■各媒体で人気の新撰組・土方歳三

「新選組」といえば、幕末の京都において反幕府勢力を取り締まり、後に旧幕府軍の一員として戊辰戦争に従事した武装組織のこと。その人気は歴史ファンを中心にとても高く、大河ドラマや映画、小説、漫画などの題材として、何度も取り上げられています。


また舞台でも、劇団HumanDustUnionにより2009(平成21)~2011(平成23)年に新選組をモチーフにした『オンボロ屋根から見る夢は・・・』の第三部が上演されたのをはじめとして、これまた数多く取り上げられてきました。

そんな新選組のメンバーの中でも、局長の近藤勇や一番組組長の沖田総司と並びひときわ人気が高いのが、「鬼の副長」と呼ばれた土方歳三(ひじかた としぞう)です。

仲間たちにモテ自慢?新撰組の鬼の副長・土方歳三のお茶目?な一...の画像はこちら >>


土方歳三/Wikipedia

土方歳三は、天保6(1835)年5月5日に武蔵国多摩郡石田村(現・東京都日野市石田)で、農家の10人兄弟の末っ子として誕生しました。父と母を早く亡くしたために次兄夫婦によって育てられた土方は、幼少時は「バラガキ(触れると怪我をするバラの棘のような不良少年)」と呼ばれていたことからも分かるように、相当やんちゃな少年だったようです。

やがて江戸の天然理心流剣術の道場「試衛館(しえいかん)」に入門した彼は、指導に来ていた後の新選組局長・近藤勇と運命の出会いを果たします。

■「鬼の副長」異名の所以は?

土方歳三が「鬼の副長」と呼ばれるようになったのは、いったいなぜなのでしょうか?その理由は、土方が隊員たちをまとめるために厳しい掟を設け、破ったものは容赦なく粛清したという史実によるもの。


倒幕派の人物を殺した数よりも、新撰組内での内ゲバで殺された人数の方が多かったとさえ言われていることから、いかにその掟が厳しかったかが伺えます。

なぜ、そこまで厳しい掟が必要だったのでしょうか?

それは新選組が、町人、農民などの武士以外の身分の者を含む浪士たちを「求人」によって集めた、いわば「寄せ集め」の組織だったからです。

彼らをまとめ上げるために、土方はあの連合赤軍も真っ青になるような規則を定め、違反した者は山南敬助のような最高幹部でさえ切腹させました。そこには隊員を引き締めることと、隊員たちの不満や怒りを自分に集中させるという2つの目的があったのでした。

そんな土方の「作戦」が功を奏したのでしょう。新選組は旧幕府軍の一員として戦えるほどの組織に成長していきました。


■「鬼」の意外な一面とは?

そんな「鬼の副長」土方でしたが、現代でも「イケメン」と称されることの多い風貌もあって女性に非常にモテたといわれ、それを象徴するようなエピソードが残っています。

ある日、京都で新選組副長として活動するようになった土方から日野の天然理心流の仲間たちに、「諸君に素晴らしい物を送ります」という手紙とともに小包が届きました。

仲間たちが「京都のお土産かっ!?」と喜んで開けてみると、中には京都や大阪の芸者たちからのラブレターが沢山入っていたのだとか。

ユーモアがあったのか?単にモテ自慢をしたかっただけなのか?ともかく「鬼の副長」には、こんな意外な一面もあったのですね。

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