人生100年と言われる時代、生きていればいろいろなことがある。楽しいときもつらいときも、そしてどうしたらいいか分からないほど寂しいときも。
女性の50代は、そんな寂しさと向き合わなければいけない年代なのかもしれない。

■更年期に子どもの独立が重なって
50代は女性にとって、心身ともに厳しい年代なのではないだろうか。

「50代に入ってすぐ、私は更年期で体調が最悪となりました。いわゆる不定愁訴、とにかく気分が沈み、肩こり、偏頭痛、食欲不振、不眠……。5キロほど痩せ、顔もしわしわになってしまって」

今はいくらか元気そうに見えるマチエさん(61歳)は、50代をそう振り返る。二人の子がいるが、上の男の子は大学から留学、年に1度会えればいい方だった。そして55歳のとき、下の女の子が就職と同時に家を出て一人暮らしを始めた。

■気が合わない夫との生活
「仕事をして、その給料で自分で生活をする。そういうシンプルなことをしたいと言いだして。うちから彼女の勤務先まではそう遠くないのに、出ていってしまった。時々は来るけど、一緒に暮らしているときとは違いますよね。私は夫とはあまり性格が合わなかったので、娘とは買い物に行ったり二人だけで旅行したこともあった。
娘に頼り過ぎていたのかもしれません」

気の合わない夫と二人だけの生活だったが、子どもたちがいなくなったことで、もう少し寄り添うことができるかもしれないと期待した。だが夫の生活は変わらず、平日は仕事で帰宅が遅かったし、週末も二人でゆっくり話すには心が離れ過ぎていた。

週に3回だったパートを4回に増やした。仕事をしていればむなしさは忘れるが、勤務時間が終わるとやはり気持ちはうなだれたままだった。

■立て続けに家族が亡くなって
「57歳のときに3歳年上の姉が突然、亡くなったんです。血圧が高いというのは聞いていましたが、遠方に住んでいたし、めったに会うこともなくて。急に倒れてそれきりだったそうです」

両親もよほどショックを受けたのだろう。特に父親は、普通にふるまっていたが実際には相当な衝撃だったようだ。それからすぐに病気が見つかり、闘病の末、2年後に亡くなった。

「一気に家族がいなくなっていく。子どもたちはいますが、姿はめったに見られない。姉と父は2度と話すこともできない。
母は気丈な人で、二人が亡くなっても涙1つ見せず、しっかりと送り出していたけど、やはり疲弊したんでしょう。それからしばらくは入退院を繰り返していました」

その後、母は思うところがあったのだろう。実家を処分して、高齢者施設に自ら入った。マチエさんには事後報告で、相談すらなかったという。仲の悪い親娘ではなかったはずだが、母は一人で全てを決めていた。

■居場所が見つからない
「母がいる施設にはいつでも行けますが、すっかりなじんで楽しそうに暮らしています。それを見ると、私には誰もいないなと思ってしまう。この年になって、自分の居場所がない感じ。自宅にいると、子どもたちがいたころのことを思い出してしまうし、熟年のカップルが仲よく散歩しているのを見ると、私は夫とはそういう関係を築けなかったと後ろを振り返ってしまう。私の人生はいつまで続くんだろうと悲しくなる。希望が見えないし、救いもない。どうしてこうなってしまったのかと情けないくらいです」

高校時代の同級生たちと会う機会があった。
せっかくだからと気を取り直して参加してみたが、孫が生まれたと喜んでいる人、夫婦で旅行をするようになったと照れながら話す人、そして中には結婚生活を続けながら恋愛に心ウキウキさせている人など、誰も彼も生き生きと人生を謳歌(おうか)しているように見えて、彼女はますます心が沈んだ。

「うちの子は二人とも当分、結婚しそうにないし、干渉したら嫌がられるだけだと分かっているから、子どもたちの人生には口を出す気はありません。でもこんな寂しさを抱えて生きていくのもつらくて。自分を前向きにさせるのは自分しかいないのは分かっているんですが、きっかけがないんです」

何か新たなことを始めるとか、今まで行ったことのない場所に行ってみるとか。新鮮な経験をすると気持ちも変わるかもしれない。もちろん、彼女だってそんなことは分かっているのだ。だが自分を鼓舞する「何か」がつかめないのだろう。

年をとっても生き生きしていられるかどうかは、ヒリヒリするような寂しさをどうやって味方につけるか、あるいは折り合いをつけていくかということにかかっているのかもしれない。

▼亀山 早苗プロフィール明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。

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