【RCサクセション『COVERS』発売中止騒動】1988年、忌野清志郎が反戦・反核の日本語詞に込めた思い
【RCサクセション『COVERS』発売中止騒動】1988年、忌野清志郎が反戦・反核の日本語詞に込めた思い

1988年の8月6日に発売される予定だったRCサクセションの『COVERS』。明確に反核をテーマにしたアルバムは、原子力発電事業を手掛けていた親会社・東芝との関係が問題視され、発売元の東芝EMIはリリースを見送ったといわれている。

「素晴らしすぎて発売できません」という広告が掲載されたのち、アルバムは当初予定日の8月6日から9日後にあたる8月15日、別レーベルから発売された。

 

表現の自由、反戦、反核。終戦の日に忌野清志郎が込めた思いを考察する。

RCサクセション『COVERS』

バリー・マクガイアが発表した「明日なき世界(Eve of Destruction)」は、1965年に全米チャートの1位になった。曲を書いたのはP.F.スローンという10代の若者で、早くから卓越したソングライティングのセンスを買われていた。

当時、ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーン』がプロテスト・ソングとして評判になっていたことから、スローンにそうした傾向の曲を書くように発注したのは、プロデューサーのルー・アドラーである。

19歳になったスローンが「明日なき世界」を書いた1965年は、アメリカが北ベトナムへ空爆を開始した年だった。スローンはベトナム戦争の泥沼にはまっていた当時のアメリカにおける、国内と国外の災いを3分半ほどの曲に詰め込んで、核戦争が起こった後の恐怖を描いた。

歌詞の内容が強烈すぎるという理由で、一部の地域では保守的な局が放送禁止にした。しかし、その話題がメディアや人々の関心を引いて、大ヒットにつながったともいわれている。

これを60年代末に日本語でカヴァーしたのが、メッセージ性のあるフォーク・ソングを広めた先駆者の高石ともや。以前からピート・シーガーやボブ・ディランの歌を取り上げて、日本語に訳して歌っていた。

高石の訳詞はオリジナルの痛烈なメッセージを、可能な限り日本語の口語体で伝えようとするものだった。

しかし、1975年にベトナム戦争が終わって時代が移り変わるとともに、核戦争の恐怖を描いたこの歌は少しずつ忘れられていく。

それから約20年後。

忌野清志郎がこの歌をカヴァーしたことで、あらためて多くの人が核戦争と核の恐怖について、関心を向けることになった。

RCサクセションの『COVERS』は、反核をテーマにした内容の洋楽のカヴァー・アルバムで、「明日なき世界」が忌野清志郎による歌詞で1曲目に収められていた。

親会社に逆らえなかった東芝EMI

1988年8月6日、戦争で初めて使用された原子爆弾によって多くの人の生命が奪われた広島の平和記念日に合わせて、レコード会社の東芝EMIからリリースされる予定になっていた。

しかし、収録曲の「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」の歌詞が、原子力発電への不安や危険性を訴える内容だったことから、原子力発電事業を手掛ける親会社・東芝との関係が問題視されたとされる。

子会社である東芝EMIはそれにまったく抵抗できず、アルバム『COVERS』のリリースを中止にする。そして「素晴らしすぎて発売できません」という、普通に考えると意味が分からない新聞広告が、音楽とは場違いな経済面の片隅に掲載された。

パリの通信社は、意味不明のコピーとともに広告の形をとって、日本の有力紙の商況欄に掲載されただけで、理由に関しての説明は一切ないという、いつもながらの日本式が採用されていると報じた。

この事件は決定だけを重んじ、プロセスを相手に理解してもらおうという努力を怠る日本人のやり方が、国際的な場面だけでなく、国内でもまかり通っていたことを広く各国に知らしめることとなった。

そこから起こった様々な騒ぎのなかで、当時の日本のマスコミがどう反応したのかを改めて検証してみた。

報知新聞の芸能記者を経て音楽評論家になった伊藤強は、権力による世論管理の危険性について指摘していた。これは21世紀の今でも、そのまま通じる問題だ。

RCサクセションのLP 『COVERS』とシングルの「ラヴ・ミー・テンダー」の発売中止事件は、今更のように世論管理が行き届いている日本の現状を教えられたような気がする。「ラヴ・ミー・テンダー」なんて、聞きようによってはパロディである。しかしそれに対してさえも体制側は「きちんと」対応してくる。つい40数年前の日本を思い出させてくれるのだ。(伊藤強「放送批評」)

ロックが世界に大きな影響を与えた1960年代の後半に、音楽を語る活字の場として『ニューミュージック・マガジン』を創刊した、音楽評論家の中村とうよう。

清志郎がせっかくこうやって、とてもわかりやすい日本語で、日本化した外国曲集を作ってくれたのだから、このアルバムがロックに関心のない中高年サラリーマンたち(東芝社員も含めて)に愛され、みんなに歌われるといい。そのためにはぜひカラオケ・バージョンも発売してください。(中村とうよう「ミュージック・マガジン」)

 一方で、“大人”が読んでいる総合週刊誌には「たかがロック」と、いつもながらの底意地の悪い記事が目立った。

「アブネエ」と叫ぶのはいいけれど、今や電力の四割近くは原子力発電。清志郎のレコードもコンサートも、いってみれば原発の恩恵に浴し、電力の消費量を高めていないとは言い切れない。辻説法でもするのなら話は別だ。しかし、レコードで反原発を唱えることは、果てしない矛盾に陥りはしないか。

(「週刊新潮」)

音楽の専門誌や業界誌は、基本的に音楽が好きな人たちが働いているせいもあってだろうが、忌野清志郎の切迫感や素直な表現に賛同する声が多かった。そのために発売中止の背景にあった親会社との関係、それに従うしかなかったレコード会社に批判的な目が向けられた。

何はともあれ、レコード会社が自ら表現の自由を規制した事は、ポップスの歴史の大きな汚点として記憶されることになるだろう。(北中正和「CDジャーナル」 )

東芝EMIというレコード会社は、ロックの根源を否定した。かつて自分たちが日本に紹介したビートルズ、わけてもジョン レノンの教訓は、ここではまったく生かされていない。そして日本のロック・ミュージックの退歩に力を貸したのだ。再度確認しよう。この会社のレコードは「素晴らしくないから」発売されているのだということを。(「中日スポーツ」)

こうした騒ぎのなかで矢面に立たされていた忌野清志郎が、表現者としていかに傷ついたのかが痛いほど伝わってくる文章が残っている。

「ぼくはいつでも、いっしょうけんめい歌を作ってる」

俺は何度も苦い汁を飲まされた。作った歌が禁止されるのさ。あいにく俺の声が通る声で、とてもBGMとして聴き流せないからだ。聴く人が聴くと何らかの意味を持ってしまうらしい、俺にはカンケーないのに。

俺が友達だと思ってるレコード会社の奴らに、レコードにしてもらえないなんて、俺の気持ちを考えたことがあるかい? 俺が作ったんだぜ。

ぼくはいつでも、いっしょうけんめい歌を作ってるんだよ。才能があるから歌ができると思ってるかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。

何のためにぼくの歌をレコードにしないのか、いつもよくわからない。保身のため? ヤオモテに立つのは歌ってる俺だぜ。君じゃない。会社を守るためだとしたら、全く考えすぎとしか思えない。メンドーをおこしたくない? 社長におこられるのが怖くて、僕の歌をボツにするのか? まったくよくわからない。

本当はお前らをぶんなぐってやりたい気分なんだよ。でも、がまんせざるをえない俺の気持ちを考えたことがあるのか? 笑わせんじゃねぇよ。それでも俺は友達だと思ってるんだぜ。

できることなら、この胸を切り裂いて、どんな気持ちで歌を作ったのか、見せてやりたいよ。

 今でも忌野清志郎の作った歌が時代を越えて人々の心に届くのは、表現者として音楽の力や純潔性を信じていたこと。そして、観客やリスナーの音楽への愛に期待していたからだと思う。

古びるどころか逆にリアリティを増して 

本当の表現者はいつだってぎりぎりのところで、しばしば恐怖や絶望感におののきながらも、なんとか自らを奮い立たせて新しい作品に立ち向かっている。だからこそ、身近で友達だと思っていた人たちに裏切られた時のやるせなさと無念が、しばらくは消えなかったのだろう。

『COVERS』はその後、RCサクセションの古巣だったキティレコードが、8月15日の終戦記念日にアルバムをリリースすることになった。発売中止の騒ぎがアルバムの宣伝に役立ったことで、バンドにとって初めての1位を獲得するという結果がもたらされた。

ある音楽専門誌は当時、「明日なき世界」の歌詞を引用してこのように絶賛した。

『COVERS』の清志郎は怒っている。それは血の涙を流さんばかりの怒りだ。「世界が終わるなんて嘘だろ?」と叫ぶ清志郎は、最大の「敵」を見つけたのだ。だから88年のRCがこんなにも危うくて熱い。

よみがえったゴジラの大進撃を見るようなとにかく痛快な1枚だ。大推薦盤。(「シンプジャーナル」)

その一方で、ある文芸評論家が、アルバム自体をあからさまに非難した原稿を寄稿していた。

このLPはすべて、60年代ポップスの替え歌なのだ。こんなへたくそな歌手に、これほどつまらん歌詞をつけられてリメイクされていると知ったら、ディランもレノンもアダモも、「ポップの魂」の名にかけてきっと怒り狂うだろうし、実際、彼らの歌声とともに思春期を送ったわたしなどは、怒りを越えてひたすら赤面してしまった。(「朝日ジャーナル」)

それから40年近い年月が過ぎて、この乱暴な発言はもちろんすっかり色褪せて忘れ去られてしまった。2009年に忌野清志郎が逝ってしまった今もなお、残された歌は多くの人に聴かれ続けることで、彼のメッセージを後世に伝えている。

「これほどつまらん歌詞」と罵倒された歌詞は、古びるどころか逆にリアリティを増しているのだ。

文/TAP the POP、佐藤剛

参考

https://www.tapthepop.net/song/34738

https://www.tapthepop.net/extra/34766

引用/ロックン・ロール研究所編『生卵 忌野清志郎画報』(河出書房新社)

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