『過去があるから今がある。私の人生を変えたヒトコト』とは?自分らしい生き方を手に入れた女性に、転機になった「人」や「事」、また「ひと言」をご紹介いただくインタビュー企画「過去があるから今がある。
私の人生を変えたヒトコト」。

記念すべき第1回目は、スマイルコンシェルジュ たきれいこさんの「人生を変えたヒトコト」をご紹介しています。

大学在学中に結婚、出産。その後離婚を経て、初めて社会に出たのは34歳の時でした。本編では、幼い3人の子どもたちを女手ひとつで守るために、どのように人生を切り開いていったのかを教えていただきます。



ようやく「私にもできる仕事」を発見。しかし僅差で求人募集には間に合わず・・・次にお話を伺う場所として、たきさんに連れていっていただいたのは、『銀座十字屋ハープ&フルートサロン hanare(はなれ)』です。

創業140周年を迎える、株式会社銀座十字屋。同社が運営する十字屋ホール、会長を務めるマダム中村こと中村千恵子さん、千恵子さんの娘さんでフリーアナウンサーとしてご活躍されている中村江里子さんとは深いご縁があるそうで、その思い出をたどりたいと、2013年11月にオープンしたばかりの『hanare』をご指定いただきました。

学生時代からほとんど外の世界を知らないまま大学へ進み、その年に結婚したたきさん。

卒業後も、そのまま家庭に入ってしまったので、離婚を機にいざ働こう! と思っても、社会人経験がまったくないため新聞の求人案内を見ていても、一体、私に出来ることって何なのだろう?  となかなか一歩を踏み出すことができませんでした。

マイクを持って表現する仕事がしたい! という気持ちがある一方で、子どもたちを守るためには、もっと地に足をつけた仕事を選んだ方がいいのだろうかと、悶々としていたある日。


子どもたちを保育園に送りに行く道中で、お弁当工場の求人を発見しました。

ここなら家に近いし、資格も経験もない私でも働けるかもしれない! 嬉しくなったたきさんは、身なりを整えてから面接を受けたいという旨を伝えようと、急いで帰宅。しかし着替えて再び向かうと、お弁当屋さんから求人募集の張り紙が消えていました。

その時はショックでしたけれど、今思えば、「あなたは今その仕事をするときじゃない」と神様に言われたのかもと思うのです。

再び、振り出しに戻ったたきさん。気がつけば、子どもたちとお散歩をしている時でも、買い物中でも、街角にある求人冊子を手に取ることがクセになっていました。

その後、運良くMC業を始められることになったのですが、私が求人冊子を手にとることがあまりに習慣化していたからか、仕事を始めてからしばらくたったある時、子どもたちが、「ママ、はい!」と言って冊子を見つけて持ってきてくれたことがありました。

ビックリしたけれど、子どもたちは見ていてくれていたんだなと、なんだか感動してしまって……。

そうして、ようやく迎えた社会人としての第一歩。

大学時代の友人の紹介で、念願のMC業を始めることになりました。その方は自身でもMC業をされていて、たきさんとは大学卒業後も連絡を取り合う仲。

離婚を控えていることや、仕事を始めなくてはいけない状況について話をしたところ、「れいこちゃん、社会人デビューの第一歩として、花嫁さんに付くアテンドとして働いてみるのはどう?」と提案してくれたそうです。


紹介された八王子の結婚式場に行くと、なんと、「あなた歌っていたことがあるの?  じゃあ、マイク持つのは慣れていますね。それならアテンドではなく、MCから始めてみない?」と突然のオファー。こうして、念願のMC業に就くことができました。

この時、目の前にあった霧がなくなって、バーッと道が開けたような気がしました。

お話をいただいてからすぐにMC業を始めたのですが、半年ほどたったころ、仕事を紹介してくれた友人が妊娠。

担当していたレストランウェディングのMC業ができなくなったと連絡を受け、今度はそちらの仕事も引き受けることになったのです。その後も、次々に友人や知人を通して仕事の依頼が増えていきました。

子どもたちとの時間を削ることなく働く。女手ひとつで娘3人を育ててこられたワケとは?

たきさんは女手ひとつで幼い子ども3人を育てるために、極力家族一緒の時間を増やそうと努力してきました。そうした意味でも、ウェディングの仕事は合っていたようです。

なぜならウェディングは土日が中心なので、平日に仕事が入ることが極めて少ないからです。平日はしっかり子どもたちのために時間を使い、毎週末、数時間ほど仕事にでかけるという生活。


そして時間ができたら家族皆で旅行へいき、より関係を強いものにする。

いくら土日中心とはいえ、幼い子どもたちにとって、母親がいない時間というのは寂しくて仕方がないものだったでしょう。たきさんは少しでも寂しさを感じさせないようにと、様々な工夫をしてきました。

仕事に就いてからしばらくすると、高校時代の友人の推薦で、老舗の高級シティホテル『ホテル西洋銀座』でもMC業を始めることに。ここでは10年にわたり、MCを続けたといいます。

ホテルの仕事は通常、事務所を通さないともらえないものなんです。けれど私はたまたま縁が重なり、フリーの立場でも仕事をいただくことできました。本当に、ご縁に感謝するばかりです。

日に日にたきさんの仕事ぶりは各方面で認められるようになり、ウェディング以外でもどんどん仕事の幅が広がっていきました。

代表的なところでは、フリーアナウンサー・中村江里子さんのトークショーでのMCや、小山薫堂さんが発起人となってスタートしたビッグプロジェクトのイベント司会など。毎年、十字屋ホールで行われる中村江里子さんのトークショーは、もう何年も担当しているんだとか。

同い年ながら一線で活躍している中村江里子さんにずっと憧れていたというたきさん。
一緒にお仕事ができて本当に嬉しい、と笑顔で話してくれました。

ところで、いくら小さい頃からマイクを持つことに慣れているとはいえ、人前で話すのは誰だって緊張するもの。特にたきさんには、34歳まで働いた経験がないというハンデがあります。仕事を始めるにあたって、不安はなかったのでしょうか。

もちろん最初はありました。ただ初めに仕事を任せてくれた方から、「あなたにとっては今回が初めての仕事かもしれないけれど、今日のパーティーがMCになって100回目だと思ってやりなさい!」と言っていただき、そこで気づいたのです。

プロとしてお金を頂いて仕事をする以上、「初めてだからうまくできないんです」というのは通用しない。

新郎新婦が一番緊張しているのに、こちらが不安をみせてしまったら、思いやりに欠けることですからね。偉そうにするのはダメだけれど、「安心してお任せ下さい」と緊張を隠して、仕事をやり通すことが本当のサービスだと思うのです。

その他の仕事内容は、一つひとつ現場で学んでいったといます。

MCの仕事は、どんなハプニングにも動じず、適切な対応をしなくてはいけません。パーティー中に地震が起きることもあれば、参列客が急病になることだってあるからです。
そうした予期せぬ事態にも動じず、どれだけ冷静に判断し、状況に即したアナウンスができるか。

時にはハプニングを笑いに変える対応力も求められます。目の前で起こった事態をそのまま伝えるのではなく、いかに安心してもらえるよう、「別の良い表現」に変えて伝えられるか。

努力を続けた結果、手がけたウェディングはすでに1,000組を超えました。これらの経験からたきさんは、私生活にも通用するタフさを身につけていったと言います。

ようやく踏み出した社会人としての第一歩。

それは、小さい頃から夢に見たマイクを持つ仕事でした。一つひとつの仕事を懸命にこなしながら、着実にステップアップを続けてきたたきさん。けれどどんなに忙しくても、子育てにも手を抜くことなく、家族の時間を大切にできるようにとあらゆる工夫をしてきました。

次回は、再婚という新しい人生を選択した理由、そして自身の仕事にも通じる「笑顔」の大切さについて教えていただきます。

(取材協力)

銀座十字屋ハープ&フルートサロン hanare(はなれ)

日本最大規模のハープ教室を運営する銀座十字屋の、女性専用フリータイム制ハープ教室。

同社が運営する担任制のハープとフルート教室「銀座サロン(銀座3丁目)」、「吉祥寺サロン」に続いて、2013年11月、銀座4丁目にオープン。
16室あるレッスンルーム全てに、イタリアの「サルヴィハープ」を設置。レッスンはベテランのハープ講師がマンツーマンで担当しているので、初心者でも安心して受講できる。練習室も完備。

住所:東京都中央区銀座4-4-5 銀座簱ビル5階 (シネスイッチ銀座と同ビル)

Tel :03-6228-6116

営業時間:月~金:12:00~21:00、土:10:00~19:00

定休日:日、祝祭日、年末年始

Photo by GOTA

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