北海道函館市の「宝が来る」と書く宝来町に、朝5時から珈琲豆を焼く、いい匂いのお店があります。
今回は、珈琲豆屋『ブルースの木』を営むご夫婦のお話です。
濱谷一助さんと笑子さん(写真提供:ブルースの木)
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
“ハマさん”こと店主の濱谷一助さんは、昭和33年生まれの67歳。札幌で不動産会社に勤め、テナントビルの管理の仕事をしていました。
「そのビルに喫茶店が入っていまして、社長から喫茶店を手伝うように言われまして、初めて珈琲豆の焙煎をやってみたんですよ。ボクは凝り性なので、その奥の深さにいっぺんにハマってしまったんです」
還暦を過ぎた頃、第二の人生は、自家焙煎の珈琲豆専門店を開きたいと妻の笑子さんのふるさと、函館に移り住みます。ちょうどコロナ禍のさなかで、街に観光客はほとんど見かけません。「こんな時に店を開くなんて無茶だ」と周囲からは反対の声ばかりでした。

ツタに覆われた『ブルースの木』(写真提供:ブルースの木)
二人は函館山ロープウェイの近くに三角屋根の古い空き店舗を見つけます。ガラス窓から中を覗くと、雨漏りの跡があり、天井は抜け落ちています。トタンの壁は錆だらけ。店舗を覆うツタも枯れかけていて、「ダメよ、ここは」と反対する笑子さんに、ハマさんは「そうだな」と断念しますが、なぜか気になって仕方がありません。
しばらくして、不動産屋さんに連絡を取り、中を見せてもらいます。
『ブルースの木』という店名には、ハマさんの思いが込められています。

全部で15種類の珈琲豆を販売(写真提供:ブルースの木)
「1900年代、多くの日本人が夢を抱いてブラジルに渡ったんですが、待っていたのはコーヒー農園での過酷な労働だったんですね。その希望と切なさは、まさに『ブルース』だと思うんですよ。そのうち、『コーヒーの木』は、『ブルースの木』だと思うようになって、生産農家が大切に育てた珈琲豆をボクが心を込めて焙煎し、多くの人々に届ける……、そんなお店にしたいと思って、店の名前を『ブルースの木』にしました」
宣伝も何もせずにオープンした『ブルースの木』ですが、コロナ禍に自宅でコーヒーを味わいたい、というお客さんが買いに来てくれました。朝5時から焙煎した豆をその日のうちに売る。ハマさんのこだわりが評判となり、リピーターも少しずつ増えていきました。
ところが、オープンから2年目の冬、ハマさんは体調を崩します。病院で精密検査を受けると、大腸にこぶし大ほどの腫瘍が見つかりました。大腸がん……、ステージ3+と診断されすぐに手術を受けることになりますが、気がかりなのはやはりお店のこと。

店内で淹れたてのコーヒーも味わえる(写真提供:ブルースの木)
『ブルースの木』は、夫婦二人でやってきた店。どちらかが欠けたら、続けていくのは難しい……。
「ハマさんが帰ってくるまで、一人で頑張ってみるよ」
コロナの影響で、病院は面会禁止です。お店のこと、焙煎についてわからないことを、笑子さんはメールでハマさんに相談しました。まさに孤軍奮闘の日々が続きますが、店頭では、いつも笑顔の笑子さん。
そんな12月のある朝。外は大雪でした。珈琲豆の焙煎は朝5時から始まります。自宅を出て、真っ暗な道をお店に向かっていると、二つの人影が見えました。

ホームページから珈琲豆の購入も可能(写真提供:ブルースの木)
「あら、うちの店の前で、何をしているのかしら?」
近づくと、それは、いつも買いに来てくれるご夫婦でした。笑子さんが一人で大変だろうと、せっせと雪かきをしてくれていました。その姿を見て、笑子さんの目から、ぽろぽろと涙がこぼれました。
そのことを、病室のハマさんにメールで伝えます。
「ああ、うちの店は、二人だけの店じゃないんだ」

ミュージシャンの顔を持つ濱谷さんは定期的にライブを開催(写真提供:ブルースの木)
手術を無事に終え、一日でも早く笑子さんが一人で守っている店に戻りたいとつらいリハビリに励んだハマさん。今では、すっかり元気になって、朝5時から、お昼前の11時ごろまで、珈琲豆を焼いています。
『ブルースの木』のトレードマークといえば、三角屋根とツタです。冬に葉を落としたツタは、5月ごろから芽吹きはじめ、夏になると、わっさわっさと葉を茂らせて、お店全体を覆い尽くし、秋には赤や黄色に色づき、四季折々の表情を見せてくれます。
かつてはトタンが錆び、雨漏りもしていた古びた店舗が、今では函館の街にすっかり溶け込んだ、魅力的な空間になりました。
珈琲豆屋「ブルースの木」住所:北海道函館市宝来町7-3
電話番号:0138-83-7433
営業時間:10時~18時
定休日:水・木
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