コラムと漫画、しかもプロの姉妹が一つのテーマで決闘する異種格闘表現バトル。今回のお題は【風物詩(ふうぶつし)】。


 みなさんの風物詩は何ででしょうか?
 日常生活に慣習化された言葉への違和感をコラムニスト・吉田潮(妹)が、その素朴な感情を綴り、イラストレーター・地獄カレー(姉)が「漫画」で思いの丈で表現してみました(図1~9を順に見てからコラムをお読みください)。



◾️姉・地獄カレーは【風物詩】をどうマンガに描いたのか⁉️

 【註】(マンガは全9コマになります)



【マンガ「風物詩」:あるマタギの食卓】



















◼︎妹・吉田潮は【風物詩】をどうコラムに書いたのか⁉️【コラム「風物詩」】

 冬の風物詩。子供の頃は「耳がちぎれる」ことだった。耳の付け根というか、耳たぶの根元が乾燥で切れて、血が出る。そこで「ああ、本格的に冬が来たんだなぁ」と気づく。ひどいときはしもやけになった。塗りこむオロナイン軟膏の匂いも、私にとっては冬の風物詩だった。



 いつからか、耳はちぎれなくなった。面の皮が厚くなったせいかしら。その代わり「尻が割れる」ようになった。「もともと尻は割れているじゃないか」と思うかもしれない。尻の割れめというのは、常に布に包まれ、乾燥するどころか逆にムレるような部位だ。

冬の木枯らしに吹かれることは、まずない(当たり前だけど)。最も湿度が高く、過保護な部位であるにもかかわらず、冬が始まるとそこが乾燥して、ひび割れるようになったのだ。出血こそしないが、ガサついてヒリヒリする。水分も油分も驚異的に不足する40代に入ってから、「尻割れ」が冬の風物詩となった。



 風物詩なのだから、季節の変わりめを五感で愛でる旬の食べ物とか、心が洗われる風景の話をしたほうが情緒ある方向へもっていけるのに、パッと思いついたのが「尻割れ」。たぶん、私は自然を愛でるという能力が欠けている。四季があって、そのうつろいの豊かさを感じられるはずの日本にいながら、耳だの尻だのと体感が先で、情緒に勝ってしまう。昔のドラマだったら「お里が知れるわねぇ」と姑に陰口叩かれて、いびられる嫁の典型でもある。



 もっといえば、季節の行事も年々興味がなくなっている。玄関に正月のお飾りもつけないし、年賀状は数年前に卒業してしまった。大晦日に蕎麦、正月には餅とおせちを食べはしたものの、3日にはすでに飽きちゃって、焼き鳥と厚揚げと冷や奴と冷凍の枝豆を食べた。「通常運転の居酒屋かよ!」というメニューでもある。

当然、今年は初詣も行っていない。



 そういえば、鏡開きもしないし、七草粥も家で食べた記憶がない。節分の豆まきも一切しなくなったし、恵方巻も関東ではそもそも食べる習慣がない。もう何年もバレンタインデーにチョコレートを進呈していない。



 子供の頃や若い頃はこうした季節の行事が楽しくて仕方なかったし、それにかこつけては宴会を開いたり、消費に勤しんでいたのに。冬の風物詩ともいえる恒例行事をことごとく無視するようになってきた。風物詩がいつからかビジネスになってしまったからか。どこか斜に構え、「ビジネス臭と仕掛けのからくりが見える!」と思うようになってしまったのだ。ま、面倒臭がりというのも大きいのだけれど。



 これが「年をとる」ということなのか。いや、たぶん今は斜に構える時期なのだ。もう少し年齢を重ねて、時間にも心にも余裕ができたら、きっと原点回帰して、季節の行事を真面目にやりはじめると思う。

急に黒豆を煮たり、伊達巻を焼いたり。七草がどの野草なのか覚えてない割に、菜っ葉を入れた粥を炊いたりするに違いない。他にやることがないから。そして、さも丁寧な暮らしをしてきたかのように、うんちくを垂れ始めたりするかもしれない。



 ただし、風物詩は予期せぬところで失われることもある。昨年から続き、収まる気配のない新型コロナウイルスの流行。そもそも私にとって「マスク」は風物詩のひとつ。真冬(インフルエンザの流行)と、春先(花粉症)の象徴だったから。



 私自身は花粉症もなく、マスクとは無縁の人生だった。ところが、父が老人ホームに入ってからは冬場の面会時にマスクが必須となり、冬の風物詩としてエントリーしたばかり。



 それがコロナ禍によって、夏でも冬でも外出時には必ずつける「日常で当たり前」のモノになった。世界中でほぼほぼ全員がマスクをつけた光景は異様なのだが、もう慣れてしまった。

こんなことになるなんて、想像もしなかったけれど。



 今となってはマスクをしないで外に出るのがちょっと恥ずかしいとさえ思うほど。どうせマスクで隠れているから化粧もしないし、あごからヒゲが生えてても「ま、いっか」となる。深く刻まれたほうれい線も、マスクが隠してくれる。
逆に、カールおじさんのように口の周囲をぐるりと黒く塗って、その上にマスクをして外出。「ふふふ、誰も気づかないが、私は今カールおじさん…新宿伊勢丹で、スカして買い物をしている…」と一人遊びをしても面白いのではないか。あるいはマスクの絵を顔に描いて、「マスクを取ってもマスク」とか。マスクを外したらびっしりと般若心経が書いてあるとか。あら、「マスクの下は〇〇選手権」、悪くない。



 もうさ、2回も緊急事態宣言が発出されて、世の中が世知辛くなって、息苦しくなって、旅行にも行けなくて、友達とも会いづらくなってしまったのだから、なにか楽しい方向へ考えるしかない。



 ともあれ、マスクが早く「非日常の風物詩」に戻ることを願う。もっといえば、インフルエンザウイルスもコロナウイルスも花粉症も地球上から消滅して、マスクが「歴史的遺物」となるのが理想かな。



「その昔、人類はウイルスやら花粉に抵抗するためにマスクなるモノで鼻と口を覆うという、なんとも消極的な方策をとっていた」なんて伝えられるくらいになればいい。日本人のちょんまげが廃れたのと同じくらいの勢いで。どう見ても自然じゃないし、合理的じゃないでしょ、あの髪型は。



 尻割れから意外と壮大なところに着地してしまった。みなさんの冬の風物詩は何ですか? その風物詩は加齢によって変わるモノなのか、永久に変わらないモノなのか、いともたやすく概念が変わってしまうモノなのか。そこに、物語があるよね。



【ふうぶつし】冬の風物詩「耳たぶが乾燥してちぎれたとき」のオ...の画像はこちら >>

 (連載コラム&漫画「期待しないでいいですか?」次回は来月中頃です)

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