“究極の男社会”といわれる警察組織のなかで、たたき上げで、いまのキャリアを築いてきた。しかも、仕事と家庭を両立させてきたというから、驚くほかはない。

常に被害者に寄り添うことを心がけてきたという。それを可能にしたのは、3人の子供を育て上げた、女性ならではの“一般市民と同じ”目線があったからだ。猛者を率いて、大塚照美さん(58)は今日も陣頭に立っている——。

「キャリアアップすればするだけ、高いハードルがあります。でも、いくつになってもトライすることが大事だと思いますね」(大塚さん)

京都府警察本部刑事部の捜査第三課。大塚さんが課長を務める部署である。

主に扱うのは、連続的な窃盗や盗犯、金庫破りや事務所荒らしなどだ。

「ここは役職でいうと課長のほか係長や主任などがいる場所で、デスクワークが中心です。各警察署管内で発生した事件の内容、捜査状況の情報集約や分析などを行っているんですね。私は課長としては、報告を受けて指示を出したり、方針を決めたりしています」(大塚さん)

窃盗事件は犯行手口も多様で、捜査員はより詳しい知識と経験が求められるという。犯人たちに恐れられる同課の刑事の通称は、“泥棒刑事”。今年3月13日付で着任した大塚さんだが、25年ぶりに帰ってきた捜査第三課でもある。

「’85年に巡査として配属され、主任になりました。ええ、私も“泥棒刑事”でしたよ」(大塚さん)

その後、さまざまな部署を経験した。’13年からは女性幹部として、「検視官室長」「子供と女性を守る対策室長」「犯罪被害者支援室長」などを歴任。性犯罪被害者や、DVやストーカー被害者など弱者に寄り添ってきた。今回の異動前には、機動捜査隊(通称・キソウ)というタフな部署の隊長も経験してきた。

「機動捜査は3交代、24時間勤務です。

パトカーで無線指令をもとに現場に駆けつけるのですが、扱う事件は殺人、強盗、窃盗など。暴行や薬物もありましたね」(大塚さん)

ほがらかに、事もなげに話す姿に、経験に裏打ちされた余裕を感じる。’78年4月、18歳の大塚さんは京都府警察官を拝命。新警察法制定後の京都では初めての女性警官であり、同期の23人は「一期生」と呼ばれた。

半年間の警察学校を経て、大塚さんは、川端警察署の「銀閣寺交番」で警察官デビュー。そして’85年、25歳の大塚さんは前述の、府警本部刑事部捜査第三課に異動して刑事になった。

「ここで捜査の基本を教えてもらいました。そのころ本部にいる女性は主にデスクワークだったので、後輩の女性警察官からはよく言われました。『大塚さんはいいですね、現場で実際に捜査ができて』と。当時の係長が、現場に私も連れていってくれたんです」(大塚さん)

やがて、大塚さんは京都府警察学校、通信指令課などの異動を経て、’96年には捜査第一課の性犯罪捜査指導係に。さらに’00年には、警務課の犯罪被害者対策室へ。その後、大塚さんは生活安全対策課で、子供と女性を守る対策室長となる。

性犯罪やストーカー行為の被害者に寄り添い、管理職としての訓練も施された大塚さんは、’13年、捜査第一課の検視官室長に拝命された。検視官とは、変死者や変死の疑いのある遺体の検視を行い、事件性の有無を判断する重要な役割だ。大塚さんは数々の“死”を前にしてきた。

「現場を見ているうちに、『この人、こんな死に方をしようとは思っていなかったはずだ』という思いがこみ上げるようになったんです。人ごとではない。せめて死因をちゃんと視てあげなければ、と」(大塚さん)

警察官になって40年。

後輩の橋口紀子さん(51)は、大塚さんを称して「女性警察官のパイオニア」だと語る。

「大塚さんは、私たちのお手本なんです。家庭とも両立されていて、気さくでほがらかで、男性からも頼られる存在。苦しいときに何度も温かい言葉をかけていただき、報われました。ときによき先輩として、ときに同い年の子を持つ母親として」(橋口さん)

京都府警では、女性警察官の人数は徐々に増え、定員の10%を目標にしているという。大塚さんは、「女性ならではの視線を忘れてはいけない」と声に力を込める。

「たとえば性犯罪の被害者で、男性から見て『女だって悪いじゃないか』という場面もある。百歩譲って女性にも非があるとしても、その何倍も犯人が悪いんです。私たちはそういう女性に寄り添い、手を差し伸べなければいけない」(大塚さん)

東京で起きた痛ましい事件——5歳の船戸結愛ちゃんの虐待死が頭をよぎったのか、ふっと大塚さんの表情が曇った。

「警察は児相(児童相談所)に通報して終わりではない。それが警察官として誇れる仕事でしょうか。女性の視線で、細部まで目を行き届かせるべきです。こだわりが必要ですし、私たちが自分の頭で考えて動いていけば、警察は変わります」(大塚さん)