――芸能界を牛耳る巨大アイドル帝国・ジャニーズ事務所。ジャニー喜多川社長率いる、この帝国からは数々のスターが誕生した。

郷ひろみ近藤真彦田原俊彦少年隊光GENJISMAP、そして――。しかし、この帝国の内政が語られることは決してない。鉄壁のベールに包まれた帝国の光と闇を、数々の ジャニーズ非公式本から探っていく。

 ジャニーズ事務所の発足は、芸能プロダクションではなく、少年野球チーム「ジャニーズ球団」であったことを、最近のファンはどのぐらい知っているのだろうか。1960年代のはじめ、代々木公園に集まる30名ほどの少年たちに野球のコーチをしていたのが、若き日のジャニー喜多川氏だったのである。ジャニーズアイドル第一号となった「ジャニーズ」は、この野球チームにいた4人の幼なじみ、飯野おさみ、あおい輝彦中谷良真家ひろみで結成されたものだった。

 61年、4人はジャニー氏に誘われて、当時大変な話題となっていた映画『ウエストサイド・ストーリー』を見て、いたく感動。「僕たちもダンスがしたい!」と盛り上がり、「ジャニーズ球団」から名前をとって「ジャニーズ」を名乗り始めたのだ。

 しかし、"ジャニーズアイドル第一号"となったジャニーズは、同時に、ジャニー氏からの"ホモセクハラ被害アイドル第一号"でもあったようだ。

 89年10月に発売された『ジャニーズの逆襲』(データハウス)は、前回紹介したフォーリーブス・北公次による暴露本『光GENJIへ』(同)の衝撃がまだ残る中で追撃発売された告発本。著者は「ジャニーズ」となっているが、4人による共著ではなく、メンバーの中谷良によるものだ。タイトル、著者名に「ジャニーズ」とあるのは、本来、「ジャニーズ」という名称は中谷氏ら4人のものであるという強い思い、またその名前を事務所名に使いながら、舞台裏では欲望の限りを貪り続けるジャニー氏への怒りが込められているのだという。

 この本の見所のひとつは、やはりジャニー氏によるホモセクハラの赤裸々な描写。中谷氏が、最初にその忌むべき洗礼を受けたのは、まだ野球チームの一員である11歳のときであったということに、読者として衝撃を受ける。

 ジャニーズ球団でジャニー氏に野球の指導を受けていた4人は、学校が終わると、まだ貴重で珍しく、憧れの対象であったアメリカのお菓子やおもちゃ、オーディオ機器のあるジャニー氏の自宅に遊びにいくようになっていたという。そして、ジャニー氏を信用しきった中谷少年が一人でジャニー氏の部屋に遊びに行ったある日、ついにジャニー氏は真の目的を果たすべく、あの行動に出てきたというのだ。2人でじゃれあいながら、「気持ちいいはずだよ、こうすると」と、手を上下に動かして中谷少年を射精へと導いたと、衝撃の告白をしている。

 他の3人もこのジャニー氏の"身勝手な性の手ほどき"を受けていたというが、まだ本当になにも知らなかった彼らは、被害者意識はほとんどなく、最初のころは「変なおじさんだなー」と笑う程度だったというから、罪深い事この上ない。

度重なるホモセクハラにより、中谷氏は性愛の本質を見失い、「結局は排泄行為でしかない」という思いに長く支配されていたという。


大人になって自分の歩んできた道の始まりが間違いだったんだと気付いた時には、それはそれは大きな衝撃が襲ってくるのです

 同著で中谷氏は、こうしたトラウマ、葛藤から逃れるために覚せい剤に手を出し、溺れていったことも明かしている。OB、現役を含めたジャニーズタレントの薬物問題が、現在数多く浮上しているが、これを読む限り50年近く前からジャニーズ事務所の本質は何ら変わっていないのではと思わざるを得ないのだ。

(後編につづく)


『芸能テレビ裏Max (コアムックシリーズ 441) (ムック)』


だから芸能界って怖いのよー



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