世界初のラップトップPCを世に送り出した東芝。当時は新卒者のうち数十人がPC担当に配属された。
メカトロ希望の石橋さんだったが、時代の大きな渦に巻き込まれ、気が付けばPC担当に。PC市場の勃興と拡大の時代を日夜不夜城で奮闘した。片手で握手しながら片手で殴り合うようなメディア規格の覇権争いも経験。内外の組織や企業との丁々発止の交渉力は、後のキャリアの糧になった。1泊3日の米国出張は日常茶飯事。そこで見て感じたIT大国の米国を支えていたものは……。
(本紙主幹・奥田芳恵)

●転々としながらこなした幅広いタスクが 今の自分をつくった
奥田 東芝には新卒で入社されたんですか。
石橋 はい。実は両親とも東芝テックで働いていました。父からは東芝テックに来いと言われていたんです。役員と何度か会食したこともあります。ただ、やりたいことはできないと思ったんです。
東芝ならやりたいことができそうだと、入社を決めました。
奥田 何をやりたかったんですか。
石橋 メカトロです。大学時代にロボットをやっていたこともあって。ただ当時は半導体とラップトップPCが急激に立ち上がっていた頃でした。結局そっちに引っ張られてしまいました。
奥田 一応希望は出せたんですよね。
石橋 ある程度は。研修が終わると面接して配属先を決めるんですが、それが誘導尋問みたいなものでした。メカトロ希望だと伝えると、「PCには興味はないの?」と。「興味はないことはない」と言うと。「じゃあ興味があるんだね」と。
隣の部屋からゲラゲラ笑う声が聞こえてくるんです。
奥田 言っちゃったんですね。
石橋 結局、配属はPCのハードウェア設計部。入社が1987年でしたから、ちょうどバブルのはしりの頃です。しかも世界初のラップトップ「T1100」を85年に発売したばかり。みんなでPC事業を立ち上げていくんだ、という意識が強かったですね。職場は青梅工場でした。24時間電気がついていて、不夜城と呼ばれていました。
奥田 青梅工場の話は有名ですよね。実際どんな感じだったんですか。
石橋 例えば、半導体のシミュレーションをやったりしていましたが、とても時間がかかるんです。みんな、夜中の2時、3時まで平気で残っていました。
ある日、午前2時に帰ろうとすると、課長に「もう帰るの?」と言われたりしました。それでも翌朝は8時15分には出社しなきゃならない。
奥田 ちょっと今では考えられないですね。
石橋 若い人にこの話をすると「石橋さん、それは昭和です」と言われちゃいます。
奥田 まさに持ち運べるPCの黎明期に、社会人としてスタートされたわけですね。深夜までの仕事でも苦にならなかったんじゃないですか。
石橋 東芝のラップトップPCは最先端でした。世界で一番小くて速いコンピューターをつくるんだというマインドでやっていました。LSIを筆頭に、常に最新の技術を体験できたのは良かったですね。しかも残業すればするほど残業代がつく。残業長者とも言われました。
奥田 その後どのようなお仕事を?
石橋 最初はファームウェアの設計をやっていたんですが、1年でプロジェクトが終了。
次にやったのがネットワークです。当時は周辺機器扱いでした。その次は周辺機器つながりでDVDをやれ、ということになって、PC向けのプレーヤーの開発に携わりました。映像系は全く経験がなかったんですが……。そこからHD DVDへとつながっていったんです。
奥田 かなり転々とされていますね。
石橋 東芝では、私みたいにあちこち動くのは珍しいんですよ。同じところにとどまる人が、上にあがっていくのが普通でした。ただ、同じところにいると、スペシャリストにはなれてもその分野しかわからなくなってしまう。逆にいろんな仕事を担当すれば、幅広い知識や経験が得られます。過去転々としていたことが、今の私につながっているんだと思います。
●寝袋を持ち込んで好きなだけ働くか 制限された時間の中で働くか
奥田 メディアの標準化にも携わったと伺いましたが。

石橋 ビデオテープの頃、VHSとベータマックスで規格争いがありましたが、実はDVDでも最初はソニー対東芝・松下陣営で規格の主導権争いがあったんです。結局、当時の通商産業省の号令で一本化することになりました。ほかにもSDカードやBluetooth、DLNA、HDMIの標準化も担当しました。
奥田 HD DVDも担当されたんですよね。
石橋 HD DVDプレーヤーの開発を統括しました。その傍らでDVD Forum ワーキンググループ1 Sub Chairも務めていました。標準化と実装の両方を見ていたので、忙しかったですね。ひどいときには年間30回くらいは米国に行っていました。
奥田 月2回以上のペースじゃないですか!
石橋 明日から行ってくれ、みたいなことも日常茶飯事でした。夕方の飛行機に乗って朝着。そのまま午後仕事をして一泊。翌日午前中は仕事で、午後の便で帰国、という感じです。
若かったのもあるんでしょうが、産業医にはえらく叱られました。
奥田 標準化となれば、他社との折衝も結構大変だったのでは?
石橋 世界が相手ですからね。日本はもちろんハリウッドも欧州も相手にしなきゃなりません。米Microsoft (マイクロソフト)にも協力しました。「Windows 98」のDirectShowというメディア再生のプラットフォームに、DVD再生機能を実装しました。シアトルのオフィスには何度も行きましたよ。
奥田 まだまだ日本の技術が先行していたころですね。
石橋 当時、東芝製ラップトップPCのシェアは圧倒的でした。現在では当たり前のサスペンドやレジュームといった機能は、東芝が最初に開発しました。ノウハウをマイクロソフトや米Intel(インテル)に指導したものです。
奥田 でも彼らも優秀だったんでしょう?
石橋 シリコンバレーで会議となると、スタンフォードとかMITの博士とかがいっぱい出て来ます。ところが、彼らが優秀だと思ったことは一度もありませんでした。セオリーは強いし、理想を追っている。しかし、往々にして現実離れしているんですね。「こいつら現実が分かってねーな」と思うことばかりでした。
奥田 それでは、どうして日本からGAFAMのような企業が出なかったんでしょうか。
石橋 当時から日本人は働きすぎだと言われていました。米国からもそう言われて叩かれていた。しかし、それは事実じゃなかったんです。例えば、Windows 98立ち上げの頃、マイクロソフトでは社員がオフィスに寝袋を持ち込んで昼夜を問わず仕事をしていました。われわれよりよっぽど働いていた。ホワイトカラーは結果が全て。時間管理がされていないだけだったんです。好きなだけ働く。一方、日本では厳しく時間が制限される。負けるに決まっています。
奥田 働き方そのものは今の時代に合わせる必要はあるんでしょうが、次は負けたくないですね。
●こぼれ話
 テレビ市場のトップを走るTVS REGZA。デジタル家電の実売データを集計した「BCNランキング」に基づき、年間販売数No.1メーカーを称える「BCN AWARD」において、2024年液晶テレビ(4K以上)部門1位、液晶テレビ(4K未満)部門でも4年連続の1位を獲得。25年上半期もNo.1を維持している。18年にハイセンス傘下に入ってから、わずか3年ほどでトップシェア企業に登り詰めたことになる。
 今回の対談相手は、この躍進のキーマンである石橋泰博さん。今や圧倒的な存在感を示すまでになったTVS REGZAだが、苦境にあえぐ東芝時代からテレビに携わってきた石橋さんは、今どのような心境なのだろうか。率直な気持ちを聞きたかった。「嬉しさでいっぱいだろうから、その感動を分けてもらいたい」という気持ちもあった。
 いざ質問をぶつけてみると、嬉しさを爆発させるどころか「今の状況は想像できなかった」としみじみ語ってくださった。その言葉には、やっとここまできたという安堵感があったように思う。
 そしてすぐさま、これからのテレビの役割と可能性について話が続く。やってやったぞ!という感じかなーと。私がどこかで期待していた「登り詰めた感」を覚えることはなかった。むしろ、まだまだといった底知れぬ探求心やものづくりにかける情熱が、どんどんと石橋さんを突き動かしているようであった。
 本当にものづくりに一生懸命になってきたからこそ、テレビの可能性を見いだせるし、楽しむことができるのだと思いながら、その生き生きとした表情に見惚れてしまった。
 VHSとベータマックスの規格争い、DVD規格での主導権争いなどは、まさに“戦争”だったと語る石橋さん。前線で指令を出していた指揮官であったと。今、石橋さんの戦場はテレビ市場。実は、液晶テレビ部門で強いTVS REGZAではあるが、有機ELテレビ部門では販売台数シェアは2位。しかしトップとのその差は僅か。ひたひたと近づき、1位の背中を間近に捉える。
 さて、TVS REGZAは25年の年間販売数No.1メーカーを取りにくるのか。年末がとても楽しみだ。
(奥田芳恵)
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第379回(下)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
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