『ミシュランガイド』に掲載されただけで、シェフの運命は変わる。そして世界中のシェフが星を獲得するために、日々邁進する強大なモチベーションになる。
■ミシュランが国外へ手を伸ばす!
やがて『ミシュランガイド』は、フランス以外のホテルやレストランにも手を伸ばすようになった。最初に『国外版』ができたのは56年の『イタリア版』。続いて、『ベネルクス版』。わかるよね、ベネルクス。顔じゃない。ベルギー、オランダ、ルクセンブルグが対象だった。そして、『スペイン版』と続いた。
でも、藤山に言わせれば、まあ、『ヨーロッパ版』なら「自動車による旅行者のためのガイドブック」という目的の制限内だ。フランスを中心に、モータリゼーションの発達に合わせて、隣となりの国、近隣の国まで足を伸ばしただけのことだから。
ところが、2004年、第6代総責任者になったジャン・リュック・ナレ(1961~)氏が赴任してから、『ミシュランガイド』は驚くべき変身を遂とげる。
まず、それまでのヨーロッパのみだった対象地域を一気に拡大し、05年には初めて『ニューヨーク・シティ版』を出した。その後、『ロサンゼルス版』、『サンフランシスコとベイエリア版』、『ラスベガス版』、『シカゴ版』など、アメリカに進出。
2007年には、『東京版』など、どんどん範囲を広げていったのである。
こうなると、ミシュラン兄弟の「モータリゼーションへの貢献」の範囲を超えている。藤山は、この時、『ミシュランガイド』からタイヤが脱輪したような気がした。
ちなみに、藤山は、この改革の張本人であり総責任者だったジャン・リュック・ナレ氏と会って、一般人として、きちんと話をしている。もちろん、サインもある。話の内容は、もちろん、なぜ世界戦略を企くわだてたのかだけでなく、結構、文化的な話だった覚えがある。
うれしかったのは、僕を単なる「食べ歩きライター」としてではなく、『ミシュランガイド』の読者の代表であり、美食家であることを、この時、ナレ氏はきちんと認めてくれたのである。
ついでに言えば、日本ミシュランの当時の社長で、いまの会長であるベルナール・デルマス(1954~)氏とも話をした。この方はフランス人だが、日本語がペラペラだから、藤山の意見も深く、よく聞いてくれた。
16年にもイベントで再会し、いろいろ質問した。
なお、この拡大路線を展開したジャン・リュック・ナレ氏は6年目の10年で退任。そのあとはアメリカ人のマイケル・エリス氏が総責任者になった。この人、ミシュランの2輪タイヤ販売本部門の副社長だったとか。藤山は、このエリス氏とは面識はない。
ダンロップの自転車の修理から生まれたミシュラン社、なんだか因縁を感じる。それにしても、フランスを代表する『ミシュランガイド』のいまの総責任者がアメリカ人だということはあまり知られていない。
■世界で『ミシュランガイド』はどのくらい出ているのか

第6代総責任者、ジャン・リュック・ナレ氏の拡大政策によって、『ミシュランガイド』は世界中に広がったと書いたが、実際には、いま、どこの地域で出されているのだろうか。いい機会だから、きちんと書いておこう。
まず、『国別版』から紹介しておく。
原点は、もちろん、『フランス版』。
それから、『メイン・シティズ・オブ・ヨーロッパ版』、あとは都市版で、『パリ版』、『ロンドン版』、『ニューヨーク版』、『シカゴ版』、『サンフランシスコ版』と2017年から加わった『ワシントンDC版』。
かつては、アメリカの都市版で『ラスベガス版』、『ロサンゼルス版』があったが、売り上げ不振だったようで、2回で終わってしまった。
日本版は、あとでまとめるとして、アジアに目を転じると、出版された順でいけば、『香港&マカオ版』、16年から『シンガポール版』、17年から『上海版』、『ソウル版』18年から『バンコク版』が出版予定。
南米では、15年から『リオデジャネイロ&サンパウロ版』が出ている。ブラジルに三ツ星はなく、二ツ星が1軒、サンパウロにあるだけである。
(次回へ続く)