アニメやマンガ作品において、キャラクター人気や話題は、主人公サイドやヒーローに偏りがち。でも、「光」が明るく輝いて見えるのは「影」の存在があってこそ。

敵キャラにスポットを当てる「敵キャラ列伝 ~彼らの美学はどこにある?」第31弾は、『ヴィンランド・サガ』よりアシェラッドの魅力に迫ります。

矛盾に引き裂かれたキャラクターは、面白い。一本筋が通っているキャラクターとは異なる人間くさい魅力がある。

『ヴィンランド・サガ』のアシェラッドは、まさに矛盾によって輝くタイプのキャラクターだった。ただひたすらに復讐だけを考える主人公トルフィンに対し、その仇でありながら、同時に彼の父親代わりのような存在として振舞う。

そして、己の野望のために策略を巡らし多くの人間を利用しながらも、最後は自分の中にある「大切なもの」を守るために自らを犠牲にしてしまう。
権謀術数に長けていて剣の腕も立ち、残忍な部分と高潔な部分も併せ持つ。アシェラッドほど多くのものに引き裂かれたキャラクターは珍しいだろう。

■デーン人が憎いのにデーン人として振る舞う男

『ヴィンランド・サガ』の主人公トルフィンにとって、アシェラッドは父の仇だ。

一対一の誇り高い決闘で、卑怯なだまし討ちで父を殺したアシェラッドを殺すために、トルフィンは彼の仲間となる。自分を狙う危険な小僧を、アシェラッドは自分との決闘をエサに良いように利用し続けている。アシェラッドは危険な任務をトルフィンに命じ、その褒美として一対一の決闘に応じるのだ。


アシェラッドにとってトルフィンは、便利なコマでしかないように見える。しかし、トルフィンはアシェラッドへの復讐に人生を捧げてしまっており、決闘に応じてやることで、彼にとりあえずの生きる道を与えてやっているとも言える。そして、トルフィンの戦闘力がメキメキと向上していくのも、ある意味でアシェラッドのおかげだ。

アシェラッドは、ヴァイキングであるデーン人として普段は振舞っているが、実は心の底ではデーン人を嫌っている。彼は、デーン人の父とウェールズ人の母の元に生まれた混血児で、元王女だった母の血をこそ誇りに思っている。

デーン人を心の底から憎んでいるくせに、自分は生粋のデーン人らしく野蛮な略奪行為を行い、粗暴な部下たちをまとめているというのも、一見すると矛盾している。
彼は父親を含めてデーン人を「豚にも劣る」と見下すが、そんな父親譲りのデーン人の野蛮さを彼自身も持っていることも自覚している。その野蛮さのおかげで父親へも復讐できたし、荒れた時代を生き残ることもできている。

しかし、一方で生粋のデーン人ではないためか、そんな人生に虚しさを感じてもいるのだ。彼は母が語っていたウェールズの英雄がいつか帰還し、理想の国を作ってくれることを期待してもいたが、そんな存在はいやしないと諦めてもいる。

だから、彼は自分で自分の理想とする国を作り上げるためにデンマークの王位継承争いを操ることにした。ひ弱な王子クヌートを担ぎあげて、英雄を作り上げることで、理想を実現しようとしたのだ。


しかし、母の母国ウェールズがデンマーク王に狙われてしまうと、全ての策略を捨て、自らを犠牲にしてクヌートとウェールズ両方を守ろうとする。狡猾に他者を利用し、計算高く振舞うのが得意なアシェラッドが自分を犠牲にしてまで守りたいものがあったのだ。

そして、彼の計略はそのために潰えた。彼が生粋の謀略家で己の野望にしか興味のない人物だったら、こういう結末にはならなかっただろう。こんなにもたくさんの矛盾を抱えているからこそ、悪党でありながら、アシェラッドから目が離せないのだ。

■主人公の仇となり父のようでもある

主人公のトルフィンにとって、アシェラッドの死は父トールズの死に次ぐ「第二の喪失」だ。


トルフィンは生きる意味をアシェラッドへの復讐に見出していた。その復讐相手がいなくなった結果、生きる意味を失った彼は奴隷の身となってしまう。

憎い仇ではあったが、アシェラッドはある意味でトルフィンにとって「第二の父」のような存在でもあった。のっぽのトルケルとの決闘にトルフィンが勝てたのは、アシェラッドの教えのおかげだし、彼が成長できるように度々助言をしていたりもする。

アシェラッドは、自分が果たせなかった夢をトルフィンに託したのだと思う。自分は血みどろの人生から抜け出すことはできなかった。
しかし、トルフィンには、自分もトルフィンの実の父トールズも行けなかった先に進んで、新しい世界を見てほしかったのだろう。

仇の父親代わりになってしまうなんて、なんて矛盾した男だろうか。しかし、その矛盾によってトルフィンは生き延びることができ、なおかつ進むべき道を見つけられたのだ。

(C)ヴィンランド・サガ SEASON 2 製作委員会