危機が発生すると、必ずデマゴーグが出現する。今回、新型コロナウイルスのパンデミックがあぶり出したのは、無責任な極論、似非科学、陰謀論を声高に叫び出す連中の正体だった。
■「新型コロナ専門家会議」を断罪したのは誰か
適菜:今回の新型コロナ禍において、わが国の言論の状況の病が可視化した。デマを流す連中、いいかげんなことを言う連中が次々と現れたわけです。どうでもいい話なら、放置するかもしれませんが、今回は人の命が関わる問題です。だから曖昧にしたままではまずい。
先日面白い記事をネットで読んだんです。中公文庫編集部が猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』を紹介した文章(https://fujinkoron.jp/articles/-/2321)ですが、今の日本の状況に近いのではないかと。
中野: それなのに、日本は開戦に踏み切ったのですか。
適菜:開戦後の石油保有量を予測したある一つのデータが出て、戦争を始めたい勢力がそれに飛びついたんです。たとえ「客観的」なデータであっても、解釈するのは人間です。
今回の新型コロナとの戦いにおいても愚行は繰り返されました。新型コロナウイルス感染症対策専門家会議というエリートが集められたのに、安倍晋三周辺は、彼らが出した予測を無視し、妨害してきた。国民の生命より財界の意向を重視したわけです。「コロナはただの風邪」「夏には終息する」などと言いだすデマゴーグも登場しました。
佐藤:新型コロナを巡る言論がおかしいと、適菜さんが思い始めたのはいつですか?
適菜:知り合いの編集者が、医師で神戸大学教授の岩田健太郎さんの本(『新型コロナウイルスの真実』(KKベストセラーズ刊))を作っていたんです。それでその編集者とはよく新型コロナについて話をしていました。当時は、世間的に岩田さんはエキセントリックな人と捉える人もいて、私もいろいろ気になっていた。徹底的におかしいと感じたのは、京都大学教授の藤井聡氏が西浦・尾身氏に公開質問状みたいなのを出したじゃないですか。
【藤井聡】【正式の回答を要請します】わたしは、西浦・尾身氏らによる「GW空けの緊急事態延長」支持は「大罪」であると考えます。(2020年5月21日)
https://38news.jp/economy/15951
その直後に中野さんから連絡があって、「藤井氏が一線を越えてしまった」と。その後も、中野さんとはメールでやりとりをして、新型コロナに対する言論状況を追ってきました。
中野:くだんの「公開質問状」にはこう書かれていたのを見て、私は正直、身の毛がよだつ思いがしましたよ。「万一、西浦氏・尾身氏が、当方の以上の断罪が不当なものであると考えるのなら、科学者として正々堂々と書面回答されることを強く要請します。彼等がそれをしないというなら、筆者は一人の学者として、西浦氏・尾身氏らが自らの大罪を認めたということなのではないかと考えます。」
この異常さについては説明を要しないと思うけれども、勝手に「お前を断罪する」とかいう質問状を送り付けてきた奴に、書面回答しなかったら、どうして「自らの大罪を認めた」ことになるんですか? 公開質問状の返事がないから勝利宣言なんて、学者の振る舞いじゃあない。批判があり、応答が欲しいなら、専門の学会や学会誌で気が済むまで論争してくれ。それが「科学者として正々堂々」というものでしょう。
佐藤:では、藤井さんの言動に適菜さんが違和感をおぼえるようになったのはいつごろでしょう。
適菜:顔見知りの人を直接批判するのは面倒ですよね。だから、Facebookに関連の記事を貼ったり、間接的にメッセージを伝えようとはしたのですが、名前を出して批判しようと決めたのは「今、『自粛派』になってしまっているのは、コロナに壊される『社交』を持たない人々なのだと思います」とか言い出した時ですね。
佐藤:「僕は、自粛させられていることで、山ほど嫌な思いをしています」と宣言した文章(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200706/)ですね。で、何が嫌なのかというと「いつも行ってる釣りにも行けない」と書いてある。
中野: ちょっと何言ってんのか分かんない……。
適菜:「いつも行ってる酒場には行けない」「行こうと思ってたライブも中止になったし、やろうと思ってたライブも中止になった」「新入生歓迎のコンパだってできないし、今年行こうと思ってたイタリア出張もいけなくなった」「社交をもたぬ人々は、自粛のデメリットが分からないから、すぐに自粛しろと言いがちになる」と。それで「『やりたいことが(家族と職場以外)特に無い、自粛は嫌じゃ無い人々』は、そういう、コロナ自粛で苦しめられている人と、全く個人的な付き合いを持っていない」と意味不明のレッテルを貼るわけです。「そしてそんな大切な社交が分からんようなガキは、大人の社会のあり方を決定する(尾身氏の言うような)自粛論に参画しちゃいかんのです」と。自粛している人もそれぞれ事情があるはずです。社会のことがわからないガキは一体どちらなのかという話ですね。
佐藤:愛すべき文章じゃないですか。
適菜:最近は「日本の文化的危機を回避する為、2mの社会的距離を取らずに感染拡大を防ぐ方法を明らかにし『満席状態でのライブ』ができる方針を模索すべく」ライブイベントを「実験開催」すると。
佐藤:参加を強制するのでないかぎり、べつに構わないでしょう。つきあわない自由もあるんだから。
適菜:でも、「京都大学レジリエンス実践ユニットのウイルス学が専門の宮沢孝幸准教授と当方が監修」という形(http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/resilience/documents/corona_riskmanagement.pdf)でやっているわけです。要するに京大ブランドを使っている。そういうこともあって、FacebookやTwitterで直接藤井氏を批判したんですね。佐藤さんはいつからおかしいと?
佐藤:最初に奇妙に思ったのは3月です。藤井さん、「過剰自粛という集団ヒステリー」というメルマガ(「新経世済民新聞」2020年3月4日付。https://38news.jp/economy/15456)で、イベントにおける感染のリスクについて、参加者100人以下だったらほぼゼロだと主張しました。
ところが、その文章に付された感染拡大の確率をめぐる計算式を見ると、一人あたりの感染確率と参加人数しか考慮していない。
しかもメルマガ本文で、この計算について説明している箇所では、「一人あたりの感染確率」が「(注:イベント参加者に)感染者が含まれる確率」になっていた。まるで違う話でしょう。おまけに0.5%を四捨五入するとゼロになると書いてある。
四捨五入なら、5は切り上げです。要するに「論」と呼びうるものではなかったんですね。
その後、3月末にあるインターネット番組で藤井さんと共演しました(https://www.nicovideo.jp/watch/sm36590469)。で、彼の前でハッキリ言ったんですよ。感染被害と経済被害の両方を抑え込むのがベストだが、どちらか一方を選ばねばならないのなら「経済被害に耐えてでも感染被害を抑える」でなければダメだと。
経済被害なら政府が財政出動することでかなり緩和できます。しかし政府がいくら国債を発行しても、それだけで医師が増えるわけではないし、ワクチンがパッと出現することもない。だから感染対策が経済対策より優先。
藤井さん、まったくそうだと賛成していました。ところが、少し経つと一転して自粛緩和を説き始める。これでは「感染被害に耐えてでも経済被害を抑える」になってしまいます。政府が財政出動しないとき、自粛緩和だけでどこまで経済被害を抑え込めるかも疑問ですが、とりあえず脇に置きましょう。問題はもっと根本的なレベルにあるからです。
整合性がないじゃないかと何度か指摘したものの、一切黙っていました。自分と異なる主張は聞きたくないようで。
■現実を直視できない人たち
適菜:でも、世の中には誤解してる人が多いんです。中野剛志と佐藤健志と適菜収が藤井聡とつまらないことで喧嘩しているとかね。そういう問題ではないということはやっぱりはっきりさせておかないとまずい。 まあ見る人が見れば分かってるとは思いますが。
佐藤:人間、何かを理解したくても理解できないということはありえます。ただし何かを理解したくないのに、理解できるということはありえない。知性は感情に束縛される、それだけの話です。
適菜:藤井氏は新型コロナの脅威を軽視する議論を続けてきましたが、自分に反対する意見を持つ人を感情的に罵倒し、「コロナ脳」などとレッテルを貼ってきた。
中野:別に放っておけばいいんじゃないですか?それこそ感情的に罵倒されたり、公開質問状を出されたりしたら面倒だ。しかも、彼にそんなに大きな影響力があるわけじゃあないんだし。今回の新型コロナを巡っては、いろいろ奇妙な議論が出てきたのは事実ですが、あそこまで変な言論を展開したのは、彼だけですよ。
適菜:ただ社会に対しては警鐘を鳴らさないといけない。議論がおかしな方向に行くと危ないですよと。
佐藤:現在起きていることは、何ら珍しい現象ではありません。危機的事態においては、不安に耐えきれず現実から目を背けたがる人々が必ず出るんです。で、そういう人たちを安心させる言説が出回る。需要のあるところ、供給は必ず生まれますからね。
警鐘などと構えると、かえって話が分かりにくくなる。新型コロナに関する話を聞いて、溜飲が下がったり、ホッとする思いを感じたりしたら、信用してはいけないというだけのことです。とうてい溜飲が下がる状況ではないのに、溜飲が下がるからには、どこかに嘘があるのに違いない。
中野:確かに。
佐藤:騙されるのは知識不足のせいでもあるが、信念が足りない、すなわち意思が弱いせいでもある。映画監督の伊丹万作さんは、敗戦の際にそう喝破しました。うまい話には裏があると考える、この当たり前の分別を持っているかどうかなんですよ。
「新型コロナが大したことなかったらいいなあ」とか「流行がすぐ終わってくれるといいなあ」と思うのは、まったく自然な心情。ただし本当にそうなんだという主張が出てきたときに、真に受けねばならない義理はない。
適菜:甘い言葉には騙されちゃいけないってことですね。
佐藤:われわれが藤井さんと喧嘩しているというのも、何も分かっていない意見の見本です。基本的な現実認識がここまで違っていたら、コミュニケーションが成り立ちません。ゆえに対立も生じない。
適菜:この鼎談では、そこをはっきりさせたいですね。意見の相違のレベルではなくて、要するに解釈の余地のある話ではなくて、具体的な危険性を指摘していく必要がある。
佐藤:ならば具体的に行きましょう。危険があるとすれば、それは一般の人々というか、日本社会の側にある。溜飲が下がらない状態に耐えるだけの分別が多くの人に残っていたら、何も心配する必要はないし、でなかったら心配しても始まらない。
中野:では、藤井氏がどうこうというよりは、現実から目を逸らそうとする言説の悪質さについて、具体的に論じることにしましょうか。これは私信でのやりとりを含むので、敢えて名前は伏せて「某氏」としておきますが(ちなみに、この人は感染症や公衆衛生の専門家ではないです)、この某氏は、1~2月くらいに新型コロナが騒ぎになったときに、「これはインフルエンザみたいなものだから心配いらない」と言っていた。「欧米は経済活動を規制していない。日本人が騒ぎ過ぎだ」と。たしかに、その時点では欧米はロックダウンをしていなかった。もっとも、その直後、欧州諸国は一斉にロックダウンに向かいましたが。その当時、某氏がコロナ対策として主張したのは、いわゆる「集団免疫戦略」でした。つまり、コロナなんか大した病気じゃないから、普通に活動して、むしろ積極的に感染して免疫を獲得しようという戦略です。そうすれば、経済を止めないで済むというのです。イギリスは最初にこの手法をとっていたが、感染者数が急増し、また科学者から批判をされたので、方針を改めてロックダウンした。集団免疫戦略の誤りに気付いたのですね。ところが、このイギリスの方針転換は、某氏によれば「ポピュリズムだ」なのだそうです。つまり彼の頭の中では、科学を知っている人間は集団免疫路線を選ぶのに、コロナに過剰反応してパニックになった大衆がロックダウンを求めた。イギリス政府は、冷静な科学的判断よりも、大衆の要求に応じた。だからポピュリズムだということになっている。
適菜 なるほど。
中野:その某氏はデータを見ても、重症化するのは年寄りだけだから、年寄り以外は普通の生活をすればいい、むしろ積極的に活動して感染しろと言っていました。
佐藤:ウイルス学者の宮沢孝幸さんも、同じような内容の主張をしていましたね。
中野:その某氏は、「世間の素人はなにも知らない。俺たちは科学者だから知ってるんだ」と言って悦に入ってたわけですよ。「集団免疫を恐れる者は素人だ。新型コロナに警鐘を鳴らすのは、大衆の無知に付け込んで煽動するポピュリズムだ」と。
適菜:その某氏はこうしてレッテルを貼るわけですね。
中野:その某氏の説によると、感染症対策というものには、経済活動の自由をある程度許容して集団免疫を獲得する戦略と、ロックダウンによってウイルスを撲滅する戦略の二つがあるのだそうです。そして、本来は前者の戦略のはずだった。ところが、そこへ尾身先生や西浦先生たちが入ってきて後者の戦略にしてしまったと言うのです。しかも、尾身先生らは「ロックダウンで新型コロナを撲滅できると信じている」とか「感染リスクをゼロにしようとしている」とか言って批判した。
適菜:違いますよね。感染リスクをゼロにするのは不可能。
中野:そう。専門家会議の尾身先生たちは、実際には感染者をゼロにしようとしていたのではなくて、医療崩壊を防ぎ感染をコントロールできる範囲内に感染者数を落とそうとしていた。新型コロナを撲滅しようとしていたわけではないのですよ。それは、尾身先生や押谷先生の発言をテレビで聞いていれば、素人の私でもよく分かりました。だから、私は某氏にそのことを指摘したのです。ところが彼は、尾身氏や西浦氏らは新型コロナを完全に撲滅させようとしていると言い張り、その前提で執拗に批判を始めた。要するに藁人形論法をやったわけですよ。
■死者の数だけで事の軽重を量っていいのか
中野:さらにひどいのは、某氏は、自説の集団免疫戦略にはリスクがあることもちゃんと承知していたということです。それは、感染者が一時的に増えて、死者が増えるというリスクです。つまり、医療崩壊のリスクですね。しかし、某氏は、病院に患者が殺到したら、高齢者の救命を諦める「命の選択」をすればいいと言っていました。「年寄りは、死ぬもんだ。自然死と同じようなものだから、気にする必要はない」というのです。「だから、医療崩壊なんか気にしなくていい」という趣旨のことまで言っていた。ところがですよ、プライベートの場ではそういうことを言っておきながら、SNSなど表の場では「医療崩壊は防がねばなりません」とか「高齢者は徹底的に守らなくてはなりません」などと発言しているのです。
適菜:ひどい話ですね。
中野:高齢者や基礎疾患をもつ人がより重症化しやすいのは、政府や専門家会議も、もちろん知っていて、特に気を付けるよう呼びかけていました。(https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000610566.pdf)。
とはいえ、高齢者等だけを徹底的に守ることは、実際問題として難しい。感染者が増えるほど、高齢者等への感染機会は拡大し、高齢者等を守ることはそれだけ難しくなるでしょう。しかも日本には、65歳以上の高齢者は人口の3割もいる。地方によっては5割になるような村もあるでしょう。だから高齢者等だけを徹底隔離するといったって、限界がある。某氏が模範としていたのはスウェーデンですが、スウェーデンも高齢者を重点的に保護しようとして失敗しました。以上のことを私は某氏に指摘しましたが、彼は一切耳を貸そうとはしませんでした。なぜなら本心では、年寄りは死んで当然と思っているからです。実際、私が「あなたが模範とするスウェーデンでは、死者数が非常に多いが」と指摘したら、彼の返事は「それは、高齢者です」。しかし、世間では絶対にその本心を言わない。二枚舌です。ここが連中の危険なところです。
佐藤:「高齢者や基礎疾患のある人には犠牲になってもらいましょう! もともと体力がないんだから! そのほうが社会全体の健康レベルも上がります!」と公言するのならまだ分かる。ただしその場合、経済被害についても「中小企業にはつぶれてもらいましょう! もともと経営体力がないんだから! そのほうが市場も活性化します!」という話になります。
どちらか一方だけを肯定し、他方を否定するのは論理的に不可能。すると感染対策も経済対策も、形ばかりで構わないという結論にいたります。コストが安くすむので、緊縮財政論者のみなさんは喜ぶと思いますが、結果は目も当てられないことになるでしょう。
中野:私も、高齢者の犠牲を許容する集団免疫戦略は、疫学上の新自由主義だと論じたことがあります(https://diamond.jp/articles/-/239801)。
適菜:自民党の安藤裕議員が某討論番組で暴露してましたけど、安藤さんが「損失補償、粗利補償を絶対にやらないと、みんな企業潰れますよ」という話をある幹部にしたら、「これ(新型コロナウイルス)でもたない会社は潰すから」と言われたとのこと。生きるか死ぬかの瀬戸際にいる困っている人たちに手を差し伸べるどころか、背中を押して地獄に突き落とそうとする。
佐藤:もちろん正当化はできます。「あの会社を経営していたおじいちゃんは、いつ廃業してもおかしくないと普段から言っていた、だから会社がつぶれても寿命なんだ」と主張すればよろしい。
中野:2~3月ぐらいまで「新型コロナはインフルエンザと変わらないんだ」と言っていた連中は、「アメリカでは年間1~2万人もインフルエンザで死んでるんだ。そんなことも知らないのか。それに比べたら新型コロナでは大して死んでないじゃないか」と言っていました。でも、8月半ばには、アメリカでは17万人以上が新型コロナで死んでますよね。
佐藤:背景の事情を無視して、死者の数だけで事の軽重を量っていいのなら、7月に九州をはじめ各地で生じた豪雨災害だって放置して構わないことになる。亡くなった方は80名あまりです(※内閣府防災情報ページによれば、犠牲者は8/17現在で82名。「あまり」としたのは、今後増える可能性もあるため。http://www.bousai.go.jp/updates/r2_07ooame/pdf/r20703_ooame_34.pdf)。
新型コロナの犠牲者と比べても、ずっと少ない。してみると、防災もしなくていいんでしょうね。
適菜:まったく意味のない比較です。「今そんな話、していないから。あっちに行け」という話。
佐藤:「阪神・淡路大震災では6400人あまりが犠牲となったが、それが何だ。ガンでは毎年、数十万もの人が命を落とすんだぞ」、そんな主張が通用するようになったら社会は崩壊します。「世界が滅んでも、僕が毎日お茶を飲めればそれでいい」と書いたのはドストエフスキーですが、世の中にはやはり、罪とか罰とかいうものもあるわけで。
中野:ちなみに、8月18日の報道では、新型コロナはアメリカ人の死因の第三位になったそうです。「新型コロナはインフルエンザと変わらない」と高を括っていた連中の醜さは、まさかアメリカで17万人以上も死ぬなどとは夢にも思わずに「コロナを過剰に恐れるな」などと喧伝していたのに、今になってもなお、その見込みの甘さを認めないことなんですよ。そのことは彼らも半ば自覚しているのでしょう。だからこそ、自分のやましさを消すために、専門家会議や西浦先生をむきになって攻撃しているのではないでしょうか。
佐藤:いわゆるセンメルヴェイス反射ですね。
中野:しかも、専門家会議や西浦先生たちの活躍もあって、第一波をなんとか乗り越えたわけですよね。彼らのおかげで抑えられたというのに、その彼らの実績を根拠に「やっぱりコロナなんか、たいしたことないじゃないか」と騒ぎ立てたわけですから、驚きました。体張って国民を守ったら、文句を言われるんですから。
適菜:恩を仇で返す。下種ですね。
佐藤:とはいえ、センメルヴェイス反射なる言葉の存在が示すように、これも珍しいことではない。言論が玉石混交でなかったことなんてあるんですかね? むろん95%が石で、残り5%がどうにか玉。
中野:ほとんど石じゃないですか!
佐藤:これを「スタージョンの法則」と呼びます。アメリカのSF作家、シオドア・スタージョンにちなんだ名前ですが、
問題だらけの言説が出てくること自体は当たり前なんですよ。あとは聞く側の見識の問題です。
(第2回へ続く)
中野 剛志
なかの たけし
評論家
1971年、神奈川県生まれ。評論家。元京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治思想。96年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。01年に同大学院にて優等修士号、05年に博士号を取得。論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に『日本思想史新論』(ちくま新書、山本七平賞奨励賞受賞)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『日本の没落』(幻冬舎新書)など多数。最新刊は『日本経済学新論』(ちくま新書)は好評。KKベストセラーズ刊行の『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編』』は重版10刷に!『全国民が読んだから歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】』と合わせて10万部。
佐藤 健志
さとう けんじ
評論家
1966年東京都生まれ。評論家・作家。東京大学教養学部卒。1989年、戯曲「ブロークン・ジャパニーズ」で文化庁舞台芸術創作奨励特別賞受賞。主著に『右の売国、左の亡国』『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』『僕たちは戦後史を知らない』『夢見られた近代』『バラバラ殺人の文明論』『震災ゴジラ! 』『本格保守宣言』『チングー・韓国の友人』など。共著に『国家のツジツマ』『対論「炎上」日本のメカニズム』、訳書に『〈新訳〉フランス革命の省察』、『コモン・センス完全版』がある。ラジオのコメンテーターはじめ、各種メディアでも活躍。2009年~2011年の「Soundtrax INTERZONE」(インターFM)では、構成・選曲・DJの三役を務めた。現在『平和主義は貧困への道。あるいは爽快な末路』(KKベストセラーズ)がロングセラーに。
適菜 収
てきな おさむ
1975年山梨県生まれ。作家。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』、『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』、『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?」(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、中野剛志・中野信子との共著『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』(文春新書)、『遅読術』、『安倍でもわかる政治思想入門』、清水忠史との共著『日本共産党政権奪取の条件』(KKベストセラーズ)など著書40冊以上。現在最新刊『国賊論~安倍晋三と仲間たち』(KKベストセラーズ)が重版出来。そのごも売行き好調。購読者参加型メルマガ「適菜収のメールマガジン」も始動。https://foomii.com/00171