【池袋発】日本を代表する大手家電量販店のトップともなれば、近寄りがたいオーラを発してもおかしくないはずだが、今回お話をうかがった秋保さんからそうした雰囲気を感じることはまったくなかった。それはおそらく、凄腕のバイヤーそして経営者という顔の内側に、消費者あるいは生活者の意識が裏打ちされているからなのではないかと思う。
気分が共有できるのだ。詳細は本文を参照していただきたいが、冷蔵庫の横幅5センチの違いに憤る感覚は、凡庸なものではないことに気づく。
(本紙主幹・奥田芳恵)

●お客様への声掛けで苦戦した新入社員時代
 秋保さんは一昨年の9月、ビックカメラの社長に就任されましたが、入社した当時から経営者になることを意識されていたのですか。
 そんな意識はまったくありませんでした。こう言うと信じてもらえないかもしれませんが、いわゆる出世欲はなかったですね。専務に昇格したとき、「もしかすると、自分は社長になる可能性がある立場なのかな」と思ったくらいで、それが正直なところです。
ただ、常にその時々の立場で「もっとお客様のために」と考え、現状に対する疑問を持ち続け変えたいと思い続けていました。
 1万人以上の社員を擁する企業のトップとは思えない無欲さですが、若い頃は仕事に対してどのように取り組まれていたのでしょうか。
 私は新卒で入社し、1年目は池袋本店の店頭に立って接客していました。配属されたのは当時1階にあったテレビ売場でしたが、出来の悪い販売員でしたね。
 そうだったんですか?
 私は大学時代、飲食店でアルバイトをしていました。その仕事がとても楽しかったので、自分はお客様サービスの仕事が向いていると思い、就職先も小売業を選んだわけです。

 ところが、飲食店ではお客様が注文してくださるのが当たり前ですが、家電販売店では当然そんなことはなく、販売員がお客様に声掛けをして商品を勧めなければ、なかなか売り上げにはつながりません。
 タイミングとかお客様の雰囲気とか、いろいろなことを考えなければなりませんね。
 そうです。ところが、私はこの声掛けが苦手で、お客様にいなされたり無視されたりすることが続くと、だんだん声掛けをするのが怖くなってくるんですね。先輩や同僚がバンバン売っているのを見て焦ったり、声掛けをしないでお客様の様子を見ていると上司から注意されたりと、これはけっこうな苦痛でした。だから、お客様から「すみませ~ん」と声がかかると喜んで飛んでいきましたね(笑)。

 その厳しい状況の下で、何か販売員としての楽しさとか面白さを得ることはできたのでしょうか。
 当時、テレビとビデオを合体させた「テレビデオ」という商品があって、新人である私もその売上責任を持たされました。
 メーカーとバイヤーが力を入れて売ろうとする商品を、現場でいかに売るか知恵を絞るわけです。具体的には、どのような売場展開をして商品を見せるか、どんなPOPをつくって訴求するかといったことですが、それにより手ごたえを感じ、実際に成果が出たときはうれしかったですね。
 厳しい新人時代ながら、得るものもあったわけですね。
 常に自問自答し、試行錯誤を繰り返す毎日でしたが、自分にとって大切な1年だったと思います。

●自身が消費者目線になったがゆえに
バイヤーとしての自覚が芽生えた
 その後は、どんな仕事に携われたのでしょうか。
 2年目に商品部に異動し、最初はアシスタント的な仕事に従事しました。
 商品部というと、バイヤーの仕事をするところですね。2年目に異動というのは、ずいぶん早く感じます。
 当時の商品部は池袋本店の中にあって、たまたま接客している私の顔をおぼえられたのでしょう。当時から、若い社員を起用しようという気風は強かったですから。

 商品部に移ってからは、アシスタントの仕事をしばらくした後、2000年の後半から時計のバイヤーを数年間務めました。
 ということは入社4年目でバイヤーになられたわけですが、仕事に対する取り組みはいかがでしたか。
 時計という商品は、当時の社内ではどちらかというとまだマイナーなカテゴリーで、私自身もなんとなく仕事をこなしているという感は否めませんでした。私にとっての転機が訪れたのは、06年に家電のバイヤーになってからです。でも、最初のうちはそれほどの熱意もなく、与えられた役割を果たさなければならないという程度でした。
 家電のバイヤーというのは、まさにメインのカテゴリーを扱うわけですよね。

 そうです。家電のバイヤーになると、6社ほどある国内大手電機メーカーの担当者と毎日商談を行います。最初のうちは、家電のことがよくわかっていなかったので、相手の言われるがままという感じでした。それに加え、当時私は30歳を超えたくらいでしたが、メーカー担当者はほとんどが年上で、所属も日本を代表するような巨大企業ばかりです。相手が妙に大きく見えてしまい、それを過剰に意識してしまいました。
 どこかに気後れするところがあったのですね。
 ところが、商談をしているうちに、おかしなことに気づきました。
 おかしなことですか……。
 具体的に言えば、冷蔵庫の商談でメーカーが提案してくるのは、横幅65センチ以上で容量400リットル以上という当時としては大型のものだけで、中型・小型のものはまったくと言っていいほど提案してこなかったことです。
 ちょうどその頃、わが家でも冷蔵庫を買い替えようかという話が出ており、妻とカタログを眺めて相談していたのですが、家の台所には横幅60センチまでのものしか入らないことがわかりました。
 メーカーが提案する大きな冷蔵庫は、入れられないわけですね。
 そのとき、メーカーは生産効率のよいものだけを大量生産し、小売店にもある程度よい条件を示して、たくさん売ってもらおうと考えていたのだと思いました。カタログを見ても、大型のものは見開きで掲載し、それ以下のサイズのものは半ページのスペースに押し込めるといった具合です。でも、そんなに大きな冷蔵庫が置ける家庭というのは限られており、独身者や少人数の家族を無視したマーケティングといえます。
 秋保さん自身が、消費者の立場になって気づいたのですね。
 自分の個人的な感情も交じり、特定のエンドユーザー層しか相手にしていないように見えて憤りを感じました。このとき、ようやく小売業の使命に気づいたんです。
 小売業の使命とは?
 お客様の豊かさを追求することです。バイヤーが、自社が儲かるように交渉することは当たり前ですが、お客様視点で自信をもって勧められる商品を仕入れることが、本当の儲けにつながります。だから、メーカーに対しては意見ばかり言っていましたね。
 なるほど。そこから丁々発止のやり取りが始まるわけですね。後半では、経営者としての秋保さんの考えに迫りたいと思います。(つづく)
●創業者から勧められた書籍
 詳しくは次号でふれるが、秋保さんは、この『人を大切にして人を動かす』(和地孝著、東洋経済新報社)を読んで、会社経営に対する認識ががらりと変わったそうだ。この本から、経営者としてのあるべき姿勢を学ぶことができたと秋保さんは語る。
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。