■自分の体なのに「男性の同意」が要るなんて
もう、天国と地獄の差がありました。
25年ほど前、ここ大阪に来てから流産したときの話です。出血したため婦人科に行ったら「ああ、これはもう手術ですね」と言われ、3日くらい入院することになりました。当時、結婚していたフランス人の夫がちょうどそのときはフランスに戻っていたんです。
それなのに「手術には夫の同意が要る」と病院に言われたんですね。そうした「同意」はあれから20年以上たちましたが、今でも法律上必要です。
手術形態は中絶手術と同じ内容で、「掻把(そうは)」という、子宮の胎児を掻き出すというものです。全身麻酔で大がかりな手術になるので「夫の同意書が要ります」と。私自身が同意していても夫の同意が要ると言われ、国際電話をかけて事情を説明したら夫は大笑い。「なんだそれは!」と言われました。
病院に「夫は今フランスにいるんです」と言ったところ、「じゃあファクスで同意書をフランスに送り、そこにサインしてもらって送り返してもらってください」と言われました。もう一度夫に相談して、「だけど国際電話、高いよね」と私が相談したら、また心底大笑いされまして、「僕のサインを真似て書けよ!」と言われてしまいました。
■パリの病院に行ったら「これを飲んでください」と言われ…
「いちいちマジメに日仏をファクスでやりとりすることなんかない、誰もそんなもん確認できるわけがない。なんでそんなバカなことをするんだ日本人は」と、心底バカにされました。
今でも同じようなことを日本はやっています。日本に住む女性たちは、流産した時の手術すら自分の自由にはできません。私はすぐ炎症を起こしてしまう体質だったため予後もすごく悪く、退院後も何度か通院することになりました。掻把ですからとにかく苦しくて痛くて、その後1週間は非常につらかったです。地獄のようでした。
ところが、その後、海外出張先のパリでも流産を経験しました。レストランで食事をしていたら大量に血液が降りてきた感覚があり、「これは大変!」と急いでホテルに戻ったんですね。どうしようどうしようと思いながら次の日、全然知らないクリニックに駆け込みました。
医師は「ああ、これは流産されましたね」と言って、「では、これを飲んでください」と一粒、錠剤を渡されました。20年以上前のことで日本ではまだ中絶薬が入ってきておらず、私も知識がありませんでしたから、この薬はなんだろう? まるで栄養剤みたいだなと思いつつ飲んだところ、そこからもう、すっきり。トイレで血液は流れましたが痛くなかったんです。そして次の日から働くことができたんですね。
■なぜキャサリン妃は産後すぐに歩けたのか
これはもう、天国と地獄の差じゃないですか。生まれた国が違ったらこんなに違う。フランスの女性は体の負担もなく流産後に生活ができる。なのに、日本ではこんなにも手続きが面倒で手術も大がかり、予後も悪い。掻把されて激しい痛みを伴うわけです。私はたまたま偶然両方を体験しましたが、日本で暮らしている人たちはみな知らないんだろうな、と。
私が流産後に飲んだものは、経口人工中絶薬(中絶ピル)と言われるものと同じ種類の錠剤です。これは、最後の月経が始まった日から63日(妊娠9週)以内に正しく飲むことによって妊娠を終了させることが可能な薬剤であり、日本では2021年12月に厚生労働省へ販売承認申請がされ、2023年1月27日に薬食審・医薬品第一部会において、「メフィーゴパック(ミフェプリストン/ミソプロストール)」が承認されました。
1988年にフランスで承認されて以来、65以上の国と地域で承認されており、G7の中で承認されていなかったのは日本だけで、解禁はなんとフランスより35年も遅れたわけです。
それ以外にも例えば、ヨーロッパでの出産において、無痛分娩は当たり前です。イギリス王室のキャサリン皇太子妃は出産後、病院の前できれいに髪を整えて夫と一緒に歩いて「ハーイ」って手を振りながらそのまま赤ちゃんと退院していきましたよね。日本の経産婦たちはみな、多くがニュース映像を見て驚愕したと思います。なぜキャサリン妃は産後すぐに、歩いて病院を出られたんでしょう。あの強さは、無痛分娩も要素の一つだったのではないでしょうか。
■「人が耐える最大の痛み」を麻酔無しで行っている
1993年にフランスで娘を出産した時、ヨーロッパではすでに無痛分娩はマストという状態でした。しかし、私自身が帰国後1997年に盛岡で息子を出産した際、岩手医科大病院でさえ無痛分娩は扱っていませんでした。
日本産科麻酔学会によると、日本の無痛分娩の普及率はまだ1割前後。多くが今も、人が耐える最大の痛みといわれる分娩を、麻酔無しで行っている実態があります。
一方、世界各国で見ると、アメリカ(73.1%)、フランス(82.7%)、カナダ(57.8%)、イギリス(60%)、スウェーデン(66.1%)、フィンランド(89%)、ベルギー(68%)という状況です。他方アジアでは、シンガポール(50%)、韓国(40%)、そして中国が日本とほぼ同じ10%という状況。
分娩の痛みをずっと長時間受け続けるということが女性の身体と精神力にどの程度の負担を及ぼすかは、経産婦ならば誰しも認識できると思います。そのつらさや恐怖感を少しでも軽減する試みは、次の子供を産む気力を女性に与えるのではないでしょうか。
■「ピルで女性の性が乱れる」は本当か
女性の痛みを軽減し心身の負担を取るということについて、日本の行政、日本の医療はあまりにも後ろ向きであると思っています。流産にせよ中絶にせよ出産にせよ、すべてが強烈な痛みを伴うことはわかっているのに、こと女性のための医療となると、他の先進国に比べても取り組む気がないことが見てとれるからです。
ピル(経口避妊薬)がいい例ですよね。「ピルを解禁したら(女性の)性が乱れる」「中絶ピルともなるとなおのこと」という理由で女性の身体に優しいはずの医療を何十年も解禁してこなかった半面、男性の勃起不全(ED)を改善するための薬・バイアグラの承認は1999年。申請から半年、アメリカに続いて翌年には通すという異例のスピードで解禁した国です。超男性優位社会のそうした極端さは、無節操に思えるほどです。
そもそも、社会全体の意識がフランスと日本とでは違います。
1990年に私が留学生としてフランスに行ったとき、大学院の健診をまずは受けてくださいと言われて診察を受けに行ったら、女性の医師が応対してくれたんですね。先生がメモを取りながらカジュアルに「あなた、ピルは使っていますよね?」と聞いてきたんです。
■35年前ですらピルを無料で配るフランス
35年前の、まだ日本にピルも入っていないころの話です。「当然使っていますよね」という念押しの言い方でした。聞いた瞬間、私は時代もあり当時の感覚のため頭が真っ白になってしまって。特に結婚前でしたので「えっ」と言ったままシドロモドロになってしまい、「私、ピルなんて見たことさえありません」と答えたところ、非常に驚かれました。同情されたような目で見られてしまったんです。「どんな後進国からこの人は来ているんだろう」という顔で。
「本当に気の毒に。でもあなたね、この年で自分の身は自分で守れなくて、どうするの⁉」って聞かれてしまったんですね。
フランスには「家族計画センター」という「町の保健室」的なものが各市町村にあり、避妊、計画、夫婦カウンセリングなどの健康相談所として機能しています。当時私が行ったグルノーブルというパリから500kmの地方都市にもそれがあり、女性医師から教えてもらって訪ねていきました。
「すいません、ピルがないのでピルをもらいなさいって言われました」
と言ったら、簡単な診察のあと、タダであっさりピルをくれました。お金を払った覚えはありません。
■政界や医学界のトップは男性ばかり
留学を終えて日本に帰国し、1995年に盛岡大学の大学講師として働き始め、慶應義塾大学の非常勤講師もしていたころの話です。東京に実家がありましたので、泊まってまた盛岡に帰る、という生活をしていました。
慶應の法学部では、ピルが日本ではまだ解禁されていませんでしたから(日本での解禁は1999年)、「フランスではタダでピルがもらえるんですよ」という話を学生たちにした上で、「日本はどうしてこんなに長い間解禁されないのかというと、政治家や医学界などのトップが男性ばかりだからです。日本は『超男性優位社会』なんですよ」と授業で伝えていました。
みんな、キョトンとしているわけですよ。全然実感がないものだから。
「日本の現状は本当におかしい。そうした日本各界の男性たちがなぜピルの解禁をしないのか、その理由を知っていますか」と問うてみました。
「もしピルを解禁したら(女性の)性が乱れる」とか、「寝た子を起こすな」、「みんなが性行為をしてしまうじゃないか。それは良くない」っていう、まじめに言っているのか冗談なのかわからないような理屈でピルの解禁が行われてこなかったんですね。そんな理由で解禁しないとエスタブリッシュメントの男性たちが大まじめに言っていたわけです。
■少人数授業のはずが抽選する騒ぎに
もう笑っちゃいますよね。性が乱れるって言うけど、フランスに4年住んでいても援助交際なんてありませんでしたよ。そんな金銭主義で若い子がブランドもののバッグが欲しいから売春するなんていう文化は向こうにはありません。性が乱れているのはどっちですかと。そんな話を講義でしていたんです。
こうも言いました。「フランスではラブホテルも見たことがありませんでした。ここ慶應の周りには林立していますよね? この違いはなんですか?」
「性が乱れに乱れきっているのは日本のほうなんです。ピルを解禁したから性が乱れるなんていうのは大嘘です」
そういう話をしていたら、当初は非常勤としての30人ぐらいのこぢんまりした授業だったんですが、倍々ゲームで受講者が増えてきちゃって500人以上になり、法学講座そのものがパンクして生徒が教室に入りきらなくなったんです。大教室は500人が最大だったんですが、抽選になる騒ぎになってしまった。それほどまでに、学生には衝撃だったと思うんですね。本当のことだから。
■日本の学校は本当のことを教えていない
法学の授業だから、法律に関することなら何を話してもいいんです。憲法から民法、刑法まで話していくんですが、私はフランスからみた日本の話ばかりしていました。帰国したばかりで、いかに日本の憲法がおかしいか、法の下の平等がいかに認められていないかの実例をバンバン出す上に、ピルの話もするわけです。法律より雑談が多くて人気になってしまいまして、男子学生も多かったですよね。
当時日本では解禁されていなかったピルが、フランスでは市販でも1カ月分300円ほどで買えましたから、「フランスで大量に買ってきて渋谷あたりで、1箱1000円くらいで売りさばきたい」と冗談を言っていました。
なぜここまで学生の人気を呼んだのかというと、結局、日本の学校ではだれもこうした本当のことを教えてくれないからじゃないでしょうか。
■「ピルを解禁したら少子化になる」の大ウソ
ピルを誰でも手に取れる世の中にしましょう。寝た子を起こすなというが、起こしているのは誰なのかを一度よく考えていただきたいと思います。当たり前にピルが処方されるフランスのほうが、ピルを出してもらえない日本より出生率が断然高いという皮肉な事実がそこにはあります。
ピルは1960年にアメリカで経口避妊薬として認められて以来、65年が経過し今や世界中の至るところで避妊法の主流となっています。世界で9000万人以上の女性がピルで避妊をしている状態で、西欧諸国では妊娠可能女性のおよそ30%がピルで避妊をしています。ピルを飲むか飲まないかは、女性の自己決定権、つまり、女性たち自身の選択の自由に任されているのです。
ところが、日本ではピルによる避妊は3%にも満たない状況です。中でも、中用量のプラノバールという緊急避妊薬は60年代後半に世界で用いられていたものでホルモン量も比較的多いのですが、現在の日本では月経異常などの治療用薬剤として認可されているものを、ピルとして代用しているんです。その結果、多くの日本人女性はピルに対してネガティブなイメージを持ち、副作用神話を作り出すことにつながってしまっています。
日本の避妊法は古色蒼然とした男性主導のコンドームに強く依存しており、家族計画についての鍵は男性が握っていることになります。ここでも、女性に自己決定権がないのです。しかも日本国内の女性において、2023年の日本の人工妊娠中絶件数は12万6734件、前年度から4009件増加していることを厚生労働省が発表しています。特に、未成年を中心とした若年層において、その数がコロナ禍以降増加傾向にあることが統計上明らかです。
2023年度
中絶件数:12万6734件
10代合計:1万53件(前年比+484件、+5.1%)
※うち、19歳:4707件(最多)、18歳:2641件
■避妊用ピルの使用率は日仏で10倍違う
2019年の国連統計によれば、世界における、避妊目的でのピルの服用率は8%で、実に1億人以上の女性がピルを飲んでいるとされています。一方で日本でのピル服用率は2.9%で、カナダの28.5%やフランスの33.1%などに比べると、かなり低いことがわかります。
【代表的な先進国でのピル服用率】
日本……2.9%
アメリカ……13.7%
イタリア……19.1%
イギリス……26.1%
カナダ……28.5%
ドイツ……31.7%
フランス……33.1%
出典:「Contraceptive Use by Method 2019」(United Nations)
では、これまで日本国内でいわれてきたように、ピルや中絶ピルを解禁すると少子化になるのかというと、そうではないことは各国の統計からわかります。
【各国の出生率(2024年)】
国名 出生率
フランス 1.90
アメリカ 1.84
イギリス 1.63
カナダ 1.58
ドイツ 1.58
日本 1.40
イタリア 1.26
出典:「Total fertility rate」(Central Intelligence Agency)
■女性の自己決定権が存在しない国ニッポン
低用量ピルやアフターピルが手に入りにくい日本に対し、どちらもタダで若年層にそのまま与えてきたフランス。女性の体を傷めつけるような医療がまだ残る日本に対し、負担の少ない方法を提供するフランス。
しかも日本は、人工妊娠中絶に「配偶者の同意が必要」とされています。また、16~17歳の少女が避妊法を利用する際には「親の同意が必要」とされていて、72時間以内に服用が必要とされる緊急避妊などへの十分な手段が提供されているとは言えません。
要は、日本には女性が自己決定権を持つ「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)」がないのです。
この状況は、女性差別のうちの一つだと世界から指摘されていますが、日本政府は長年聞こえぬふりを続けてきました。国連の女性差別撤廃委員会から日本が言われている内容を把握しましょう。誰よりも、日本に住む女性自身がそれを自覚していく必要があると思います。男女平等ランキング125位というのは不名誉ですが、海外では普通に手に入れられるはずの医療も権利も女性たちがその手に取れない状況にあるのは事実です。
日本の法律をジェンダーの視点から見た場合、そこにどういうアンバランス、どんな差別が包含されているのかを解説した『ジェンダーレンズで見る刑事法』(後藤弘子、岡上雅美共著 信山社)を27日に出しました。私がこれまで語ったような視点で日本の刑法を読み解く書籍は初であると考えています。
次回は、日本に住む女性たちが刑法上、どのように「差別」されているのかをつまびらかにしようと思っています。(後編につづく)
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島岡 まな(しまおか・まな)
大阪大学元副学長/刑法学者
1961年東京都生まれ。慶応大を卒業後、亜細亜大助教授などを経て大阪大学大学院法学研究科教授。専門は刑法。2021年副学長に。22年から女性活躍などの環境づくりに取り組むダイバーシティ&インクルージョンセンター長。近著に『ジェンダーレンズで見る刑事法』(後藤弘子、岡上雅美共著 信山社)がある。
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(大阪大学元副学長/刑法学者 島岡 まな 聞き手・構成=ライター堀内敦子)