究極のB級グルメ!? 幻の昭和の味『文化フライ』
(上)これが文化フライだ!当時は、串にさした状態で売られていたらしい。縁日っぽく、発砲スチロールのトレーに入れて割バシを添えてみました。(下)ありし日の文化フライの屋台(はすぴーさん撮影)。手前にいるのは、はすぴーさんのお嬢さん。
『文化フライ』って知っていますか? 東京の下町に限定のジャンクフードで、肉も野菜も一切入っていない小麦粉を揚げただけ、つまり衣のみ(!)の哀愁ただようフライらしい。
以前、ある方のコラムで「ハムカツのハムが入っていない感じのもの」という記述を読んで以来衝撃を受け、ず~っと食べたいと思っていたのだが、なにしろ絶滅寸前の食べ物ということで無理だろうな……とあきらめていた。


ところが、『文化フライ』に詳しい東京都・足立区在住の通称「はすぴーさん」に連絡をとってみたところ、なんと! はすぴーさんは都内で99年頃まで45年間、文化フライをつくり続けていたという同じく通称「長谷川のおばちゃん」と現在も懇意にされているとのことで、なんと親切にも味見をさせてもらうことができたのです!!

はじめて見る文化フライは、コロッケを薄くしたようなカタチ。冷凍ですでに衣がついている状態のものをきつね色になるまで揚げ、専用のソースをたっぷりかけていただきます。味のほうは……けっこうもっちりとしていて、意外とかみごたえあり。かすかに甘みがあるのは、「シュガーカット」を加えているからなのだそうだ。粉モノ好きな人なら2~3枚は軽くイケそう! 似ている食べ物をしいて挙げるとしたら、「パン耳フライ」に砂糖の代わりにソースをかけた感じ、というんでしょうか? う~む、まさに素朴で懐かしい昭和の味……という感じでございました。

ということで、以下はすぴーさんに文化フライに関するあれこれをお伺いしてみました。


――まずは、いつ頃からあった食べ物なんでしょうか?
はすぴー「現在、40代の私が子供の頃の縁日にはたいてい文化フライの屋台がありました。足立区には西新井大師という有名なお寺があるのですが、そこに文化フライの屋台が数年前まではたまーに出没していたんです」
――へ~っ、てことは、昭和30年代頃からわりと最近まであったということなんですね。
はすぴー「そうですね。都内では1999年の11月まで長谷川のおばちゃんともう一人のおばちゃんが文化フライをつくっていたんですが、もう一人の方はすでに亡くなってしまったそうです……」
――え~っ!! てことは、その長谷川のおばちゃんにもしものことがあったら、文化フライは完全に日本から消えてしまうということなんですか??
はすぴー「そういうことになりますね~。長谷川のおばちゃんももう、70は超えていらっしゃるはず……。今はもう屋台はやっておられませんしね」
――ちなみに「文化フライ」の「文化」ってなんなんでしょう?
はすぴー「あくまでも私の推測ですが……昭和初期って文化鍋、文化包丁、文化住宅とやたら頭に文化がつけたモノがありましたよね。
当時は“文化”という言葉に、なんかこうハイカラで最先端なイメージがあったんじゃないでしょうか」

ちなみに長谷川のおばちゃんにも連絡をとってみたところ、05年9月の現在の情報では、残念ながら以前からおつきあいのあるお得意さんに販売するのみで、一般向けの営業はしていないとのこと(なので、長谷川商店の連絡先などは掲載しません……ご迷惑になるといけないので皆さんも連絡しないでね!)。昭和のおやつ史にこういうものがあったのか~、と記憶に刻むにとどめておいてくださいまし。 (野崎 泉)