東日本大震災から13年を迎えた3月11日、被災地である宮城県南三陸町の町長、佐藤仁氏がニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演。津波の被害を受けた旧防災対策庁舎を震災遺構として保存することを決断した理由について、「先送りは許されない。

想定外の自然災害が頻発する中、皆の自分事として捉えてほしい。未来の命を守ることにつながれば」と語った。

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東日本大震災から13年となった11日、南三陸町の防災対策庁舎には朝から花を手向けたり手を合わせる人の姿が見られた。14時46分にサイレンがなると、訪れた人たちは黙とうした=2024年3月11日午後、宮城県南三陸町(三尾郁恵撮影) 写真提供:産経新聞社

2011年3月11日午後2時46分に発生した国内観測史上最大となるマグニチュード9.0の巨大地震、東日本大震災から11日で13年を迎えた。警察庁の最新のまとめによると、死者数は1万5900人、行方不明者数は2520人となっている。また、福島第1原子力発電所事故の影響で避難生活を強いられる人は今も約2万9000人に上る。

一方、宮城県南三陸町では、職員ら43人が犠牲となった旧防災対策庁舎を震災遺構として保存することを決めたばかり。南三陸町長の佐藤仁氏に、この決断に至った思いなどを伺う。

佐藤)私は今年、73歳になります。震災20年を迎える7年後には80歳で、その頃には私は間違いなく町長を務めていません。また、復興事業が昨年7月で全て終了しました。南三陸町に残された大きな課題は、旧防災対策庁舎を保存するか解体するかの判断でした。

私はこの課題を次の町長に先送りすることは無責任だと考えていましたので、何とか任期中に自分で判断して方向性を示したかったのです。

東日本大震災以降も、熊本地震や能登半島地震など想定外の自然災害が頻繁に発生しています。旧防災対策庁舎を見てもらうことにより、想定外のことは起きるのだということを皆さんが自分事として捉えてもらえるのではないかとも考え、私の判断で震災遺構として保存するという結論に至りました。

辛坊)よく分かります。南三陸町では、旧防災対策庁舎の隣接地がかさ上げされ、そこに伝承施設などが整備されました。ただ、伝承施設などはあくまでもモニュメントにすぎません。

実際に何が起きたかを知るには、鉄骨がむき出しになりボロボロになった旧防災対策庁舎の表現力は大きいです。津波のとてつもない破壊力が分かります。建設時には旧防災対策庁舎に避難すれば大丈夫だと考えられていたにもかかわらず、実際には3階建ての屋上にまで水が押し寄せました。

佐藤)1960年のチリ地震津波の際にも、私は自宅が流されています。しかし、町中にはここまで津波がきたことを伝える看板があるだけで、当時の震災遺構は何もありません。ですから、当時の災害をリアルに受け止める方は住民の中にもほとんどいないのです。

東日本大震災で想像もできないような高さの津波が町を襲ったことがリアルに分かる旧防災対策庁舎を震災遺構として保存することによって、未来の命を守ることにつながると判断しました。

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