■「大変な危機にあるのに見て見ぬふりをしている」
元日産自動車COOで、現在は官民ファンドINCJ(旧産業革新機構)の会長を務める志賀俊之さんは事あるごとに「大変な危機にあるのに見て見ぬふりをしている」と日本の自動車産業に警鐘を鳴らしている。

日本勢の電気自動車(EV)への対応の遅れを憂いているのだが、EVの伸びが今、踊り場にあるのに、なぜそこまで危機感を持っているのか。
古巣の日産の経営不振を招いた責任も自らにあるという志賀さんに危機感の実相を聞いた。(前編)
――近年急成長したEV市場が最近は踊り場にあり、日本勢が強みのハイブリッド車(HV)が主要国で伸びています。自動車業界では一頃の危機論は少し薄らいでいるようにみえます。EV化に取り組む時間的余裕ができたような空気があります。
志賀 根本的な危機感を持っています。どんな産業でも、大きな変化が起きてきました。家電、カメラなどの分野ではアナログからデジタルに転換し、競争環境が激しく変わりました。カメラの世界ではフィルムがなくなり、ソニーやパナソニックがカメラをつくる時代です。同じような業態転換が自動車産業でも起きる、起きているという危機感があるのです。
■クルマの価値はソフトウエアが決定する時代に
――確かにデジタル家電、スマホなどの世界では日本勢は競争力を失いましたが、クルマの世界でも同じことが起きるのでしょうか? デジタル家電などに比べると、部品をすり合わせでつくりあげる部分が多いクルマは統一的な規格でつくるモジュール部品が多いデジタル家電とは違うのではないでしょうか。
志賀 おっしゃることもわかりますが、クルマづくりの世界をみると急速にソフトウエアのウエイトが高まっています。ソフトウエアがクルマの価値を決定づける時代になりつつあります。
私が日産の役員だった2010年代半ごろまでは、自動車の価値はハードウエアが9割、ソフトウエアが10パーセントといわれていました。
2020年代になってくると、ソフトウエアが6割、ハードウエアが4割と逆転しました。今後、クルマの周辺環境の認識、判断、操作までをAIが担う「End to End(E2E)」の自動運転などが広がってくると、ソフトウエアの比率はもっと高まってきます。まさにSDV(ソフトウエアがクルマの性能を決めるソフトウエア・ディファインド・ビークル)の時代になります。
■今までの作り方では通用しない
――とはいえスマホのようにほぼデジタル部品の塊のような商品と、車体やタイヤなどハードウエアが乗り心地を決定づけるクルマとが同じ運命になるとは思えないのですが。
志賀 これからはクルマだけじゃなくて、あらゆる工業製品が通信で繋がって、ハードウエアを動かすソフトウエアがアップデートされていきます。
ご存知のようにすでにテスラは、FSD(フルセルフドライビング)という運転支援機能サービスなどをクルマの購入時に利用していなくても、ソフトウエアをアップデートして、使えるようになる課金システムを新しいビジネスとして始めています。そうなるとハードウエアのつくり方が変わってきます。
――どう変わりますか?
志賀 スマホの場合を例にとると、今売られているiphone16が発売されても、1世代前のiphone15の中古でも1台10万円以上するそうです。使われているカメラなどのハードが若干違っても、最新のソフトウエアをダウンロードすればほぼ同じ機能が使えます。
クルマも同じことが起きます。これまでのクルマは新しい機能が欲しくても、次のモデルが発売されるまで待たねばなりませんでした。
しかしソフトウエアをアップデートして、今のハードウエアに新しい機能を付けられるようになると、次のモデルを買わなくてもいい。ユーザーにとってはいいことだと思いますが、メーカーにとっては大変なことです。
ソフトウエアの進化はハードウエアの進化よりも早く進んでいきます。4、5年のモデルサイクルで開発していた伝統的な自動車メーカーがソフトウエアの進化のスピードについていけるかが心配です。
■なぜ日本車メーカーは海外勢に後れを取ったのか
――クルマの価値を決定するソフトウエアが質量ともに増えていくと当然、バグが増えます。伝統的な自動車メーカーのものづくりは、ハードもソフトも欠陥のないバグゼロを目指すものだと思いますが、それでは対応できないということですね。
志賀 IT系の会社には発売時にバグがあっても、ソフトウエアをアップデートして改善すればいいという考え方があります。もともと電池メーカーだったBYDがすごいスピードで新車を出せるのは、販売後に不具合が見つかったらアップデートすればいいという考え方だからです。米国のテスラも発売の直後からバグ直しを始めています。
ところが伝統的な自動車メーカーのクルマはすべてがコネクティッドされているわけではないので、リモートでソフトウエアをアップデートできません。エンジニアはバグがゼロにならない前には怖くてクルマを市場に出せないわけです。開発期間はどんどん伸びていきます。

■国産自動車メーカーが抱える「不具合ゼロ目標」の足枷
――クルマは命を預かっているわけですから、不具合ゼロを目指すのは当然だと思います。その意味では、伝統的自動車メーカーの考え方は正しいのでしょうが、それが今の競争環境では足枷になっているということですね。
志賀 テスラもBYDも中国の新興メーカーもやっぱり事故は起こっています。でもこれをどう受け止めるかはお国柄やモノづくりの考え方で異なります。
テスラが最初に売り出したクルマはフロア1杯にバッテリーを積んでいた。クルマがぶつかり衝撃を受けると、リチウムイオンバッテリーから火が出る可能性があります。テスラのオーナーズマニュアルには、「衝突事故が起きたら速やかに外に出てください」と書いてあった。火が出るかもしれないから逃げてくださいという考え方です。
一方、日産リーフは2010年の発売から一台もバッテリーが火を吹いたことはありません。衝撃をあまり受けないようにフロアの真ん中にしかバッテリーを積んでいなかったからです。バッテリーパックも頑丈につくっています。
テスラなどはまずは商品を市場に出して、問題があれば後で改善するという考え方です。
クルマの価値がオンラインでアップデートできるソフトウエアが決める時代になると、テスラやBYDなどの新興メーカーの考え方が有利になっていくのだと思います。
■「ワイパーモーター」に表れた決定的な差
――クルマのソフトウエアがハードウエアを上回るようになると、クルマづくりにはどんな変化が起きてくるのでしょうか。
志賀 ワイパーモーターの例をお話ししましょう。伝統的な自動車メーカーは、豪雪地帯や雨がたくさん降る地域で販売するクルマのワイパーモータには出力が大きいものを使いますが、ほとんど雨が降らないようなところでは小さいモーターを使います。それぞれの地域にあった最適の部品を使うという考え方です。
ところがテスラのクルマに使われるワイパーモーターは1種類だけです。雨が降らない地域では過剰品質ともいえるモーターが載っているわけです。なぜならソフトウエアでモーターを制御して、どこでも最適に使えるようにすれば、モーターは1種類だけで対応できるからです。ソフトウエアでハードウエアの性能に幅を持たせられるようになると、ハードウエアの作り方が変わってきます。
――テスラがEV「モデルY」の車体のフロア部分の量産で、世界で初めてギガキャスト(大型部品をアルミニウムで一括成型する鋳造技術)を導入しました。テスラのイーロン・マスク氏はクルマが多くの部品の組み合わせでつくられることに「おもちゃのクルマのように簡単につくれないのか」と不満に思っていたようですね。
志賀 ギガキャストはテスラがEVをつくる自動車メーカーだからこそ生まれた技術だと思います。
伝統的自動車メーカーは、1つのフロアをつくるのに大体70~80の部品を継ぎ合わせてつくっていました。
1つの車種に1.5リッター、1.6リッター、2リッター、あるいはディーゼルといったいろんなエンジンを積んでいました。国によってもレギュレーションが違う。いろいろな条件に対応するために様々な部品を組み合わせて、車体をつくってきたのです。
■だから新興EVメーカーは優位に立てた
ところがEVなら一種類のモーターを使い、部品点数も少なくなる。ソフトウエアでハードウエアの性能範囲を広げることもできる。EVならば少数の大きな部品の組み合わせでフロアをつくることができるようになったのです。
伝統的な自動車メーカーはすでに出来上がった設備やサプライチェーンなどを抱えているので、革新的な製造技術を導入することには躊躇しがちです。一方、新興メーカーは大胆な発想で製造ラインを変革できたのです。
――いわば過去のしがらみに縛られて、新しい技術の導入に遅れを取ったと言えますね。
志賀 EVは多くの電池を積んでいるので車体重量が重い。したがって軽量な材料を使おうと努力します。
これまで鉄を使っていた部分にアルミニウムやマグネシウムを使って軽くする試みを中国の新興EVメーカーなどが進めています。日本勢はEVを市場にあまり出していないので、そういった新しいクルマづくりのチャレンジにも出遅れが現れてくるのではないかと心配しています。
■「ホンダとの統合を断るべきではなかった」
――いろんな危機感をお持ちなのですね。
志賀 ホンダの三部敏宏社長は日産自動車との統合協議が破談した際に、SDVで連携したかったと残念がっていました。ホンダにはSDVの時代になるとOSも作らなければならず、そのためには仲間を増やさないといけない、という危機感があったのだと思います。
その危機感は当然のものなのですが、破談を選択した日産にはその危機感があまりなく、見て見ぬふりをしていると私には見えました。古巣の経営判断を批判したコメントがメディアで紹介されましたが、日産は単独で生きていくのは厳しく、ホンダとの統合を断るべきではなかったと思っています。
つまり伝統的自動車メーカーの経営体制とか意思決定のあり方、開発部門をみると機械工学科出身が8割ぐらいを占めている組織では、テスラやBYDといったソフトウエア開発者を多く抱えた新興自動車メーカーにいまさら追いつけないほどの差をつけられてしまっているのではないかという危機感が私にはあります。
(後編に続く)

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安井 孝之(やすい・たかゆき)

Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト

1957年生まれ。早稲田大学理工学部卒業、東京工業大学大学院修了。日経ビジネス記者を経て88年朝日新聞社に入社。東京経済部次長を経て、2005年編集委員。17年Gemba Lab株式会社を設立。東洋大学非常勤講師。著書に『2035年「ガソリン車」消滅』(青春出版社)、『これからの優良企業』(PHP研究所)などがある。

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(Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト 安井 孝之)
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