(本紙主幹・奥田芳恵)
●コンピューターの普及とともに市場調査会社を立ち上げる
奥田 デイヴィスさんは、ロンドンに本拠を置く、IT市場の調査会社CONTEXTの創業者ですが、まず、起業に至るまでのいきさつを教えていただけますか。
デイヴィス ビジネススクールを出たものの、仕事のオファーがなかったからです(笑)。ビジネススクールに行く前は、フリーランスのコンサルタントとしてさまざまな業界のマーケットリサーチに携わっていました。
奥田 それはどんなリサーチですか。
デイヴィス その内容は本当にさまざまです。例えば、米国政府のために世界のゴム市場の調査をしたこともあれば、化学会社の依頼でスペインに行ってスイミングプールの水の容積を調査したこともありました。
奥田 そうした仕事を経験された後に、ビジネススクールでMBAを取得されたのですね。
デイヴィス 83年、英国に初めてPCが登場し、そこからヨーロッパ全体に市場が広がっていきました。そこで、私は1歳上の兄、ジェレミーと一緒に、PC市場の動きを追いかけるようになったのです。それがCONTEXTの始まりで、同年7月に、それまでラテンアメリカで教師をしていた兄とともに会社を設立しました。
奥田 それは何歳のときのことですか。
デイヴィス 32歳です。私は誰かに雇われたいとは思っておらず、また私のことを雇いたいと思う会社もあまりなかったようなので(笑)、生計を立てるために起業したわけです。
奥田 もともと経営者になろうという志を持っていたのですか。
デイヴィス いいえ、そういう志があったわけではなく、結果的にこういうかたちになっていったということです。
奥田 当時、PC市場の盛り上がりをどのように感じられていましたか。
デイヴィス 新しく、革命的で、とてもエキサイティングでした。そして、PC市場に関わる人は面白い人が多かったですね。平凡ではなく、変わり者がたくさんいました。ちょっとエキセントリックだったり、他の人と異なる考え方をしたり、未知の世界に関わることに強い興味を持つタイプですね。
奥田 ワクワクするような新しい世界だったのですね。
デイヴィス 当時のPC業界は急速に拡大しつつあったのですが、その拡大とともに、マーケティングディレクターやセールスディレクターなど、マネージャークラスの人材が広く求められるようになりました。
新しい業界ですから前職もいろいろで、私が覚えているのは、醸造所でビールのマーケティングディレクターをしていた人がPCのマーケティングディレクターになったり、IBMのマシンに似たPCクローンをつくっている企業の経営者は、かつてハリウッドのB級映画に出ていた俳優でした。
奥田 まさに、多様な人材が集っていたのですね。
デイヴィス そうですね。面白い人が集まり、新しいことをやろうという気概に満ちた時代でした。
●自分の生き方を培ったスコットランドの大学時代
奥田 デイヴィスさんも、そういうちょっと変わった人の一人だったのですか。
デイヴィス それは自分では分かりません。両親や友達に聞いてみないと(笑)。ただ、自分のキャリアを開拓することに興味はなく、問題を解決することや人々が大事にされる環境をつくりたいと思っているところが、普通の人と異なるかもしれません。
奥田 そうした思いは、ビジネスをやっていく中で培われたものなのでしょうか。
デイヴィス いいえ、その前からそういう思いを抱いていました。
私は、スコットランドのセント・アンドリュース大学で黄金時代のスペイン文学を専攻したのですが、そこには素晴らしい先生がいて、自分がどのような生き方をすべきか、ということに関して大きな影響を受けました。
奥田 デイヴィスさんに影響を与えたのは、どんな先生でしたか。
デイヴィス 私の恩師であるフェルディ・ウッドワード教授は、いつも私たち学生に、正直であることと、疑問に思うことをどんどん質問するよう求めました。そして彼は学部の運営を任される立場にありましたが、非常に人を大事にしながら物事を進めていました。私にとってこの大学は、とても居心地がよかったですね。
奥田 大学では、なぜスペイン文学を専攻したのですか。
デイヴィス 私が幼い頃、父が石油の仕事でベネズエラに赴任したため、8歳くらいまではスペイン語も学んでおり、それでスペイン文学に興味を持ったのです。また、大学では哲学や美術史も学びました。大学入学後、奨学金を得て1年間、スペイン・アンダルシア地方の中心都市セビリアに留学し、その後、スコットランドの大学に戻りました。
奥田 学生時代、将来何になりたいと思っていましたか。
デイヴィス 卒業する頃、大都市には住みたくない、自分にとって心地よい街に暮らして生計を立てたいと思っていました。それで会計士を目指し、ケンブリッジで会計学を学ぼうと考えていたのですが、ロンドンのエコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)から面接を受けないかという誘いが来たのです。
奥田 それが、いろいろなマーケットリサーチをされた最初の会社ですね。
デイヴィス そうです。
奥田 マーケットリサーチの仕事はどうでしたか。
デイヴィス ヨーロッパ中を旅して調査する仕事は面白いものでした。インターネットやEメールのない時代ですから、電話でアポを取って人に会い、インタビューをして、調べ物は図書館でするわけですが、それがとても楽しかったですね。
奥田 そのお仕事が、現在のCONTEXTにつながっていくのですね。
デイヴィス そうですね。でもEIUを辞めた27歳のとき、修練者としてベネディクト修道会の修道院に入り、修道士になりました。
奥田 修道士、ですか……。
デイヴィス はい。修道院で過ごした数カ月間は、すばらしいものでした。
●最愛のお孫さんと
お孫さんを膝に乗せ、仲良く本を読むデイヴィスさん。読んでいるのは『1000THINGS IN NATURE』という自然図鑑。学究肌のデイヴィスさんらしく、小さな頃から知的好奇心を刺激するような本のセレクトだ。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第375回(上)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。