正に最終話が放映され、ブルーレイ販売も3月28日にリリースされたばかりの「いなり、こんこん、恋いろは。」。同作を交えたうえでのアニメ業界に関する特別セミナーが19日、京都の立命館大学衣笠キャンパス充光館の地下シアター型教室にて開催された。

登壇者は、「いなり、こんこん、恋いろは。」の五味健次郎プロデューサーと同作の主役「伏見いなり」役の声優大空直美さん。大空さんは立命館大学映像学部の一期生であることから、今回は巷では「凱旋講演」とも呼ばれていた。
当日はトークショーに加え、第4話「緋色、宵宮、恋模様。」を生コメンタリー方式で上映。普段あまり聞くことが出来ないアニメ業界の裏話から、作品中最も美麗な宵宮シーンのメイキングなど、登壇者から飛び出た様々な新情報の連続に120名もの参加者で溢れた会場は大いに盛り上がった。本稿では、その模様をお伝えしよう。

『いなり、こんこん、恋いろは。
』 http://inarikonkon.jp/bluray/
立命館大学映像学部 http://www.ritsumei.ac.jp/eizo/
大空直美 http://www.aoni.co.jp/junior/a/ohzora-naomi.html

■ 朱色にこだわった宵宮

特別上映会では、第4話「緋色、宵宮、恋模様。」が大空さんと五味プロデューサーによる生コメンタリー形式で、上映され、そこでは、本エピソードを巡る様々な逸話が語られた。
まずは高橋亨監督による宵宮でのロケハンの模様から。五味プロデューサーとしては、監督自身の目で宵宮を確認してもらいたかったのだ。その結果として描かれたのが、風にたなびくちょうちんのシーン。スタッフは、その工程の複雑さからあまり乗り気ではなかったものの、それ自体が宵宮の雰囲気を適格に示しているとの監督の強い意向で挿入されたという。以降、本エピソードでは、風鈴がたなびく様がところどころえがかれているが、確かに京都のほっこりとしたお祭りらしさを示すうえでこういった演出が生きている。

また、朱色も大切にしたとのこと。伏見稲荷大社は世界的にも有名な鳥居も含め朱色が重要な役割を果たしている。本編でも、数々のシーンで朱色が全体的なトーンとして用いられていた。これが数々のテストの結果であるという。
「赤を綺麗に見せるのが本当に大変だった」と五味プロデューサー。暗い影色も全て調整したとのこと。
また、赤味も様々なのでそれを調整しつつ顔が赤らんだりした場合でもその赤が映えるように他の朱色を調整しているとのこと。このようにして印象的なシーンは作られていったのだ。

■ 女性陣を集め、リアルな中学生女子を描く

同時に4話では、演出面でも細心の注意が払われたという。もともと中学生の女の子が主人公であったことから、男性スタッフで固めてしまうとどうしても演出面において自分達(男性の)の願望が入ってしまうとのこと。こういった状況を回避するために、脚本担当は女性陣で固めたと五味プロデューサー。それが最も効果的に機能しはじめたのが4話だったという。

お祭りという特別な時期に浴衣を着ることの緊張感や、帯締めでの苦労、どの髪飾りをつけるのか迷うシーン、そして、いなりと墨染がお互いの浴衣姿を褒めあうシーンなどは、女性でなければ描かれる事はなかっただろうとのこと。大空さんは、帯び締めのシーンをアフレコする際、両手で自分の腰をぎゅっとしめながら、うめき声を再現したという。
また、女子同士が褒めるシーンで観客がどよめくと、「えーっ。男子はお互いに褒めあったりしないんですか~?!」と大空さんはすかさず聞き返し、会場から笑いを誘っていた。

また、4話は いなりの意中の相手である丹波橋から浴衣が似合っているといわれ心ときめくシーンや、丹波橋がはじめていなりを意識しはじめるというシーンがあるなど、二人の関係が大きく進展する節目的なエピソードでもある。
生コメンタリーでは、大空さんからいなりの心の変化についても語られた。
特にいなりが祭りの喧騒の中で丹波橋くんを見つけ、気張っていくときのセリフは「気合が入りすぎて片言になっていた」点や、丹波橋くんに「浴衣がかわいい」と言われたときが、いなりにとっては、最高に幸せな瞬間だったと、いなりの気持ちを大空さんが代弁した。
この他にも、いなりのゲタが壊れてしまったときの丹波橋くんのリアクションから、お互いに気持ちの変化が感じ取れるといった解説もなされたがこの点はネタバレになってしまうので、ブルーレイを購入したときに皆さん自身の目で確かめて欲しい。

■ ロケハンを徹底的に行い、伏見大社の魅力をアニメで再現

これに引き続き、本セミナーの主旨である、「アニメ業界のお仕事」について、プロデューサーならびに声優の双方の視点から展開された。前半は、上映会を受けて『いなり、こんこん、恋いろは。』でのエピソードを中心に進められ、後半は、業界に入った経緯についてそれぞれの視点から語られた。

まず、『いなり、こんこん、恋いろは。
』がアニメ化された経緯についてだが、やはり、角川書店所属のプロデューサーとしては、書籍を売ることが大事な目標になるとのこと。これについては、他のアニメメーカーと違う場合もあると言う。
「いなり、こんこん、恋いろは。」制作は2年前からはじまったとのことだが、ちゃんとしたアニメ作品を作るには放送まで最低でも1年は欲しいと、五味プロデューサー。『いなり、こんこん、恋いろは。』のプロジェクトを進めるうえで、まず懸案として考えたのが、関東のスタッフだけで、一般の日本人が考える京都の雅で上品なイメージ、なにより言葉づかいを再現できるのか?という点だったという。色々スタッフと話し合った結果、スタッフ十数名で伏見地域にロケーションハンティングを敢行することにしたという。
簡単に聞こえるが、テレビアニメの制作費にとって、旅費、宿泊費なども合わせて数百万円規模になってしまうロケはかなりの負担。多くの場合、そこまで大規模なロケーションハンティングはテレビアニメでは行われないが、今回はそれが生きたという。

例えば、キービジュアルなどをはじめ劇中の数々のシーンで描かれた木漏れ。これは実際に現場の様子から得られたイメージだという。この他に考慮したのが、京ことばだ。通常では、セリフは、アニメ制作工程の編集後で録音する(従って、アフターレコーディング、アフレコと呼ばれる)が、今回は、絵コンテが出来た時点で、京ことばを用いてのイントネーションの録音がおこなわれ、声優さんにそれを聞いてもらってからアフレコをおこなったという。
つまり、作業的には2回アフレコがおこなわれたのに近い。これについては「本当に大変でした~」と大空さんは声を大きくした。実際、演技がよくても、イントネーションが違うということでNGになってしまったことが何回かあったという。また、音声ガイドの収録は、それはそれで大変だったとのこと。

また、コミックの何巻まで映像化するかで悩んだと五味プロデューサー。1クール12話の場合、コミックでは3~5巻までカバーするのが通常だと言う。だが、今回はもともと全10話と決まっていたので、5巻までの内容をアニメにするのであれば、そこまでに描かれたエピソードの中で何を描くかを考えなければならなかったとのこと。
実際、構成だけで、3、4ヶ月かかったと五味プロデューサーは当時の苦労について触れた。苦渋の中、良案を提案したのが高橋亨監督。10話ではなく60分作品3本分と見立て、3部作にすることを提案したのだ。これによって、ストーリー構成も整理されていったこと。

■ 40人の中から射止めた伏見いなり役

一方、大空さんからは、自身が「伏見いなり」役を射止めた経緯が語られた。同役はオーディションがおこなわれたのだが、大空さんの出番は40人中、39番目。オーディション時は、「何か面白いことを言ってくれ」といわれ四苦八苦しながら原宿でのエピソードを披露し、その場をしのいだという。このようにオーディションは、たわいもない会話なども普通におこなわれるとのこと。これはオーディションで緊張している声優の心を和らげるための配慮であるという。

選ぶ側にとっても、オーディションは激務と五味プロデューサーは明かした。通常オーディションは1時間で6人、それを5-6時間、日数で3日間ぶっつづけで行われるという。このようにやっていると、前半にやったオーディションは思い出せないほど疲れてしまう。だからといって後半が有利というわけではない。後半は後半で、スタッフの疲労がピークに達してしまうからだ。
ただ、最終的には直感で決定される場合も多いと五味プロデューサー。『いなり、こんこん、恋いろは。』の場合、配役はスタッフ間の合意でおこなわれたが、いなりの場合は、大空さんのオーディションが終わった瞬間、「いいね!いなりはもうこれで決まり!」と言ったスタッフがいた程だったとのこと。
大空さんも台本を読んだときから、いなりが他人のように思えなかったと当時の役に対する思いを述懐する。「一見するとドジっ子にしか見えなくても、いなりは、すごく物事を考えてから行動する子。そして自分のためにではなく常に誰かのために行動をしている。もうまるで自分の妹、または家族のような視点でいなりを見ていました。」と目を輝かせた。

一方、京都にいたこともいなりの役作りで役にたったとのこと、4年間京都に通いつづけ、いきつけの喫茶店「わからん」では牛筋うどんを毎日食べたという。
また、パワースポット巡りもしていたことから、いなりの気持ちも共感できるようになったと在学時代の経験を語った。

なお、アニメ業界全般についても、様々な事が語られた。まず、五味プロデューサーはアニメ業界に28歳で制作進行として入り、そこから角川グループへ。以降、様々な部署を巡りながら、現職に行き着いたという。なので、作っている現場を知らずにプロデュースすべきではないというのが自身のポリシーであるという。ただし、制作現場スタッフだけを守ってしまい、作品の宣伝や販促をおろそかにしてしまっても成功は出来ないことから、バランスは重要であるとのこと。特にクリエイター同士の化学変化を見るのがプロデュースの仕事だと持論を展開した。
「いなり、こんこん、恋いろは。」については、絵コンテや、演出経験は豊富にあるが、監督としてはそれほどキャリアのない高橋氏を起用した理由に、若いながらも感度の高い脚本の関根アユミさんを当てたかったからだと説明。「監督暦が長すぎる人を当ててしまうと、関根さんが思い切った仕事が出来ない」と五味プロデューサーは分析する。ベテランが若い感性を支えるというチーム構成が「いなり、こんこん、恋いろは。」の制作現場というわけだ。

声優への道は大変だったと、大空さんはこれまでを振り返る。大空さんの所属する青二プロダクションには300人以上もの声優が在籍し、同期だけでも30人いる。このような状況では、「アニメのオーディションに出るには社内オーディションに合格してからでないと出られない」と社内ですら、厳しい競争環境である現実を赤裸々に語った。
声優として一番最初にしなければならなかったことは、週五日間、事務所に顔をだして、声と名前を覚えてもらうことからのスタートだ。自分のボイスサンプルをつくり、マネージャーに自分自身を売り込むことからはじめなければならなかったと言う。

「声優をやってきて最もつらかったことは?」との質問には「お仕事が無い頃」と躊躇なく応えた。なかなか仕事がこず、バイトばっかりしていた時代は本当に大変だったとのこと。ごはんが食べられない時期もけっこうあり、パンの耳に焼き肉のたれをつけて食べていたときもあるそう。
奇しくもそんな状況がTV番組「ボンビーガール」で紹介されたとき、缶詰をファンが送ってきてくれてすごく嬉しかったと当時の心境を語った。「日持ちするものはすごく助かりましたね!」と大空さんは茶目っ気たっぷりに語った。
逆に「最も嬉しかったときは?」との質問には、「やっぱりお仕事をしているときが一番楽しいです」とこれも即答。いなりも含め、「この子の幸せって何かな?」と考えるところからはじめ、役作りをしたり、演技をしている瞬間、そしてなによりオンエアされたときが一番嬉しいと自身の心境を明かした。「いなり、こんこん、恋いろは。」でクレジットが流れてきた際、大空さんの父親が「直美、一番うえじゃないかっ!この人とこの人の上に、直美の名前があるのはなんか変な感じがするね!」と言って来たとカミングアウトしたところで会場は爆笑。「でも、(クレジットは)そういうことじゃないし…」と困惑したことも明かし、会場の笑いを更に誘っていた。

また、「立命館大学映像学部で学んだことは」との質問に対しては、「この学部はけっこう希望することをなんでも挑戦させてくれる学部」という印象を紹介しつつ、大空さんの場合は卒業論文として「それいけアンパンマンを海外展開した場合、受けるかどうか?」について「プロデューサー視点から」研究したことを明かした。
留学生に対してインタビューやアンケート調査をした結果、「自分の身を削って、特に自分の顔を誰かに食べさせる」というコンセプトが、欧米のひとには分かり難い傾向にあることを確認したという。
また、「そもそもアンパンがない!」という根本的な部分も海外進出の弊害になるとのこと。この他に音響制作について学んだこともいまでも活かされていると大空さん。アニメーションにつける効果音を自分で実際につくるという授業を受けたとのこと。大空さんは「娘から分かれて離れていくというさびしそうな足音」を実際に成人男性の靴をつかって、ジャリジャリと音をつくったものの、どうやったら寂しそうな音を出せるのかで試行錯誤したという。また、CG制作を通して、アニメ制作スタッフの気持ちを理解しようとしたとも。

このように終始、盛り上がりを見せたセミナーだったが、最後は、二人のアニメ業界志望者へのメッセージで締めくくられた。ここからは、各自のメッセージをそのままお伝えする形で本リポートを終了したい。

“脅すわけでないですが、アニメ制作は大変な作業なんですよね。ただ、やり切った感はすごくあるし、10年、20年残るものをつくっているっていうことは幸せなことだなと思います。なので、大変なときは、あまり無理しないで、休んでもいいと思いますが、そのかわり1日でも長くアニメ業界にいてほしい。5年しかいない人と10年いた人では、圧倒的に10年いた人のほうが業界のためにもなっているし、悩みや辛い仕事をかわすスキルも身についていると思いますので。つらくて、つらくて、毎日逃げたいと思うときもあるけど、そこを踏ん張って、一日、一日と続けて欲しいなあと思います。”
(五味健次郎プロデューサー)

“若輩者ながら、声優業界に限ったことをお話させていただくと、これは先輩の言葉なんですが、「運7割の世界」、というのがあります。本当に何が役獲得につながるかも分からないですし、人との出会いもどうなっていくか分からない、本当に運の世界なんですが、「運が来たときに、それをキャッチ出来るだけの力はちゃんと無いといけないよ!」という先輩の言葉を聞いていたので、私自身はいつも「100%がんばろう!」というのをモットーにこれまでやってきました。あとは楽しくがんばっていったらいいんじゃないかなって思います。でも、本当に大変な世界だとも思っています。苦労も多いですし、デビューをするまでも大変ですし、デビューしてからはもっと大変な世界だと思っています。なので、興味のある方、一緒にがんばりましょう!”
(大空直美さん)

『いなり、こんこん、恋いろは。』 http://inarikonkon.jp/bluray/
立命館大学映像学部 http://www.ritsumei.ac.jp/eizo/
大空直美 http://www.aoni.co.jp/junior/a/ohzora-naomi.html