「美女ジャケ」とは演奏者や歌っている歌手とはまったく無関係な美人モデルをジャケットにしたレコードのこと。1950年代のアメリカでは良質な美女ジャケに溢れており、ギリギリセーフなエロ表現で“ジャケ買い”ユーザーを魅了していたという。

このたび『Venus on Vinyl 美女ジャケの誘惑』を上梓したデザイナー・長澤均が、魅惑の美女ジャケについて独自の考察を語る。



■体は埋められ首だけが残り、男は完全に女のオモチャ

 美女ジャケのレコードを集め始めた数十年前、最初はレコ屋でソレっぽいのが手頃な値段であれば、なんでも買った。ポール・モーリアやレイモン・ルフェーブルなど、おもに60年代以降に大人気となるイージー・リスニングのジャケ・モデルはあまり美女には思えなく、やはり50年代の古典的美女に食指を動かされた。
 50年代をメインに60年代初頭くらいまでの美女ジャケを集めていると、大きく5つくらいのパターンに分類できるような気がしてきた。
 まず、美女の顔のアップ。最も多いが個人的に美人と思えなければ、たいして魅力はなくなる。買ってものちに売ったりしてしまったのは、この顔アップ・ジャケが一番多い。
 次に寝そべる女。まあ、これは女らしさやエロティシズムを表現するには、最も有効なポージングだろう。全身だったり、上半身だったり、胸を強調するものだったり、薄いネグリジェで思わしげだったり、じつに多様である。これらすべてを合わせれば、寝そべり美女は顔アップに匹敵するくらい多いのかもしれない。
 そして男と寄り添ったり、抱き合ったり、カクテルを飲んだりのロマンスもの。

これはなかなか雰囲気があって良い作品が多い。森での逢瀬、浜辺での抱擁、とそれなりにロケーションにお金をかけて、良いカメラマンを使っている感じだ。
 その次くらいはダンスシーンだろうか。ドレスアップした優雅な社交ダンス。ムード・ミュージックはBGMであり、ダンス・ミュージックでもあったから、ダンスはジャケ写真のテーマにしやすかった。
 ここまでで4つのパターン。
 5つ目は? 乱暴な言い方になるが、その他ポーズいろいろという感じだろうか。多種多様といったところ。
 この、その他美女のなかでもごく少数なのが、女性が上位/優位にあるようなシチュエーションのもの。勝手に題して「苛める女」ジャケだ。



 ジャケでなんとなく「女性優位」を感じ取ったのは、ジュリー・ロンドンの「Swing me an old song」だった。ジュリーが髪と腰に手をやり、寝そべった男が彼女を見上げて眺めている。



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 これはどういうシチュエーションなのだろう? まったく不明だ。男が着ているアンダーウェアは20世紀初頭の男性水着のようにも見える。ジュリーのレオタードみたいなのは? これも水着かもしれないが不明だ。
 不明ばかりなのだが、腰に手をやる女性に関しては、じつは以前から研究してきた!
 筆者は高校生のときからの熱狂的なマレーネ・ディートリッヒ(1930年代の世界的ハリウッド女優)ファンなのだが、彼女のハリウッド・デビュー作から立て続けに7本の監督を務めたのがジョセフ・フォン・スタンバーグだ。
 ベルリンの舞台でディートリッヒを「発見」したスタンバーグは彼女に夢中で、ディートリッヒを美しく撮るためにあらゆる労力を惜しまなかった。いささかマゾヒスティックにディートリッヒを崇拝していた彼は、その思いの痕跡を映像に残している。
 スタンバーグ作品でのディートリッヒは、男を前に「尊大」に振る舞うシーンが良くあるのだが、彼女の尊大な感じは、腰に手を置くことで表現された。それも親指側を前にして。
 ジュリーのジャケをもう一度、見て欲しい。親指ではなく、残りの4本の指を手前にしている。これはそれほど「尊大」なポーズではない。親指を手前にしたほうが、より「尊大」に見えるのだ。


 エロティシズムは技法の産物だ。
 想像するにディートリッヒを崇拝したスタンバーグは、彼女がいかに尊大に見えるか、そのポーズを指の置き方に至るまで研究したのだろう。
 やがてこのコンビは解消される。二人の関係を邪推したスタンバーグの妻が離婚訴訟を起こしたのだ。ディートリッヒが他の監督作品に出演するようになると、腰に手を置く尊大なポーズはほぼ消えてしまうから、これはスタンバーグ作品特有の演出だったわけだ。



 だいぶ寄り道してしまったが、ジュリーに戻ると、ポーズ違いの別ジャケがあることに気づいた。レコ屋で見て「なんか持っているのと違う」と思い、あとで調べたら同じ内容でモノラル録音とステレオ録音の違いだった。それをアザーカットの写真を使って別ジャケにしたのだ。高かったけれどこのポーズ違いも買った。曲目は同じなのにね。
 赤をバックにポップで洒落たデザインがとても良く思えた。概して恋しているときは相手のアラも見えないもの。

何年もしてジュリー熱が醒め始めたころ、この両手を腰に置いたステレオ盤のジュリーって、どこかいまひとつに見えてきた。ポーズがギクシャクしているし、ちょっと腰の位置が低いかもと。
 連載第14回で、「人生には気づかないほうが幸せなことは多い」と書いたが、それがこのジャケだったわけです。



男をイジる「苛める女」ジャケには意味不明なシチュエーションのものばかり【美女ジャケ】



 ちょっと似たような構図のジャケがメル・ヘンケの「NOW SPIN THIS!」。こちらはグリーン一色のバックにモノクロ写真でじつにセンスが良い。ジャズ・ピアニスト、ヘンケの演奏はさほど面白くはないのだが、ジャケ人気でいまでも高値の作品だ。



男をイジる「苛める女」ジャケには意味不明なシチュエーションのものばかり【美女ジャケ】



 タイトルが「スピン」だからメル・ヘンケの顔が丸くトリミングされ、ヨーヨーになってしまっている。男は完全に女のオモチャ。しかもユーモラスだし良いねぇ、なんて他のメル・ヘンケ作品を探したら、赤バックの似たようなデザインの「DIG」があることを知った。



男をイジる「苛める女」ジャケには意味不明なシチュエーションのものばかり【美女ジャケ】



 15年くらい前、レコ屋でやっとこれに出会ったが、ちゃんとジャケを見たら退いた。タイトルの「DIG」に掛けて、ショベルで掘られたところにヘンケが埋められて頭だけ出ているのだ。
 これはちょっと怖かった。

筆者はそこまでの被虐趣味はなく、このレコードに5000円散財する余裕もなく、当然、諦めた。ここに掲載した写真はネットからのもの。
 ただ、どちらもデザインはきわめて秀逸だ。ロバート・ギルディという同じデザイナーが担当している。ちなみにリリースは怖い「DIG」のほうが前である。
 こうして見てくると、女性がスクッと立って、男が小っちゃく下のほうに写っていると、女性が尊大に見えてくるのだと納得する。それだけで女性の優位性が視覚的に表現されるのだ。
 しかもメル・ヘンケの2枚のアルバムなどは、どうみても男を苛めている。これはヘンケがマゾだったのだろうか? それともディレクターやデザイナーの遊び心だったのだろうか? 女性優位ジャケから今回の「苛める女」というテーマを思いついたのは、このヘンケの2枚の遊び心あるアルバムを見てのことだ。



■拘束衣の3人組を前にして、なぜナースは補虫網を持っているのか

 ともあれ優位性には目線の位置が大きく左右するわけだ。上から目線なんていう日常使われる言い方があるように。
 そんな観点からビリー・メイの「BILLY MAY plays for Fancy Dancin'」を見るとどうなのだろう? 



男をイジる「苛める女」ジャケには意味不明なシチュエーションのものばかり【美女ジャケ】



 ちなみにすらりとした美女に「踊らされている」小男は、楽団指揮者のビリー・メイさんではない。

うしろにはハンサムそうな男性と美女の調和のとれたカップルを配して、手前のお茶目というかコミカルな男性を余計に強調している上手い構成だ。
 ここで男が「踊らされている」と感じるのは、女性がすらりとして目線の位置が男性よりもずっと高いこと。そして男がコミカルな動きをしているからだ。まるで猿回しかのように。そうそう、まさに女のオモチャ。
 筆者は高身長女性が好きで、こういうビジュアルにすぐに反応してしまう。高身長美女になら「踊らされて」も良いでしょう!



 またも寄り道になるが、数年前、「東京新聞ためしよみ」のチラシがポスティングされていた。モデルはお笑いタレントの又吉直樹、身長164cm。となりで彼の肩に手をかけて(しかも曲げたひじを!)微笑む美女は、ハイヒールを履いていることもあって、ゆうに20cmくらい高い。
 これはソソられた。こういう高身長美女に肩にひじを置かれてみたいよね、って。





 女性の優位、あるいは見下しなどが好きなのは男のマゾヒズムだと思う人が多いかもしれないが、ことはそう単純ではない。
 19世紀末のヨーロッパ文化に色濃かった「女性崇拝」、あるいは中世から古代にさかのぼればグノーシス主義的異端のイシス信仰にまで行きつく女性性への崇敬もある。
 女性崇拝とは単純なマゾヒズムではなく、へレニスティックな感性のことなのだ。



 と品の良いことを書いてしまったが、きわめて下品で笑えるジャケットがある。ちょっとカントリー風のコーラス・グループ、サムシン・スミス&ザ・レッドヘッズの「CRAZY PEOPLE」。もう、これはどうしようもないジャケだと思う。



男をイジる「苛める女」ジャケには意味不明なシチュエーションのものばかり【美女ジャケ】



 まず、3人の男に品がない。よほどの三流だろうと思ったら、意外にもけっこうヒットを放ったグループだった。歌っている映像を動画サイトで見たが、いたってまとも、というかふつう。
 ナースの3人。こんな太ももを露わに、胸もはだけて男を苛めていたら、これポルノでしょう! と思うのだ。なにも性器を露出したものだけがポルノではない。隠して隠してもダダ洩れのエロさもポルノなのだ。
 この3人娘もじつに品がない。しかもよく見ると美人がひとりもいない(と思うのだ)。二流モデル臭芬芬(ふんぷん)なのだ。ロゴもダサいし、売ってしまおうか何度も迷ったが、結局手放せなかった。
 1950年代のある程度、メジャーなレーベル(EPICレコードは、ジャズやクラシックも出している)で、ここまで品なく、くだらなくエロいジャケはなかなかないから、それはそれで貴重な気がするのだ。
 じつのところ膝下丈のナース・ルックに惹かれるところもあるし……右端のナースはちゃんと「尊大」にも腰に手をやっているし……と、悪女と手を切れない情けない男の気分になるものだ、こういうレコードを手放せないというのは。
 そんなエロさとは別に、男たちが拘束衣を着ているあたりもどうなのだろう? タイトルとかけて精神病院を連想させるし、いまなら絶対にアウトでしょう、これは。しかも左のナースが捕虫網を持っているなんて、当時は笑いを取れたのかもしれないけれど、これもいまなら人権問題になるかも。





■円錐を持つ男と、上から目線で指すネグリジェ女性

 そういう危ういところでは、ジミー・ロールズ・セクステットの「LET'S GET ACQUAINTED JAZZ」なんか、もう相当に危うい。タイトルは「ジャズを知ろう(……ジャズを嫌う人向け)」といったところだが、写真は意味不明。



男をイジる「苛める女」ジャケには意味不明なシチュエーションのものばかり【美女ジャケ】



 円錐模型のようなものを持って、叱られているような表情の、黒人かプエルトリカンのように見える男性は何なのだろう? そもそもこの円推って、まるで男根を表徴しているかのようではないか! そしてネグリジェのような衣裳で、指し棒を向けるこの「白人」女性は! それにこのタイトル。白人女性がこの男性にジャズを教える気か!? 何かの悪い冗談としか思えない。
 ジミー・ロールズは、優れたジャズ・ピアニストだし、この演奏も良いのだけれど、さすがにジャケの評判は当時でもよろしくなかった。のちに再発されたときには、写真を替えてデザインも一新された。
 そうした社会問題性は置いて、たんに美女の図柄として見るならば、こんなネグリジェ姿のももも露わな「教師」に叱られるのも悪くないと思ったりする。片手でネックレスを弄んでいるあたり、案外、芸の細かい演出なのだ。
 考えれば女性が上から見下すだけが、男を苛める技法ではない。むしろこんなふうに女性が椅子に座って、男を立たせたままでいたぶるほうが、世の中、多かったかもしれない。
 70~80年代のちょっとSM的なエロティック映画で、監獄の極悪な女所長が椅子にふんぞりかえっているシーンとか、思い浮かびません?



 まあ、男を苛める女とは、それなりに魅力的なのだ。
 そんな男の心情を見透かしたようなジャケが、オットー・セサーナのムード・ミュージック・アルバム「sugar and spice」。



男をイジる「苛める女」ジャケには意味不明なシチュエーションのものばかり【美女ジャケ】



 左上の女性は夢見るようなロマンティックな表情で、これは甘い甘いシュガー。同じモデルが、黒の長手袋をしてこちらに挑戦的な眼差しを向けると、こちらはスパイス。それもちょっとピリッとしそうな。
 まあ、べつの言い方をすれば「飴と鞭」なんてのもありなのかもしれない。実際に鞭をもった女性まではダメだけれど、甘いだけではつまらないからちょっと辛み(高飛車、尊大、傲岸とかいろいろ)も、場面によっては欲しいよね、ということだろう。
 それが男の求めるものだから、こんなふうにレコジャケになって、その願望を具現化しているのだ。
 結局のところ、男はわがままでご都合主義なのだ。最低かもしれない。いや、「最低!」と罵倒して欲しいのかもしれない。さっきまで甘いシュガーだったきみに「最低!」と言われて、恍惚に浸る。
 そんなスパイシーな一夜が訪れることを夢想している単純なオモチャ、それが男の本質なのだろう。

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