41年前の今日、韓国を作った男、大日本帝国陸軍士官学校57期卒、満洲国中尉・高木正雄こと朴正煕(パク・チョンヒ)が暗殺された。
 朴の生涯を知れば、あなたを「好き」にさせ、「嫌い」にもさせるそんな韓国の実像がはっきりと見えるニャン! 



■朴正熙無くして、現在(いま)の韓国は無い

【41年前の今日:朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領暗殺】嫌...の画像はこちら >>
朴正煕(パク・チョンヒ:1917-79、大統領在任期間63 -79)" />



 1979年10月26日、大韓民国大統領・朴正煕(パク・チョンヒ、日本名・高木正雄または、岡本実)は、側近たちとの宴席のさなか、同郷の腹心、大韓民国中央情報部(KCIA)部長・金載圭(キム・ジェギュ、日本名・金本元一)に拳銃で胸を撃たれた。

次に頭を撃たれて、とどめを刺された。背後には北朝鮮とアメリカがいただろう。真相はわからない。



 朴正熙は1961年の「5.16軍事クーデター」で政権を奪取、18年間にわたり韓国の絶対的権力者の座にあった。徹底的な思想言論弾圧で反体制派を潰し、宿敵北朝鮮と一触即発の対峙を続けながら、工業化で先行する北を追撃した。10年間で、のべ32万人をベトナムに派兵・参戦し、アメリカから巨額の経済・軍事援助、日本の倍の特需を獲得、独裁を容認させた。反日の声を押さえこんで仇敵「日帝」と和解、日韓基本条約を結び、日本からは11億ドルの支援を獲得した。それを原資に大規模インフラ構築、重工業強化を進め、世界最貧国の一つだった韓国を経済強国に導いた。朴の治世の63年に始まる30年間は「漢江(ハンガン)の奇跡」ともいわれる。



 朴正熙無くして、現在の韓国は無い。





■日本への愛憎から「用日」というリアリズム

 自らの最期まで血にまみれた激烈な生き様には朝鮮民族主義、日本軍国主義、共産主義、反共主義の遍歴があった。終生、日本への憧れ、劣等感、尊敬、怨念、復讐心があった。

そして反日と親日、知日と「用日」(日本をうまく使って利用する)が混在していた。



 韓国と朝鮮民族に対する誇り、理想とともに、苛烈な自己批判、自己嫌悪ともいえる思いを朴は隠さなかった。原動力となる激情を秘めながら、感情に左右されない「リアリズム」の鉄則を貫いた。こんな超人的政治家は日本にはいまだかつていない。



 実弾をくぐり自国民すら殺してきた軍人と、弾圧を生き抜いた反体制活動家だらけの朝鮮半島の指導者たちを甘く見てはいけない。犠牲者を名乗る執拗なクレーマーとばかり、韓国を見くびってはいけない。彼らは皆、例外なく生身の暴力の洗礼を受けている。



 暗殺から41年の今日、暴力と変節に満ち溢れていた朴正熙について知ることで、韓国を知ることができる。敵に挟まれた環境で生き延びる、残酷な天使のテーゼを、平民ジャパンは現代韓国の神話から学びとりたい。自家発電の嫌韓に煽られて用日されてばかりではだめだ。返す刀で用韓(韓国をうまく使って利用)するリアリズムを持ちたい。





■満洲国、ベトナム戦争、そして漢江の奇跡

 満洲国軍中尉として終戦を迎えた高木正雄こと、朴正熙の開発独裁政策の背景には、大日本帝国の壮大な実験場、満洲国から学んだ国家社会主義・計画経済の思想と手法があった。

共産圏との直接対峙、宗主国アメリカの冷徹な極東戦略、「昭和の妖怪」と言われた岸信介を筆頭とする日本政財界との絆・癒着とサポートがあった。



 日韓の闇をつなぐ国際勝共連合・統一教会の存在もあった。



 帝国陸軍仕込みの軍人政治家は、植民地支配解放後の反日感情の嵐の中で、親日売国の非難を浴びても動じなかった。経済大国にひた走る日本をモデルとして転用した。米日からの継続的支援をとりつけ「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる劇的経済発展を成し遂げた。しかし、じつは最大のブースターとなったのはベトナム戦争だった。



【41年前の今日:朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領暗殺】嫌韓も韓流好きもパク大統領を知れば、その根っこは同じ『朴の不時着』《今日はニャンの日》
「漢江の奇跡」1962年から1994年までの間、韓国の経済は年20%の輸出の伸びにより加速し、毎年平均10%成長した。(グラフ:パブリック・ドメイン)" />



 朝鮮戦争特需で敗戦間もない日本がボロ儲けし、経済復興を遂げたことから、朴正熙は学んでいた。ベトナム戦争の泥沼に派兵・参戦した10年間で、韓国のGNP(国民総生産。現在はGDP「国内総生産」で表記)は14倍、外貨保有高は24倍、輸出総額が29倍になった。戦争は最強最速のビジネス、これもリアリズムだ。



 1961年5月の軍事クーデターは、わずか3日後にアメリカのジョン・F・ケネディ民主党政権に支持された。

半年後、朴正熙はケネディとの会談を果たした。そこでベトナム派兵を申し出たと言われる。帰り道には所得倍増計画の池田勇人首相に会っている。



 東京がオリンピックで湧いた1964年、韓国はまず非戦闘要員派遣を開始、翌年には朝鮮戦争で勇戦実績のある1万8500の最強部隊(猛虎師団、白馬師団、青龍旅団という恐ろし気な名前の精鋭部隊)を戦争の最前線に投入した。時を同じくして、日韓基本条約が結ばれた。
 アメリカの介添えによる、この二つのイベントは確実にリンクしている。韓国は、のべ32万人、ピーク時には一度に5万人の軍団を南ベトナム戦闘地域に展開した。



 アメリカに対して忠誠を示すことと引き換えに、在韓米軍を引き留める。大規模な経済・軍事支援、日本も多大な恩恵にあずかったベトナム特需を請ける。そして韓国軍将兵に「なんでもありの実戦」の場を与える。一石三鳥以上の目算があった。



【41年前の今日:朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領暗殺】嫌韓も韓流好きもパク大統領を知れば、その根っこは同じ『朴の不時着』《今日はニャンの日》
朴正煕(写真中央)の軍事クーデター政権をアメリカのジョン・F・ケネディ大統領(写真右)は支持した(写真:パブリック・ドメイン)" />



■脛に傷ある過去は封印してもリアルを貫くとは何か



 朝鮮戦争において民間人殺戮も辞さぬ過酷な伝統を継ぐ韓国軍は、ベトナムでも「勇猛果敢」と恐れられた。

化学兵器も使用した。多くの非戦闘員虐殺、ジェノサイド(集団殺戮)、強姦・輪姦の蛮行も行った。韓国軍こそ従軍慰安婦が必要だっただろう。数万以上にのぼるとされる膨大な犠牲者の数は依然闇の中だ。それが戦争のはらわただ。
 韓国政府は長年この事実を隠蔽し、いまだに認めていない。
 いまでは韓国と密接な経済関係を持つベトナムは、汚れた過去を南ベトナムの問題として封印し、寝た子を起こすことはしない。これもリアリズムだ。



 目と鼻の先で北と対峙し続ける韓国軍は、李承晩(イ・スンマン)初代大統領時代、朝鮮戦争それ自体だけでなく、数々の暴動鎮圧・集団虐殺を行った。
 朴正熙時代においては、ベトナム戦争における正規非正規の実戦に加え、国内治安維持を名目にした数々の暴動鎮圧の輝かしい黒歴史を持つ。朴正熙暗殺後、そのまま全権を引き継いだ軍中枢エリート、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権下の1980年光州事件においては、空挺部隊が多数の自国民を虐殺している。臨戦態勢の韓国には、いつでも戦場に飛び込み、他国戦闘員はもちろん、非戦闘員も、そして治安維持のためには自国民も殺すことができるリアルな軍隊がある。

国民皆兵制度がある。
 平和な日本においては自衛隊創設以来、戦争はおろか、治安出動の実戦経験も無く、民間人殺害の記録はもちろん無い。自衛隊は災害救助とPKO(平和維持活動)専門だ。すばらしい。



 しかし、それは必ずしも絶対にいいことなのか。



 年がら年中戦争を続ける世界において、恒久平和はファンタジーだ。
 戦争は、いつかまた誰かが始める。起きたときに国土と国民を守れなければ、どんなに予算をかけた最新鋭の軍事力にも意味はない。



 日本はもう二度と戦争に敗けるわけにはいかない。しかし、敵性国家に名指しで核ミサイルを向けられている。
 発射の威嚇を受け続けても、この国と平民ジャパンにはまったく危機感がない。イージスアショアですら、部品が落ちたら危ないと言って配備できない。

あからさまな脅威に対する先制攻撃は、専守防衛のうちに含まれる。
 しかし、敵基地攻撃の発想も準備も日本には無い。仮説すら無い。リアリズムとはほど遠い。





■リアリズムの思考を忘れたジャパン

 朴正熙(パク・チョンヒ)は人物像も功罪も、評価が真っ二つに分かれる。 清貧と腐敗、愛国と売国、韓国中興の祖と血にまみれた軍事独裁者、そのいずれもが真だろう。
 反日感情が蔓延する韓国国内では何かにつけ親日と糾合される。軍事クーデターで政権を獲った朴正熙は、戦後日本の平和礼賛メディアによって「軍人出身」「独裁者」というレッテルが貼られた。日本での正当な評価は受けられなかった。
 政権与党・軍人=悪い人、野党・民主化運動家=いい人という単純化、記号化の中で、金大中(キム・デジュン)や金泳三(キム・ヨンサム)があたかもスターのように扱われていた。
 パク・チョンヒ体制において反体制派は逮捕、拉致監禁、拷問、暗殺工作、公職追放と、徹底的な弾圧にあったが、同時に朴正熙も常に北の工作員に命を狙われていた。暗殺5年前の1974年には在日韓国人青年・文成光(ムン・セグァン)の襲撃を受け、大統領夫人は彼の眼前で射殺されている。
 やるか、やられるかの世界は、戦後日本には無縁だ。



【41年前の今日:朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領暗殺】嫌韓も韓流好きもパク大統領を知れば、その根っこは同じ『朴の不時着』《今日はニャンの日》
朴正煕の子であり、韓国女性初の大統領となった朴槿恵(パク・クネ)。2014年3月25日、米大統領バラク・オバマ、内閣総理大臣安倍晋三とともに(写真:パブリック・ドメイン)" />



 東アジアの緩衝地帯であり続けてきた朝鮮半島は、中国の冊封国(さくほうこく)として数千年にわたって属国の地位に甘んじた。日本による併合・植民地時代を経て、第二次大戦後の冷戦構造で米ソによって背骨ごと真っ二つに分断された。日本に独走させないためにも、アメリカは韓国を日本のコピーとして育てた。
 地政学上の朝鮮半島の厳しい立ち位置は、日本列島とは大きく異なる。
 おかげさまで、こちらは何度も助かっている。ジミー・カーター大統領の人権外交時代、朴正熙はそれを内政干渉ととらえ、アメリカとも対等に渡り合おうとした。
 在韓米軍撤退を示唆されたときは、独自の核抑止力をもつことを目指し、核兵器開発、ミサイル防衛開発を始めた。
 核武装を準備してきたのはキム一党だけではない。アメリカ、ソ連・ロシア、中国という核超大国のハザマにいる南北朝鮮(そして、日本)が核武装を試みることには、何の不思議もない。むしろ、無頓着な日本こそ不思議だ。原爆2発の呪いと犠牲者の祈りは、核攻撃の脅威に対する感覚を麻痺させ、リアルの思考を止めてしまった。



■エンタメ完勝韓国の「最大のタブー」とは

 時は移って暗殺から41年、段階的に民主化された韓国はIT先進国となり、2019年アカデミー賞4部門獲得映画『パラサイト』、ネットフリックス(日本)1位『愛の不時着』、ビルボード1位「BTS」と、エンタメでも、アニメとゲームとカワイイ頼りのクールジャパンに完勝している。
 一方こちらは猫も杓子も脊髄反射の嫌韓だ。ディスれば売れるシノギのために、無節操に嫌韓本を出す。安っぽいポルノ同様、中身は全部同じだ。



 いま世界は新たな米中全面対立化のハザマにあり、歴史の教科書で過去を弄ってもそこに答えは無い。



 依然北朝鮮と対峙する日韓両国だが、両国政府と御用メディアに煽られて、感情世論の対立は高まる。トンデモ北朝鮮の深刻な脅威には麻痺して、日韓はルーティン化したディスり合戦でストレス発散だ。慰安婦と徴用工、どうでもいいゲージツ展覧会やくだらない銅像をどこに建てた、置いた、撤去した、資産を現金化する、なら事務所を差し押さえだと喧しく姦(かしま)しい。いずれも75年以上も前の話の蒸し返しでウンザリだ。平民には1円の得もない。



 蒸し返し合戦をしたければ、韓国最大のタブーを突けばよい。



 朝鮮戦争のさなかにおきた軍警自警団による大量虐殺として悪名高い「保導連盟事件」がある。フォンニィ・フォンニャット、ゴダイ、タイヴィン、ハミの虐殺といった、ベトナム戦争での数多の鬼畜大宴会もきちんと調べるがいい。よその国の過去をあげつらうことが大好きな清く正しい国際社会に晒したらいい。



■111年前の今日、暗殺された日本人リアリストとあの世で一献⁉️

【41年前の今日:朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領暗殺】嫌韓も韓流好きもパク大統領を知れば、その根っこは同じ『朴の不時着』《今日はニャンの日》
韓国統監時代、韓国の民族衣装を着て記念撮影におさまる伊藤博文(写真中央)。前列左から2番目が梅子夫人(写真:パブリック・ドメイン)" />



 死刑執行人もまた死す。北の工作を受けた在日韓国人青年に目の前で妻を殺され、自らは腹心に暗殺されながら祖国復興の志を貫いた朴正熙は、いまの日本と韓国を見て何を思うだろうか。



 中国はガチで新しい世界秩序を作ろうと完全に本気だ。アメリカの民主主義とやらは、とうとうぶっ壊れ始めてエンタメ化が止まらない。その米中どちらにも、どっぷり依存したまま何もできず、金王朝の核武装を拱手傍観だ。政治とメディアと世論の対立で、クズキャラ同士のプロレスに興じる日本と韓国を、ただ情けない思いで見ているかもしれない。



 しかし、朴正熙はリアリストだ。



 あたかも100年前の「全般的危機」に戻ろうとするかのような、この世界だ。
 南北朝鮮統一のきっかけとなる、次の戦争を待ち望んでいるかもしれない。あるいは、南北分断が続くことをむしろよしとして、見守っているかもしれない。



 朴正熙が暗殺されたその日から遡ること70年前(いまから111年前)の今日、1909年10月26日、大日本帝国初代首相で初代韓国統監、伊藤博文が朝鮮人青年・安重根(アン・ジュングン)にハルビンで暗殺された。世紀の「リアリスト」同士は、いま、あの世で少し苦いマッコリを酌み交わし、誰が得をするかのリアルに気づかず、犬と猿のようにいがみ合う子孫たちを、歯がゆい思いで見ているかもしれない。■

編集部おすすめ