ジェンダー・ニュートラルは必要か ドイツで国歌の内容めぐり論争

アメリカのミレニアル世代が「新しい情報をアップデートする」という意味で使う「Woke」をタイトルの一部に組み込んだ本コラムでは、ミレニアル世代に知ってもらいたいこと、議論してもらいたいことなどをテーマに選び、国内外の様々なニュースを紹介する。今回取り上げるテーマは国歌とジェンダー・ニュートラルを巡る論争だ。
ドイツでは国歌の歌詞を巡って家族省の平等政策担当トップが「時代の変化に合わせて、歌詞も変更すべき」と、具体的に2カ所の変更を求める提案を行ったが、市民や政界からは大きな支持を得ることはできず、メルケル首相も「変更する必要性は無いと思う」とコメント。ドイツ国歌の歌詞変更が行われることはなさそうだが、すでに「ジェンダー・ニュートラリティ」を理由に国歌の歌詞を変えた国は存在する。

「父なる祖国」と「兄弟のように」は差別的か?
ジェンダー・ニュートラルと歴史を巡る論争


ジェンダー・ニュートラルは必要か ドイツで国歌の内容めぐり論争

今年はテレビなどで日本を含めた様々な国の国歌を耳にする機会が多い。韓国の平昌で冬季五輪が行われ、6月にはロシアでサッカーのワールドカップも開催される。キックオフ前に両国の国歌が演奏されるワールドカップでは、日本代表が対戦するグループリーグの3試合だけでも、『君が代』以外にコロンビア、セネガル、ポーランドの国歌を聴くことができるだろう。

当たり前の話だが、国歌はそれぞれの母国語で歌われるため、スポーツのイベントなどで他国の国歌を耳にしても、歌詞の意味まで理解するのは困難だ。しかし、世界史に興味のある方は、たとえばアメリカ国歌『星条旗』やフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』が独立戦争や革命を歌ったもので、イギリスの事実上の国歌として知られる『ゴッド・セーブ・ザ・クイーン』は君主を称えたものであるという話を耳にしたことがあるかもしれない。
多くの国歌では、歌詞から国が誕生した経緯や、国がたどってきた歴史などを垣間見ることができる。

ドイツ国歌『ドイツの歌』はメロディーが18世紀末に先に作られ、1841年に歌詞が付けられたが、当初は自由主義的なドイツの国づくりを目指した1848年革命に参加した市民の間で歌われていたもので、国歌として歌われるようになったのは1922年になってからの事である。国歌として100年近く歌われてきた『ドイツの歌』だが、今月4日に家族省で平等政策コミッショナーを務めるクリスティン・ローゼメーリンク氏が、歌詞の中で使われている一部の言葉が「男性に偏りすぎている」として、それらの言葉を中性的な言葉に変更すべきと提案した。

ローゼメーリンク氏が「男性的」として指摘したのは、「父なる祖国」と「兄弟のように」という2つの言葉。「祖国」と「勇気を持って」という代替案も提示されたが、これに市民や政治家は猛反発。ジェンダー・ニュートラルの名のもとに、これまで使われてきた言葉が別のものに変更されるのはナンセンスだという意見が大勢を占めた。
ロイター通信は4日に、ローゼメーリンク氏の提案を皮肉った、「じゃあ『母国語』という言葉も変えなきゃ」というドイツ人のツイートを紹介している。

この問題にはメルケル首相も自身の見解を5日に示しており、「そんなことをする必要は全くありません」と一蹴している。国歌とは異なる話になるが、ドイツ国内を流れる川の殆どは女性名詞だが、ライン川を含むいくつかの川は昔から男性名詞として使われてきた。ライン川は「父なるライン」、ドナウ川は「母なるドナウ」という呼称でも知られているが、ジェンダー・ニュートラルがこれらの川の呼称を変える可能性もあったのだろうか。

カナダやオーストリアはすでに歌詞の変更を実行
国歌は時代と共に変更されるべきなのか?


「男性に偏った言葉」を国歌の歌詞から削除するとすべきという提案はドイツ国内では受け入れられなかったが、隣国のオーストリアやカナダではジェンダー・ニュートラルに配慮した法案がすでに通過している。カナダ上院では2月、カナダ国歌『オー・カナダ』の歌詞で使われている「汝の息子ら全てに流れる真の愛国心」という個所を、「我々全てに流れる真の愛国心」に変更するという法案が通過した。
オーストリアでも2012年から、男女同権に配慮して、当初は「息子たち」のみであった国歌『山岳の国、大河の国』の一節に「娘たち」という言葉が加えられている。

近年はジェンダー・ニュートラルの観点から国歌の歌詞を変更すべきという声が上がることが珍しくなくなったが、時代と共に変更を強いられたのは言葉だけではない。『ドイツの歌』は3番まで存在するが、東西ドイツ統一後の1991年に「統一と正義と自由」という言葉が使われている3番のみを国歌とすることが決定。現在、サッカーの試合などでキックオフ前に歌われている『ドイツの歌』は3番のものである。逆にナチス時代のドイツでは、2番と3番は国歌として認められず、1番が使われていた。

同様の例はアメリカにも存在する。
アメリカ合衆国の国歌『星条旗』がスポーツの試合前や外交イベントなどで演奏される様子は、テレビの中継などでもたびたび目にするが、公の場所では1番のみが演奏されている。実は『星条旗』の歌詞は4番まで存在し、米英戦争終結直前の1814年9月にメリーランド州出身の弁護士フランシス・スコット・キーによって作られた。『星条旗』が国歌として制定されるまでには1世紀以上の時間を要し、フーバー大統領時代の1931年に正式に国歌として定められた。

『星条旗』の一番では英軍による夜間砲撃を受けたメリーランド州のマクヘンリー砦で、アメリカ合衆国の国旗が破壊されずに高々と立つ様子が描かれているが、3番では奴隷についての描写もあり、以前から国歌としてふさわしくないのではないかという指摘も存在していた。3番には「金で寝返った者や奴隷に安住の地は無い」という歌詞があり、これは米英戦争でイギリス軍側について戦った人々を指す。米英戦争では奴隷として働かされていた黒人が自由を求めてイギリス側についた例が多数報告されており、イギリス軍と共に戦った黒人奴隷の多くはカリブ海諸国で土地を与えられたが、残りの半数は新たな場所で奴隷としての生活を強いられた。
『星条旗』の作者であるキーは奴隷制度の熱烈な支持者としても知られており、何人もの奴隷を使っていた記録が残っている。そのような歴史的背景もあり、『星条旗』に複雑な思いを抱くアメリカ人は、白人よりも黒人に多い。

国歌はその国のアイデンティティを示すものであるが、社会環境の変化と共に歌詞の内容や(国歌そのものもという例も)歌われる個所が変更されることは珍しくない。ドイツ国歌がすぐに変更される可能性はなく、今年のワールドカップでも、我々はいつものドイツ国歌を聴くだろう。
(仲野博文)