『ストックホルムの旭日-文明としてのオリンピックと明治日本』(中央公論新社)著者:牛村 圭Amazon |honto |その他の書店

◆オリンピック初参加への道たどる
近代オリンピックはフランスの教育者ピエール・ドゥ・クーベルタンの提唱により創設され、一八九六年、ギリシャのアテネで第一回大会が開催された。日本が初めて参加したのは、一九一二(明治四十五)年に開催されたストックホルム大会である。
本書は近代スポーツの導入を西洋の学問(洋学)の受容として位置づけ、オリンピックの初参加にいたるまでの道程をたどったものである。

近代日本の精神史において、オリンピック大会は単にスポーツの競技大会というだけではない。欧米の選手と同じ試合に参加し、好成績をあげるのは西洋文化を手に入れる苦闘であり、「文明国」になる象徴でもあった。明治期における西洋文化の受容はこれまでに多く論じられてきたが、陸上競技に焦点を絞り、周到な資料調査を通して解き明かしたのは初めての試みである。

日本の陸上競技の発展においてオリンピックへの参加は重要な動機付けとなった。第一回オリンピック大会が開催されたとき、メディアではいち早く報道され、やがて米英の書物から得た知識が紹介されると、陸上競技の練習にも生かされるようになった。

著者がとくに注目したのは日本初の陸上競技教本で、大森兵蔵(ひょうぞう)の『オリンピック式 陸上運動競技法』である。大森兵蔵は日本がオリンピックに初参加したとき、選手団監督を務めた人物で、生涯、一冊の本しか残していない。そのなかでスポーツは文明論の視点で捉えられ、試合に役立つ技法や練習法などが紹介されている。本書は記述内容に立ち入り、スポーツ文化論と実技指導の両面からその意義を論証した。

文献学的な裏付けにこだわったのは本書の最大の特色である。武田千代三郎の「油抜き」という独特の訓練法から明石和衛が提唱した練習法や、大森兵蔵の教材にいたるまで、個々の記述が何に依拠したか、地道な調査を通して原典を明らかにした。
一見、何気ない記述も丁寧な文献渉猟を通してようやく成し遂げたものであろう。

スポーツの起源をたどれば、本来、趣味であり、気晴らしにするための身体活動である。近代になると、健康増進の側面が注目される半面、スポーツ試合は見世物になり、プロスポーツは娯楽産業として誕生した。オリンピックでさえいまやコマーシャリズムの埃にまみれた催し物になり下がった。

文化政治学の虫メガネで覗くと、身体の修辞学に隠された政治力学がくっきりと姿を現してくる。弱肉強食の帝国主義時代において、運動能力の競い合いは優劣序列の隠喩となり、やがて国家、文化や人種などさまざまな象徴体系において文化権力のイコンとなった。オリンピックが「文明国」の祭典だという言説の背後には社会進化論や人種主義、さらには帝国主義の影がちらついているのは言うまでもない。その意図を知ってか知らでか、明治日本も同じ文脈に沿って陸上競技を導入し、涙ぐましい努力で「洋学」としての近代スポーツを吸収した。その意味では、ストックホルムで開かれた第五回オリンピックにいたる道について、理論、実技、指導、訓練、選手の選考などの細部に立ち入り、その経緯を解明した意義は大きい。貴重な資料がふんだんに紹介され、スポーツを専門としない読者にもわかりやすい内容である。

【書き手】
張 競
1953年、中国上海生まれ。明治大学国際日本学部教授。
上海の華東師範大学を卒業、同大学助手を経て、日本留学。東京大学大学院総合文化研究科比較文化博士課程修了。國學院大学助教授、明治大学法学部教授、ハーバード大学客員研究員などを経て現職。著書は『恋の中国文明史』(ちくま学芸文庫/第45回読売文学賞)、『近代中国と「恋愛」の発見』(岩波書店/一九九五年度サントリー学芸賞)、『中華料理の文化史』(ちくま新書)、『美女とは何か 日中美人の文化史』(角川ソフィア文庫)、『中国人の胃袋』(バジリコ)、『「情」の文化史 中国人のメンタリティー』(角川選書)、『海を越える日本文学』(ちくまプリマー新書)、『張競の日本文学診断』(五柳書院、2013)、『夢想と身体の人間博物誌: 綺想と現実の東洋』(青土社、2014)『詩文往還 戦後作家の中国体験』(日本経済新聞出版社、2014)、『時代の憂鬱 魂の幸福-文化批評というまなざし』(明石書店、2015)など多数。

【初出メディア】
毎日新聞 2021年9月4日

【書誌情報】
ストックホルムの旭日-文明としてのオリンピックと明治日本著者:牛村 圭
出版社:中央公論新社
装丁:単行本(352ページ)
発売日:2021-07-07
ISBN-10:4121101197
ISBN-13:978-4121101198
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