2月9日放送の「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ系)でマッスル北村が取り上げられた。東大中退後、ボディビルダーになり、世界4位まで登りつめた男だ。
その肉体改造に対する執念はすさまじいものだった。筋肉をつけるため、胃薬を飲みながら生の鶏肉をペーストにして流し込むなどして標準の5倍ものカロリーを摂取。かと思えば、飴ひとつをも拒む絶食によって脂肪を削ぎ落とす。最終的には低血糖からの心不全により、39歳で他界してしまった。
視聴者からは「天才と馬鹿は紙一重」とか「ただのやばい人とは思ってほしくない」といったさまざまな反応が。北村は生前、ボディビルについて、
「今ある自分から違う自分にワープできる。自分で自分をデザインしていくことができるんですね」(別冊宝島162 人体改造!)
と語っていたが、命懸けのワープを繰り返すうち、失敗してしまったわけだ。
その生き方は、拒食や過食嘔吐などに明け暮れる痩せ姫の葛藤にもどこか通じるだろう。手法には違いもあるものの、過激な行動によって理想の体型や精神を模索。そのあげく、命を縮める人も少なくない。
38年前の2月には、世界的なスターがその葛藤の果てに亡くなった。カーペンターズのボーカル、カレン・カーペンターだ。
米国のショービジネス界はもとより、日本でも人気を博した彼女は「太っちょの妹」と新聞で揶揄されたことをきっかけにダイエットを開始。それがエスカレートして、拒食や過活動、下剤濫用へと突き進んだ。
その背景には、母親が兄・リチャードを溺愛して、妹のカレンには派手な主張より地味な献身を求めていたこと、カレン自身も富や名声を欲していたわけではなかったが、恋愛や結婚による平凡な自己実現がうまくできなかったことなどが影響している。いわば、望まれる生き方と望む生き方、さらには彼女ができる生き方とのあいだに大きなズレがあったのだ。そのズレを埋めようとして食と体型を支配しようとした、とも考えられる。その無理がたたり、32歳での死へとつながった。
ちなみに、彼女の治療にもあたった心理療法士、スティーブン・レベンクロンは甲状腺治療薬の大量服用が命取りになったのではと指摘している。甲状腺が正常であるにもかかわらず、とにかく痩せたかった彼女は代謝を促進させるためにこの薬に依存していたのである。
「彼らは自分の身にいろいろと恐ろしいことをするものだが、これはまったく例がありません」(カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語)
と、驚いたレベンクロンは服用をやめさせたが、すでに手遅れだったのではと言う。この薬と下剤の「相互作用」が「不整脈」を起こさせ、心不全による最期がもたらされたというのが彼の見方だ。
なお、カレンの死はタイミングも象徴的だった。米国では、1978年にレベンクロンが書いた小説「鏡の中の少女」がベストセラーになり、彼女が亡くなる前年の82年には歌手のチェリー・ブーンによる「チェリーは食べるのが怖い」が出版されていて、拒食や過食嘔吐への関心が高まっていたからだ。
一方、日本でも関心は高まっており、折りしも「週刊明星」が2週連続で「ある日少女は何も食べなくなった!」と題した特集を組んでいた。前編が出たあとで訃報が届いたことから、後編には「カレン・カーペンターの死も『拒食症』が原因、あなたは大丈夫!?」というサブタイトルがつけられることとなる。
また、本邦初の一般向け解説書「神経性食欲不振症」の製作も進行中だった。編者の医師・鈴木裕也はあとがきにおいて、カレンの死に触れ「この機会に本症に対する、より正しい理解が浸透することが強く望まれる」と記している。
ちなみに、この12年後、筆者は鈴木医師らの助力を得て「ドキュメント摂食障害」(著者名は加藤秀樹)を上梓した。それから半年後には、宮沢りえの「激痩せ」が騒がれ、ワイドショーにコメントを求められたりしたものだ。
こうしてみると、痩せ姫の歴史においては、カレン以前・以後とか、りえ以前・以後といった区分も可能だろう。有名人による影響はそれだけ大きく、世間のイメージを左右する。
もっとも、カレンのように命まで落とすことは珍しい。人生における一時的なエピソードにとどまったケースのほうが、多いようにも思われる。有名人の場合、芸能やスポーツといったものでそれなりに成果を上げていることが多いため、食や体型への依存で支障が生じた際も、切り替えが比較的しやすいのだろう。
最近では、NiziU(ニジュー)のミイヒの激痩せと休業、復帰が話題になった。ほかにも、長濱ねるや壇蜜、浜辺美波、尾形春水、さらには愛子内親王といった人たちが痩せたことで注目されたが、有名人のこうしたニュースにはかつてほどの驚きがなくなっている。カレンやりえに匹敵する衝撃はしばらくもたらされないのではないか。
それでも、数十年間のなかで大きく変わることもある。たとえば、吐き方だ。ここ数年、チューブを使った吐き方が目立つようになってきた。ホームセンターで売られているようなホースなどを喉から胃に入れて、食べたものを排出する方法である。
そういえば、前出の小説「鏡の中の少女」にはヒロインが入院仲間についてこんな話を聞かされる場面がある。
「棒みたいな、なにかそんなものの束を全部盗んじまったらしいよ。看護婦は酸素用のカテーテルとか言ってた。マーナは、それを喉につっこんで吐いていたんだって。指じゃあ、もう吐けなくなったらしいよ」
この邦訳が文庫本で出版されたのは87年で、筆者はすぐに読んだが、当時は「指吐き」の延長だと理解していた。
しかし、これはチューブ吐きである可能性もある。医療用カテーテルも、ホースと同じように使えるからだ。過食嘔吐に関して、米国はひと足もふた足も先に増加していたから、この吐き方が広まるのも早かったのかもしれない。
なお、筆者が「痩せ姫」という言葉を作ったのは今から11年前の2月だが、当時と比べても、この吐き方はポピュラーになった。ハイリスクハイリターンで、一度ハマると抜け出しにくく、後悔する人も多いという意味で、禁断の吐き方であるにもかかわらず、ハードルが低くなってきたのだ。
それこそ、SNS上でコツを教えたり、そのおかげで成功できた人がお礼のプレゼントをしたり、という光景も目撃したりする。もっとも、そういうことをよしとしない人もいて、最近コツを教えていた人は謝罪に追い込まれていたが、つまりはそれほど、とにかく痩せたいという人にとって魅惑的な方法なのだろう。
前出の北村やカレンのように、自分を変えたい、支配したいという欲求が強すぎると、レベンクロンのいう「いろいろと恐ろしいこと」への抵抗感がうすれ、ハードルが下がる。その分、リスクは高まって、命を落としたり、人生を台無しにしてしまったような絶望に陥ったりもするわけだ。
もっとも、価値観はさまざまだし、その人にはその人の生き方がある。カレンの死から38年、その末裔たる痩せ姫たちが悔いのない日々を送れるよう願うほかない。
(宝泉薫 作家・芸能評論家)