新垣結衣と松田龍平がダブル主演を務める連続テレビドラマ『獣になれない私たち』(日本テレビ系)の第3話が24日に放送され、平均視聴率は前回から0.4ポイント減の8.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。
率直に言って、第2話があれほどクソだったのに、よく微減にとどまったな、と思う。
ただ、第2話では今後何かが起こりそうな伏線とおぼしきものがたくさん張られた。このため、「さすがに次こそはおもしろくなるはず」と期待を込めて第3話を視聴した人も多かったのではないだろうか。
しかしながら、結論から言うと第3話もさんざんな出来だった。
書いてみるとほぼこれだけなのだが、リアルタイムに視聴している時はそれなりに楽しんでいたような気がする。だが、次回予告まで見終わって「さて、今日はどんな話だったっけ」と思い返してみると、内容がスカスカなことに気付く。
放送後、SNSには視聴者による批判の嵐が渦巻いた。「ガッキーがかわいくない(生かされていない)」という批判は、もう読者も聞き飽きたと思うので、それ以外の声を大まかに整理して、ふたつばかり紹介したい。
まずひとつめは、「タイトルと中身が合っていない」という点だ。ドラマ公式サイトを読む限り、『獣になれない私たち』というタイトルは、「本能のまま『野生の獣』のように自由に生きられたらラクなのに……」という思いを持ちながら、そうできない人々を指すと解釈できる。
さらに、晶や恒星も含め、主要な登場人物は一様に貞操観念が薄く、「獣になれないどころか獣ばっかりじゃねえか」とツッコミを入れたくなる。だからと言って、今年1月期に放送された『きみが心に棲みついた』(TBS系)で吉岡里帆が演じたOLのように、いつもオドオドして「わっ、……わたしは……」としゃべるガッキーが見たいかと言われれば、そうでもないが、『獣になれない私たち』とはいったいなんだったんだろうとの疑問は拭えない。
批判のふたつめは、「脚本がすべっている」というものである。
これについては、「脚本の野木亜紀子が、(昨年放送されたドラマの)『カルテット』(TBS系)みたいな会話劇をやってみたくなったんだろう」と推測する視聴者も多い。
おそらく理由はふたつある。まず、変なたとえ話に対する「返し」の台詞が晶に用意されていないこと。ただ「はあ、そうですか」的に受け止めるだけでは、会話が盛り上がってくるはずもない。
迷走を続けている間に、ドラマファンの間では『けもなれ』より視聴率の低い『中学聖日記』(TBS系)や『黄昏流星群』(フジテレビ系)のほうが、まだネタドラマとして楽しめるとの声もささやかれ始めている。「『けもなれ』はイライラするばかりでツッコミどころすらない」というのだ。大幅な路線変更をしない限り、挽回は難しいか。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)