52年前の今日、1969年1月19日は全共闘が占拠する東大安田講堂が落城した日ニャン。ハンタイのサンセイは現状追認、いや過剰適応。
◼︎ヘルメット・旗竿・角材の闘争から24時間戦う「おいしい生活」へ
明治以来、日本のあらゆる権威の最高峰に東大があった。
東大イコール国家だった。
東大があって、国家公務員、司法制度、医学科学工学土木建築…学問の権威があった。東大に何人送り出せるかが、高校、中学、小学校、予備校の格を決めた。東大卒が何人いるかが、組織、企業の格を決めた。
東大最強の威光は社会の隅々まで及んでいた。その比類なき権威の物理的シンボルが、威圧的にデザインされた建物、安田講堂だった。
それが数百名の学生に占拠されていた。政府と大学執行部は大量の機動隊を導入、ヘリで上空からも攻撃を加え、2日で鎮圧した。
1969年1月19日、安田講堂は落城した。
数多くの重傷者を出しながら学生は一斉検挙され、ほとんどが起訴された。
この年の東大は入試を中止した。
時の政府と東大執行部はこれにて一件落着とした。執行部の教授も警察官僚も、その後みな例外なく出世を遂げた。
実刑を含む有罪判決を受けた数百人を除けば、その他大勢の全共闘世代~団塊の世代は髪を切って就職した。議論から逃げず、実力行使も許容する若者たちが、この年だけでも十数万人、社会人になった。
マルクス経済学をかじった全共闘世代が資本主義の尖兵を担っていった。時代は「モーレツ(60年代)からビューティフル(70年代)」に変わり始めるときだった。前世代の反動でノンポリ化したシラケ世代(別名ポパイ・JJ世代)、オタクに先鞭をつけた新人類世代が後に続き、日本は徐々に集団から個、公から私の時代に向かっていった。
「おいしい生活」を維持するために「24時間たたえますか」(80年代)と問う、すでに破綻の見える矛盾を抱えて、自己主張のための消費が年々増大した。日本は金融資本主義の狂乱に向かった。新卒の就職は売り手市場となり、全能感をもったバブル世代が出現した。ジャパン・アズ・ナンバーワンと、アメリカの学者におだてられて、ニッポン人は劣等感を隠して、高慢を身にまとった。
◼︎「僕は死にません!」でも、トラックは止まらなかったMountainlife/CC-BY-3.0)" />
そして、思い切り高転んだ。1991年3月、バブル景気は51か月(4年3か月)で公式に崩壊した。朝鮮特需を起点とする戦後復興、高度成長期から約40年続いたカーニバルは終わった。
大蔵省銀行局は通達一本で日本経済に大打撃を与え、官製不況を産み出した。金融機関は躊躇なく貸し剥がし、貸し渋りを始めた。バブルを煽ったメディアは一転、叩く方に回った。
いずれも古典的景気循環説をとり、ほとぼり冷めればまたよくなるとうそぶいた。またしても日本は、失敗の本質に向き合わなかった。金融政策の度重なる失敗、大企業経営判断の迷走、産業構造変化への対応の遅れが重なり、長引くデフレの中で、日本経済は終わりの見えない低迷に入った。
東大紛争以来、荒廃状態のまま約20年閉鎖されていた安田講堂がようやく改修され、皮肉にもバブル崩壊の春、そこで卒業式が再開された。老若男女が青春ラブコメ&アドベンチャーは永遠だと信じていた。「僕は死にません!あなたが好きだから」と叫んだとき、突っ切んできたトラックは止まらなかった。
◼︎団塊世代のツケを払い続ける「就職氷河期」の子どもたち
全共闘世代の子供たちである団塊ジュニアがリクルートスーツを着た時、就職氷河期が始まった。非正規雇用が激増した。ゆとり・さとり世代はまだ小さかった。生まれてきたら、すでに日本はじんわり停滞していた。全共闘運動は太平洋戦争ほど遠く、もう誰も議論はしなくなった。ウザイ言葉から離れた結果、思考の退化がヤバい。右見て左見て空気読む。オタクは世代をまたぎ、あらゆる種類に細分化された。すべてがニッチになって、メジャーが細っていった。失われた20年が過ぎるころ、またアメリカにそそのかされて、国はクールジャパンと言い始めた(2010年代)。日本はオタクと外国人観光客が経済を回すことになった。しかし、コンテンツとインバウンドをひっくるめても、GDPの3%にも届かなかった。
子供の数は年々減り続ける。オタクも、100万人を超える引きこもりも、高齢化していく。引きこもりの子が親に寄生したまま、ともに老いていく「生き地獄」——8050問題は9060問題に移行する。
要介護者を65歳以上の者が介護する老老介護は、ともに75歳を超える超老老介護に、そしてともに認知症を患う認認介護へと進む。
そして、コロナ禍で移動が制限され、外国人観光客は瞬時に消えた。非接触、分散、監視がキーワードとなった。宴会は禁止された。ライブや集会は問題外となった。夜の街と名指しされた地区は壊滅した。
もうリアルな出会いは現世では望めない。異世界でならば、主役になれる。ハーレムも持てる。
失われた30年はまもなく40年めに突入する。
失われ続ける「いま」は未来に向かって続く。
◼︎「分かり合えない」世代間闘争としての全共闘運動

全共闘運動は敗戦占領期から続く世代間闘争の延長だった。
総理大臣、警視総監は①明治生まれ、戦時中の官僚だった。
東大執行部の教授たちは②男子200万人が戦争で死んだ戦中派--大正生まれだった。
機動隊現場指揮官たちは③昭和一桁(別名小国民)~焼け跡闇市派世代~だった。
全共闘の学生と若い機動隊員たちは④戦後ベビーブームに生まれた団塊の世代だった。
分かり合えない4つの世代が参加したバトルロワイアルは、それが教育と学問の頂点で起きたからこそ、大事な問題を全世代に問うチャンスもあった。
東大紛争は占領軍が作った医学部インターン制度と無給医への反発から始まり、大学側による問答無用の学生処分によって紛争化した。
日大紛争は裏口入学、贈収賄、脱税、34億円の使途不明金という大学の汚職腐敗の告発だった。
イデオロギーではなく、まっとうな抗議行動から始まった。
「生きて虜囚の辱めを受けず」と言っておきながら、手のひらを返してアメリカに懐いた戦中世代を告発する闘争だった。アメリカはベトナムで大量殺戮の真っ最中だった。そのアメリカを唯々諾々と支える属国日本を恥じる、義憤と自己否定の表現だった。精神的支柱は純日本的で浪花節だった。愛国心と原罪意識と未熟な思想が混在していた。
翌年自決する三島由紀夫は「東大問題は、戦後20年の日本知識人の虚栄に満ちたふしだらで怠惰な精神に、決着をつけた出来事だ」と讃えた。二十歳前後の学生たちは戦争末期のごとく勇ましい言葉を使ったが、プラスチックのヘルメット、角材、竹竿に括り付けた旗という頼りない姿で、完全武装の機動隊に踏みつぶされた。
1989年の中国「天安門事件」、2020年の香港と本質は同じだった。
しかし、1969年の「安田講堂事件」は、1936年の「二・二六事件」の顛末のように、どこかで「謝れば」原隊復帰の「赦し」があったように、ゲバ棒から就活へと「自然」ななりゆきで忘却されていく。
それは戦前戦中を「転向」で生き延びた共産党員たちとも通じる。
マッカーサーに個人的なお願いごとの手紙を書いた国粋主義者たちとも通じる。
これが「日本のいいところ」だ。
そして日本は翌日から平常運航に復旧する。
本日もまた晴天なり。
何ごともなかったかのように身過ぎ世過ぎを続ける。
研修医の劣悪な環境は固定され今に至る。日大はカネにまつわる黒い噂が絶えない。アメリカはベトナム戦争に懲りず、ずっと世界中で戦争を続けている。
◼︎結局、日本は何も学べなかった・・・

しかし、権威の象徴を巡る攻防戦は、他国のケースと違わず、歴史のターニングポイントとなった。問題も事件も、なかったことにされた。
無責任が「お家芸」のメディアは踵を返して、口を拭った。それからうん十年、日本は徐々に思考を止め、深刻な問題を先送りし続けた。
対抗軸を喪失し、言語を劣化させた国は、バカが増える宿命にある。
ヘイトも排外主義も陰謀論も、湧くに任せるしかない。それが社会制度の整備を遅らせ、外交と国益を毀損する。ダメージの大きさは自覚されない。元号が変わっても、新しい時代は幕を開けない。残念ながら、オリンピックも来ない。
あれから52年が経ち、いまや東大にかつての輝きは無い。依然、国内偏差値ランキングトップの座にはある。平民ジャパンが大好きな格付けやクイズ番組のために、まだ東大はある。しかし、世界大学ランキングでは24位(2021年・英クアクアレリ・シモンズ調査)~36位(2021年・英誌タイムズハイアーエデュケーション調査)で、シンガポール、中国、香港の大学に及ばない。国家公務員総合職合格者は17%まで落ちた。総予算は2566億円(2019年)で、日大の2698(2016年)億に劣る。東大の弱体化で、その下にぶら下がるすべての学校のレベルも下がる。日本全体が下がる。
ローカル大学に、世界中から優秀な学生が集まることはない。
国家公務員総合職合格者は17%まで落ちた。総予算は2566億円(2019年)で、日大の2698(2016年)億に劣る。東大の弱体化で、その下にぶら下がるすべての学校のレベルも下がる。日本全体が下がる。
結局、日本は何も学んでいない。
ごまかしながら、ここまで来た。敗戦も、全共闘運動も、一個の事件、いっときの社会現象として片づけ、忘れた報いだ。わだつみの声が聞かれなかったように、学生たちの問いかけもかき消された。「本当は私は反対だったが、場の空気が」「仮に何か言っても無駄だった」「応援しています、陰ながら」「みんなが言っているから、私はそうは思わないけど」こういう陰湿な調子のよさは、今に始まったとではない。
大本営参謀たちの無責任と処世術、アメリカの下僕となって私欲を満たす戦後指導者の品性が、姿かたちを変えるタチの悪いウイルスのごとく、あちこちで感染拡大している。
最長政権をまんまと引き継いだ現政権は、コロナで適応障害を露呈しながら、迷走を続ける。責任の所在をあいまいにしたまま、場当たり的な政策を小出しにする。兵站無視、戦力逐次投入、精神論重視で悪名高き、ガダルカナル、インパール作戦だ。
医療においては、これから大規模なトリアージ(優先順位付け、またの名を、命の選別)が始まる。信用に値しないが、NHKの世論調査では86%の日本人が「個人の自由の制限」にOKを出している。気は確かか、平民ジャパン。
◼︎コドモのまま年をとっていくオトナが蔓延する国
「ふざけるな」と言える大人もいない。
まして、異議申し立てをする若者はとっくに絶滅した。
コロナ禍で学費が払えない学生が増えている。
非正規とバイトによる若年労働力の奴隷化、調整弁化がとまらない。
いつでも切り捨てられる。社会保険もない。
そんな労働力としてすら、質の面で、コスト効率面で、165万人を超える外国人労働者に対して劣後している。
もう誰も若者のことなど見向きもしなくなった。
たとえ、東大を出ていようとも。まして、「女子供、年寄り」など、誰がかまっていられようか…。そういう国を「美しい国」と呼んで、自己陶酔していたのはどこの誰だったか。それを指摘する者も、もういない。
めちゃくちゃになっている宗主国・アメリカも、虎視眈々の仮想敵国&お得意様・中国も、いつ何をやりだすか。益々わからないこの世界で、方向感の無い日本はロストし続ける。団塊の世代の挫折と敗北と転向は、子、孫の代にまで祟っている。
安田講堂を占拠した学生たちも、三島と行動した楯の会の若者たちも「唐獅子牡丹」を好んで歌ったという。どちらもまだ、義理が重たい日本に生きていた。
全共闘の運動のさなか、1968年の東大駒場祭ポスター(制作:故・橋本治)はこう言った。
"とめてくれるなおっかさん
背中のいちょうが泣いている
男東大どこへいく"
そんな彼らも高齢者となった。現役の東大生、日大生は、おとなしくなった。安田講堂落城まで、社会にはまだ、若者の反乱を許容する度量があった。未熟さを見守るおおらかさがあった。叫んだり戦ったりできるだけ、彼らはまだマシだった。
いまはもう、おとなが止めるべき、威勢のいい若者はいなくなった。
コドモのまま年をとっていくオトナが蔓延する国では、若者の抗議行動は夢のまた夢だ。これをニッポンの末期、最終段階と呼んでいいのか。
いや、闇はまだまだ、深まる気配だ。まだ、底は見えていない。
安田講堂は落城したまま、静まり返った本郷に、佇んでいる◼︎