近年、こうした子どもの面前で行われる激しい夫婦げんかが、子どもの心や脳に想像以上の深い傷を残していることが明らかになってきました。
夫婦げんかが子どもの心や体にどのような影響を及ぼすのか、医学的に分かっていることを見ていきましょう。
■面前DVとは何か? 急増する心理的虐待の実態
児童虐待と聞くと、子どもを叩いたり蹴ったりする身体的虐待や、食事を与えないネグレクトなどを思い浮かべる方が多いでしょう。実際には、児童虐待防止法は、身体的虐待・ネグレクト・心理的虐待・性的虐待の4種類を虐待と定めています。そして、子どもの目の前で家族間の激しい暴力や暴言が行われる面前DVは、心理的虐待にあたると法律で明記されているのです。
実は、虐待かどうかの判断基準は、「大人側に子どもを傷つける意図があるかどうか」ではありません。「その行為が子どもにとって有害であるかどうか」という点です。
つまり、度を越えた夫婦げんかは、子どもにとって有害だと法律で認知されているわけです。
近年、警察による児童相談所への心理的虐待の通告が積極的に行われるようになった背景もあり、通告件数は急増しています。2021年度のデータによると、虐待通告件数のうち心理的虐待が占める割合は実に59.2%と、全体の約6割に上っているのです。私たちが考えている以上に、面前DVは身近で、そして深刻な教育・健康課題になっていると言えます。
■面前DVが子どもの脳と心に与える影響
実際に、児童精神科外来に訪れる面前DVの相談では、次のようなケースが見られます。
あるご家庭では、リビングで父親が母親に向かって大声で怒鳴り続けます。机を強く叩いたり、物を投げたりという行為もあります。母親は泣き崩れ、子どもは隣の部屋で震えながら耳をふさぎ、布団にもぐって過ごすことがしばしばあるそうです。
別のご家庭では、父親が母親に対して「お前なんか役立たずだ」「出て行け」と日常的に罵倒し続けています。大きなため息、怒鳴り声、ドアを強く閉める音、物を蹴る音が響き、家の中はいつもピリピリした空気です。子どもが暴力や暴言を受けているわけではありませんが、子どもは不安と緊張にさらされ続けています。
このような家庭で育った子どもには、精神的な不安定さが見られることが珍しくありません。
・夜中によく泣いて起きる
・悪夢を見る
・腹痛や頭痛を訴えるが検査しても異常がない
・小さな物音にもびくっとする
・常に親や大人の顔色をうかがう
といった様子が見られます。将来的には、
・自己評価が低く自分に自信が持てない
・常に自分が悪いと感じやすい
・人が信じられない
・友人とのトラブルで暴力に訴えたり逆に過剰に我慢したりする
といった傾向が見られることも分かっています。
加えて、将来の恋人や夫婦関係でも、暴力を振るう側や暴力を我慢する側になりやすいことも指摘されています。
■面前DVで子どもが視野狭窄(見える範囲が狭く)になる
「子どもの前での夫婦げんか」が医学的にも深刻であることは、脳画像研究などの脳科学の進歩によって科学的に証明されつつあります。
福井大学の友田明美教授らの共同研究によると、小児期に不適切な生育環境(マルトリートメント)を経験した子どもの脳には、形態的あるいは機能的な変化が生じることが、脳の可塑性研究から分かってきました。
子どもにとって激しい家庭内暴力を日常的に目にするのは耐えられないものです。子ども自身の脳が「見ないようにして」そのストレスを回避しようとしているわけです。
こうした脳の形態的な変化は、その場限りの恐怖にとどまらず、将来にわたって過度の不安や抑うつ、さらにはPTSD(心的外傷後ストレス障害)といった深刻な精神疾患を引き起こす要因になる可能性が指摘されています。
■人間関係にも影響を及ぼす面前DV
さらに、面前DVによるストレスは、脳の視覚野だけでなく、子どもの意欲や人間関係の構築に関わる部分にも影響を及ぼします。
一例として、子どもたちにカード当てゲームをしてもらい、当たったらお小遣いがもらえるという実験の報告があります。通常の子どもたちはやる気を出して、脳が活発に動きます。
しかし、幼い頃に傷ついた経験を持ち、周囲とうまく絆を結べない「愛着障害」を抱えた子どもたちは、お小遣いの多寡にかかわらず、脳のやる気を出す部分(腹側線条体)がほとんど反応しないことが分かっています。
心を閉ざしてしまった子どもは、どのような刺激にも反応しにくくなってしまうのです。「子どもにひどいことを言っているわけではない」「子どもに暴力を振るっているわけではない」としても、面前DVは、子どもたちに非常に深刻な影響を及ぼしてしまうのです。
■子どもの未来を守るために大人ができること
では、私たち大人は子どもたちの未来を守るために、どのようなことができるのでしょうか。
カナダにおけるDV加害者のための父親プログラムには、「よき夫でなければよき父にはなれない」という標語が掲げられています。
父親と母親が平穏であり、とりわけ母親が心から安心している環境こそが、子どもの脳と心を健やかに育む最大の基盤となります。
もし、これまでの関わりの中で心当たりがある場合は、専門家によるトラウマ治療や愛着の再形成に向けた支援を、時間をかけて慎重に受けていくことが大切でしょう。幸いなことに、子どもの脳は発達途上にあり、柔軟に変化できる可能性があります。適切なケアによって、脳の変化は回復可能なのです。
衝動的にカッとなってしまいそうなときは、夫婦げんかが子どもに及ぼす影響を思い出して、深呼吸してみてください。冷静になれるチャンスが生まれるはずです。
■参考文献:
1. 友田明美.不適切な生育環境に関する脳科学研究.日本ペインクリニック学会誌 2020;27:1-7.
2. 信田さよ子.心理的虐待と面前DV.刑法雑誌 2021;61:459-471.
3. 三鷹市子育て支援サイト
4. NorWest Co-op Community Health.Family Violence Caring Dads.
文:秋谷 進(医師)
小児神経学・児童精神科を専門とする小児科医・救急救命士。プライベートでは4児の父。子どもの心と脳に寄り添う豊富な臨床経験を活かし、幅広い医療情報を発信中。
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