コラムと漫画、しかもプロの姉妹が一つのテーマで決闘する異種格闘表現バトル。今回のお題は【湯湯婆(ゆたんぽ)】。


 あの冬の布団のあったかいヤツです。行火(あんか)でもありませんよ!
 日常生活に慣習化された言葉への違和感をコラムニスト・吉田潮(妹)が、その素朴な感情を綴り、イラストレーター・地獄カレー(姉)が「漫画」で思いの丈で表現してみました(図1~6を順に見てからコラムをお読みください)。



◾️姉・地獄カレーは【ゆたんぽ】をどうマンガに描いたのか⁉️

 【註】(マンガは全6コマになります)

















◼︎妹・吉田潮は【負動産】をどうコラムに書いたのか⁉️
【湯湯婆】「ゆばーば」でも「タンポン」でもありません!あの「...の画像はこちら >>
【湯湯婆(ゆたんぽ)】

 母が湯たんぽをこよなく愛していた。子供の頃、夜になると灯油ストーブにかけていたやかんから湯を入れて、布団の中に仕込んでくれた。古き良きエコなアイテムを素敵な昭和の思い出として語れたらよいのだけれど、実は湯たんぽがあまり好きではなかった。湯たんぽがカバーできる領域は半径30㎝程度、しかもお湯を入れたては結構熱い。姉は(忘れているようだが)湯たんぽで、すねに低温火傷を負ったこともある。



 向田邦子も湯たんぽのお湯で毎朝顔を洗っていたとエッセイに書いていたが、ブリキの湯たんぽの湯はどうにも金臭い。だったら蛇口から新鮮な湯を出してくれ、と思っていた。母が使い古しのタオルで縫った湯たんぽ袋も、どうにもこうにもイケてなくて、なんかちょっとダサくて嫌だったのである。



 さらに子供の頃の私は冷え性がひどく、腹が冷えるとすぐに下痢する体質でもあった。正露丸を何百回飲んだことか。

大人になって知ったのだが、実際にはたいした成分は入っていなくて、赤チンキと同様「なんとなく」で大人が使い続けてきた大衆薬でもある。今は飲みやすい糖衣錠があるが、当時は鼻くそを練り固めたような真っ黒い粒で、遮光瓶からも漏れ出ずる強烈な匂いだった。救急箱内の空気を我が物顔で汚染するほど。あの匂いが「腹痛を治す」と子供に信じ込ませるのに、絶大な効果を発揮した。お世話になりました。



 湯たんぽに話を戻す。湯たんぽは確かに部分的には温かいが、もっと全身を包み込むように温めてほしい。そして小学生のとき、電気毛布という素晴らしい文明の利器と出会ったのである。シーツの下に敷いて、ダイヤルで温度を調節するデカイリモコンがついているヤツ。常に最強の7に設定して、ほっかほかの布団で寝るようになった。母は「こんなに熱くしてよく眠れるわね」と言っていた。たぶん娘の冷え性よりも一晩つけっぱなしの電気代が気になったのだと思う。



 大学卒業直前から始めた一人暮らしのときも、電気毛布は必需品だった。葛飾区の貨物列車の線路の真横にあるアパートでも、足立区の窓から電車内の人と目が合うほど至近距離のアパートでも、電気毛布は大活躍だった。夜遅くまで働いて、電気のついていない寒々しい家に帰っても、電気毛布さえあれば熟睡できた。



 あれ? そういえば、いつのまにか電気毛布から卒業していた。たぶん、結婚して自分以外の人と生活するようになってからだ。同じ部屋に二人で寝ると、温度は確実に上がる。たとえ心が離れていても部屋は温かくなるものだ。呼気と熱を発する有機体に感謝である。そして、この頃にもう一体、有機体が加わった。猫だった。布団に入ってきて私の股間で寝る猫は、電気毛布代わりになってくれた。冬限定で。

 



 その猫が昨年19歳で亡くなり、私も48歳になった。更年期の真っ最中で、手足の先がものすごく冷えるようになった。私の人生に新たに加わった有機体が二体いるのだが、布団の中には入ってこない。布団の上にはいるのだが、体のどこかを私にくっつけて寝る程度。私が彼らの湯たんぽ代わりになっているようだ。寝ているときはいいけれど、最近は原稿を書いているときにも私から暖を取ろうと目論んでいる。これが仕事の効率を格段に下げる。ガスファンヒーターをつけても、その温風による乾燥がイヤなようで、とにかく有機体同士の接触を求めてくる。濃厚接触である。人間からはちっとも求められない濃厚接触。



 そこで、はたと思い出す。姉の家にブリキの湯たんぽがあった。

あれ、猫らが暖を取るのにちょうどよいではないか! 姉の猫たちも炬燵の中に湯たんぽを放り込んでおけば、電気いらずでごっそりかたまっている。あれだけ小馬鹿にして敬遠していた湯たんぽを、令和の今こそ役立てる時が来たのだ! 電気もガスも使わず、長時間家を空けるときでも湯さえ入れておけば、猫らもホカホカで喜ぶに違いない。 



 姉に送ってもらった湯たんぽは昔使っていたモノとはちょっと違っていた。ブリキ製で昆虫の腹のような形状なのだが、底が平らになっている。しっかり地面にフィットするようになっていて驚いた。確かに、底がなかった時代はやや安定感に欠けていた。グラグラと揺れて、うっかり注ぎ口からお湯はみ出しちゃうこともあった。底が平らな令和版なら、猫が乗っても大丈夫! イナバの物置級の安心感とともに、期待も高まる。湯たんぽの上で香箱を組んだ写真が撮りたくてウズウズ。 



 金臭さは相変わらずだが、まあ、とにかく温かい。というか最初はものすごく熱い。10秒接触していると、動かしたくなる熱さである。

早速湯を入れて、猫がまどろむスポット、座布団の上やら布団の上やらに置いてみたのだが……。ニオイを嗅ぎに来ただけで終了。プイッとそっぽ向いて離れてしまった。



 おそらく湯たんぽがホカホカ温かいという嬉しい事実に気づいていないのだ。逆に、猫らが寝ているときにそっと近くに置いてみよう。置いたら逃げた……。



 そうか、湯たんぽ袋に、姉の家の猫の匂いがついているのだ。我が家の匂いがしみついたタオルで巻いて、置いてみる。近づきもしねえ……。





結局、今、私のスウェットの腹部に1匹が無理やり入り込み、寝息を立てて寝ている。私は膨らんだ腹部のまま、その重みで首と肩に負担をかけ、変な姿勢のまま原稿を書いている。そうだ、これはブリキの無機体である湯たんぽの呪いなのだ。

子供の時にダサイだの、領域が狭いだの、金臭いだのと馬鹿にした罰が、令和の今、当たっているのだ。湯たんぽという字は「湯湯婆」と書く。眉間にしわを寄せた母の顔も浮かんでくる。



 (連載コラム&漫画「期待しないでいいですか?」次回は来月中頃です)

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