険かもしれないな、という気がしました、今。
赤坂 そうですね。頭でっかちな作品になると思いますね。だから僕が言うことは、忘れていいよって言いたいですね。押しつけがましくはなりたくないんです。
三浦 ぜんぜん押しつけがましくないのが、赤坂さんの著作のすごいところですよ。もっとドヤ顔で「これはこう解釈できる!」と言っていいのに、そういうのが全然ないですよねえ。
赤坂 うん、それはあんまり強いていない。僕自身がある意味、無意識で書いている部分がありますから。
三浦 そう、そういう気がしました。
赤坂 だから『夜の恩寵』についてもね、僕は神話的だという解釈を提示しましたけれど、それが正しいと言っているわけではないのです。それにもちろん、しをんさんが神話を下敷きにして書いたとも思っていないのです。そういう意味では、あざとく伏線が張られているわけでもないですね。三浦しをんという作家の中には無意識と意識が何かせめぎあっている部分があって、それが時々見え隠れしている。この作品はきっと、それが見えているほうなんだろうと思いますね。
三浦 いやあ、ありがとうございます。
赤坂 しをんさん、これまでもこういう怖さの漂う小説って書いてきました?
三浦 たまに。しばらく明るい話が続くと、暗いものを書きたくなるんです。
赤坂 『ののはな通信』なんかは、やっぱり怖いなと思うところがあったけれども、こういう怖さではないですね。
三浦 短編集だとちょっと暗めになるんです。
赤坂 それで読者は裏切られた気分になる?
三浦 どうでしょうね。読者のことはあんまり考えずに、その時に書きたいものを書いているので。それで怒っちゃう人はいるかもしれない。
赤坂 作品を読んだり、話を聞いたりしていると、しをんさんのある種の知性というか、すでに抱え込んでいる無意識の土壌の中に、やっぱり父親の影はあるような気はしますね。
三浦 そうなのかな。あいつめ、勝手に(笑)。
赤坂 でも、それはすごく大切なことだと僕は思いますよ。つまり、意識して書いているわけじゃないのに、そういうものが見え隠れしている。それは作家としてのしをんさんの財産ですよね。
三浦 そうなのかな。それじゃ許してやるか(笑)。
赤坂 だから僕は『夜の恩寵』を神話的な話として読んだわけですが、でもだからどうだこうだ、と言うつもりはなくて。変な影響を受けないでくださいね。『宮崎駿の詩学』についても、宮崎さんが意図的にこういうふうに描いている、と言っているわけではないので。
三浦 あくまでも、「そう読める」ということですよね。
赤坂 そうです。一人の受け手がそう読んでしまうことがその作品の外縁を広げて、作品がさらに豊穣になればいいな、と願っています。
三浦 私は『宮崎駿の詩学』を拝読したことで、宮崎駿監督の作品をまたあれこれ観返したくなりました。
(2026.5.20 神保町・月花舎にて)

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