「私はあなたの顔も性格も嫌いですが、あなた自身を愛しています」

もしこんな風に口説かれたとしたら、あなたは嬉しいですか? 嬉しくないなら、なぜなのでしょうか?

実はこの挑戦的な口説き文句は、今から2500年前に、古代ギリシアの大哲学者「ソクラテス」が考えたものです。

ソクラテスの言い分が正しいかどうかを判断するのはとても難しくて、それを考えたのが今回ご紹介したい『もしもソクラテスに口説かれたら―愛について・自己について(双書哲学塾)』(土屋賢二/岩波書店)という本です。


女子大で哲学の教授をしている著者が、哲学初心者の学生を相手に、この口説き文句が有効かどうかを議論している様子が描かれているのですが、読んでいると思わぬ迷宮の世界に引きずり込まれます。

人を「愛する」ということは、一体どういうことなのでしょう?

今回は哲学者ソクラテスの世界を、ほんの少しだけ、のぞいてみたいと思います。



※土屋賢二 『もしもソクラテスに口説かれたら―愛について・自己について(双書哲学塾)』(岩波書店)2007年

僕は君の「魂」を恋する者だ私の場合、好きな人には顔と中身、両方を好きになってほしいと思います。

君の「顔」が好きなんだ、他はどうでも良い! と言われるのは嫌だし、「財産」(ないけど)や「学歴」(ないけど)だけが魅力的だ! と言われると、悲しくなります。

しかし、ソクラテスの口説き文句はそのどちらでもないのですね。

普通は口説くとき「君は美しい」とか「君の瞳がどうのこうの」とか言うと思うのですが、彼の場合だと「君の瞳がどうなっていようと、瞳なんてなかろうと、もっと言うと、顔や姿なんて見えなくても良いよ! メールだけのやり取りでも良い。
僕は君の“魂”を愛しているのだから!」という解釈ができるわけです。

この「魂を愛する」という考え方が実はくせもので、ソクラテスはまず「人間と身体は別物だ」と捉えています。さらに「身体を使っているのは“魂”である」と主張します。

(※「魂」を「心」に置き換えるとわかりやすいかも。例えば、「手をあげよう」と思う時、心で思ったことが原因で手が上がりますよね)

そして「人間=魂」であると考えています。

この考え方を認めるとその帰結として「人を愛するのは、魂を愛することだ。
身体を愛しても、その人を愛したことにならない」という解釈も認めなければいけなくなります。

こんな風に口説かれても、どこか釈然としないし、納得できるかどうか検証するのに、何年も経ってしまいそうなのですが。

普段、疑問に思わないようなことを疑わせ、いろいろな問いかけをつきつけてくる、ソクラテスはすごいです。

当たり前だと信じている「常識」を疑うことで、物事を一方面だけでなく、様々な方向から考えることができるようになります。

ただ私は「恋」というものを構成する要素の多くは「情熱」であるとも思うので、「情熱」を分析することで、虚しくなったりはしないのかな? ということもベッカム似の紳士(※著者の土屋教授のことです)に尋ねてみたいと思いました。

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