東京・築地本願寺の佐竹真城さんが、ラジオ番組『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』内コーナー「徳さんとお坊さん」(ニッポン放送・毎週土曜 朝5時51分頃~)に出演。番組リスナーからの「終活」に関する悩みに答えた。

「終活」はした方がいいのか? お坊さんが回答「“残された方”...の画像はこちら >>

・埼玉県在住 71歳男性からの質問

「私は、『終活』という言葉にどうにも違和感を覚えてしまいます。確かに、残された人が困らないように断捨離をしたり、エンディングノートを書いたりするのも大切なことではあるのでしょう。でも、私はどうにも、この『終活』という言葉に馴染めません。

『あまり先のことを考えず、一日一日を大切に過ごして行けば、なるようになるのでは』と思っています。仏教の見地からすると、『終活』はどう捉えているのでしょうか? 仏教にもこのような考えかた、教えはあるのでしょうか? やはり私も、終活をした方が良いのでしょうか?」

質問者の「あまり先のことを考えず、一日一日を大切に過ごして行けば、なるようになるのでは」という考えについて、佐竹さんは「今をどう過ごしていくのか、を重視していくのは間違いないと思います」とコメント。一般的に仏教では「先の話」をあまりしないことを述べ、「諸行無常、ものごとは移ろい変化していくものだということが前提にありますので、今この瞬間というのを大切にしております」と解説した。

さらに、「残された人が困らないように断捨離をしたり――」という質問者の考えにも注目し、佐竹さんは「仏教では“他者への視点”というものがあり、他の方をどのように導いていくか、他者の利益、これを利他という風に言いますが、残された人が苦労しないように、と考えてあげることは凄く大切なことだと思います」と語った。

「終活はするべきなのか?」という悩みについては「する方がいいな、と思うご縁に出遇われたなら、されたらいいと思います。かと言って、終活をしなかったから何か問題があるかというと、その方にとっての問題は特にはないと思いますが、“残された方”をどう考えるかですかね」と言い、「こうすべき」とひと言で言い切れないことだと助言した。

「終活」とは、自分の人生の終わりを整理整頓する活動を意味するが、仏教において「必要以上に物を持たない」というのは基本だという。

「欲を少なく満足する事を知る」という意味である「少欲知足」という四文字熟語を例にあげ、佐竹さんは「身の回りを整理して、スッキリさせていくことは、終活という観点を除いても、仏教として本来あるべき姿ではないかと思います」と考えを述べた。

また、番組パーソナリティでフリーアナウンサーの徳光和夫が、佐竹真城(さたけ しんじょう)さんの名前に気になった様子で、「“しんじょう”さんは音読みですけど、訓読みはあるんですか?“まさき”とか……」と聞き、珍しい名前に興味津々。

佐竹さんは栃木県那須郡にあるお寺の出身で、「3代続けて『城』という字が続いておりまして」と名前の由来を明かすなど、和やかなトークも繰り広げられた。