目の前から音を出して真後ろから聞こえる不思議。小さな筐体で立体音響をつくり出す新感覚スピーカー、OPSODIS 1(オプソディス ワン)のクラウドファンディングが6月30日で終了した。
クラウドファンディングサイト「GREEN FUNDING」で集めた支援総額は9億2834万1399円。1万2740人からの支援を受けた。2024年6月20日にスタートしたこのプロジェクト。わずか1年の間に10億弱もの売り上げを積み上げたわけだ。特筆すべきは、なんといっても「聞けばわかる」その独自性。目の前の小さなスピーカーボックスから出る音は、左右はもちろん、前後や上下の位置関係までも再現できる驚きのリアリティ。そのユニークな機能が大いに評価され、プロジェクトを大成功に導いた。

 前にしかスピーカーがないのに、四方八方から音が聞こえるOPSODIS 1。体験すれば誰もが「なぜ」と不思議な感覚に陥る。これを実現するのがバイノーラル技術だ。初めて紹介されたのは1881年のパリ万博。極めて歴史のある、よく知られた音響技術だ。
そもそも、人間に耳は2つしかない。それなのに前後左右上下と音の位置がわかる。なぜか。左右の耳には距離がある。どこかで鳴った音を聞く際、それぞれの耳に到達するのに微妙な時間差が生じる。複雑な耳の形状も、到達する音に変化を加える。また人間の頭は、前には目、鼻、口などによる顔があり、後ろには顔はない。こうした物理的構造が音の経路や音質を微妙に変化させる。左右の耳に届く音の微妙な違いから、無意識ながらも自然と音の位置がわかるわけだ。
 マネキンの頭を用意して、耳の奥にマイクを仕込んで録音すれば、音のリアルな位置関係を録音できるのではないか……。これがバイノーラル録音という技術。実際、この方式で録音された音源はとてもリアルだ。
後ろからささやいた声を再生すると、思わず振り返ってしまうほどだ。実際、ドイツのマイクメーカーノイマンは、マネキンの頭にマイクを仕込んだ「KU100」を販売している。現在140万円もする高価な製品だ。自分の頭を利用して同様の効果を生み出す、簡易なイヤホン型のバイノーラルマイクもある。ローランドの「CS-10EM」が有名。1万2000円ほどで購入できるので、手軽にバイノーラル録音を楽しむことも可能だ。
 バイノーラル技術は手軽に立体音響を楽しめる。とても面白くて素晴らしいものだ。さらに最近では、普通のステレオ音源を、バイノーラル音源に加工できるような技術も普及してきた。しかし、ただ一つバイノーラルには欠点がある。再生する場合にはヘッドホンやイヤホンでなければならない、というものだ。左右の耳に到達する微妙な音の違いによって音の位置関係を再現する、という原理ゆえ。
右耳には右耳に到達する音だけ、左耳には左耳に到達する音だけが聞こえなければ意味がない。実際、バイノーラル音源を普通のスピーカーで聞くと、独自の効果は全く感じられない。
 長大な前置きになってしまったが、本来ヘッドホンやイヤホンでしか得られないバイノーラル効果を、スピーカーで実現しようというのがOPSODISという技術。OPSODIS 1の中核をなす。6つのスピーカーが仕込まれた一つのスピーカーボックスから、右耳用、左耳用の音を同時に出すわけだが、何もしなければ、右耳向けの音が左耳にも聞こえ、逆の現象もまた起こる。OPSODISでは、ノイズキャンセル技術に似た、音を相殺する技術を利用することで、逆耳用の音を打ち消す。ヘッドホンやイヤホンと同じように、右耳には右耳用の音だけ、左耳には左耳用の音だけが聞こえるようにすることに成功した。つまり、本来ヘッドホンやイヤホンでしか体験できなかったバイノーラルによる立体音響が、スピーカーでも体験できるようになったわけだ。これはとても画期的なことだ。
 実はOPSODISを開発したのは鹿島建設。OPSODIS 1のクラウドファンディングを起案したのも同社だ。有名な建設会社とは、一見無縁に思える立体音響技術だが、実は密接な関係がある。
鹿島建設はサントリーホールを筆頭に、紀尾井ホール、Kアリーナ横浜など、名だたる本格的な音楽ホールや劇場を手がけてきた。音楽ホールの施工は、いわば巨大な楽器を作り上げるようなもの。ステージ構造はいうに及ばず、天井や壁の素材や位置、客席の数や材質などなど、あらゆるものが音に影響する。しかし「作ってみたらダメだった」は許されない。そこで同社が独自に研究開発を続けてきたのが、ホールの音響を施工前から確認できるシミュレーションシステム。鹿島建設は、実は音響のプロフェッショナルでもあったのだ。この技術を応用して出来上がったスピーカーがOPSODIS 1。OPSODISの技術そのものは、これまでも多くの音響メーカーにOEM提供し高い評価を得てきた。そして今回、満を持して鹿島建設自ら、スピーカーを手がけ、販売することになった。
 「OPSODIS 1は、PCなどにつなげてユーザーが一人で使うようなイメージで開発した。ゲームなどでも活用できる」と話すのは、鹿島建設 立体音響プロジェクトチームの村松繁紀 事業推進統括部長だ。OPSODIS 1を正面に置き、約60cm程度の距離で最も高い立体音響効果が得られる。
試用したユーザーからは「FPSゲームで利用すると敵の位置がとても分かりやすい」との声もあるようだ。特殊な音響技術を用いているため、立体音響効果が得られる立ち位置が限られるのが、欠点と言えば欠点。しかし、村松部長は「多少後ろに下がっても十分効果は発揮できる」と話す。実際試してみると、やや効果は薄れるものの、1~2m程度下がってもある程度の立体音響効果が得られた。
 クラウドファンディングが終了したOPSODIS 1。今後は鹿島建設のWebサイトでダイレクト販売する予定だ。「クラウドファンディングの最後は1台7万4800円という価格だったが、これでも赤字ギリギリ」という。販売価格は未定だが、ダイレクト販売時には、価格がもう少し上がってしまうかもしれない。クラウドファンディング分の最終発送は来年の4月下旬から6月中旬の予定。鹿島建設Webサイトでのダイレクト販売分の発送は、早くてもそれ以降になるだろう。これから購入すると1年以上は待たされる計算だ。とはいえ、他に類を見ないOPSODIS 1。
待つ価値は十分にあるだろう。
 「実は、鹿島建設がコンシューマー向け製品を販売するのは、今回が初めて。本格的な事業化へのゴーサインはまだ出ていない」(村松部長)という。クラウドファンディングで大成功したとはいえ、あくまでも慎重に進めていく方針のようだ。立体音響は今、静かなブームになっている。音楽ホール建設で得た膨大な知見を武器に、まだまだユニークな製品をつくりだせそうだ。音の鹿島建設に、大いに期待したい。(BCN・道越一郎)
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