《大分県の由来》
◉多き田が変じて地名になった
『豊後国風土記』によると、景行天皇がこの地を訪れたとき、土地が広く大きく美しかったことから「大きい」という意味をもつ「碩」が当てられ「碩田(おおきた)」と名づけたことが由来とされる。
実際の大分平野は広大とはいいがたく、むしろ地形は狭く複雑であることから「多き田」が「大分」に変じたという見解が最近の定説となっている。
また、「分」は古来「キダ」とも読まれたことから、「大きくきざみ分けられた」という意味で「オオキダ」になったともいわれる。
《地名の由来》◉安心院(あじむ):芦生が安心に転じた
芦が生えていたことから「芦生(あしぶ)の里」と呼ばれていたものが、のちに「安心」に転訛。さらに中世になって荘園の倉(倉院)が置かれたことから「院」がついて「安心院」という地名になったという説が一般的だ。
◉臼杵(うすき):臼と杵に似た石人形
当地にある臼塚(うすづか)古墳から出土した2基の石甲(石で作られた武人の像)の姿が、「臼」と「杵(きね)」の形に似ており、地元では昔から「うすきね様」と呼ばれ、親しまれてきたことが地名の由来とされている。
◉姫島(ひめじま):白い石から生まれた姫
垂仁天皇の御世、 意富加羅国(おほからのくに:今の韓国南部)の王子が、白い石から生まれた姫と結婚しようとしたが、姫はそれを逃れて日本に渡り、当地の比売語曾社(ひめこそしゃ)の神になった、という伝承から名づけられた地名。
◉耶馬渓(やばけい):ふたつとない山の渓谷
文政元(1818)年、頼山陽(らいさんよう)が当地を訪れた際、その景観に感動。この渓谷は天下にふたつとないとして、当時の「山国谷」という地名に中国風の文字をあて「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが、地名の起こりとされる。