「なぜいま小林秀雄を読むべきなのか?」 新刊『小林秀雄の政治学』(文春新書)を上梓した評論家・中野剛志氏は次のように語っている。「未知の事態にどのように対応すればいいのか」を考えるとき、小林はまるで切籠細工のようにあらゆる方面から対象を照らそうとした。

それは新型コロナにどう向き合うかについての「考えるヒント」にもなるだろう。『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走するのか』(講談社+α新書)の著書もあり、「イデオロギーの暴力」「言葉の怖さ」について問題意識を共有する作家・適菜収氏と語りあう。対談第2回。









■小林秀雄の言葉の裏表に政治学と文学があった



中野:現実を見たとき、切籠細工のように言葉を尽くす手間を省いて、ラベルを貼ると分かった気になる。これこそが小林秀雄が言ってる「意匠」ってやつですね。「様々なる意匠」って、あれ「様々なるイデオロギー」っていうことなんですよ。どうしてイデオロギーっていうものに人間は左右されやすいのか、また左右されるとどうして人間性を失うのか。それは全部言葉の難しさに起因しているんですね。このことを小林は繰り返し語っている。イデオロギーは、平板な言葉で人間を集団的に支配する。集団を支配するイデオロギーを論じるいうことは、それは政治学です。



 小林秀雄の言葉の裏表に、政治学と文学があった。

小林の文学論の裏面にある政治学、これがずっと見落とされてたと思うんです。



 実際、彼自身が「社会科学者であるはずのマルクスと、文学者であるドストエフスキーが、結局同じことを言ってる」、「アプローチは違うけどふたりは同じことを言ってるんだ」というようなことを言っている。小林は世間では文学者ってことになってますけれども、じつはその裏側に政治学がある。そのことが見落とされてきたと思うんです。そして政治学というものは、丸山眞男みたいな知識人に代表されていたという感じがするんですね。





適菜:ラベルの問題は私が「B層シリーズ」で一貫して述べてきたことです。たとえばスーパーマーケットの刺身に「産地直送」「新鮮」というラベルが貼ってあれば、新鮮だと思ってしまう。魚をよく見ないわけです。ベルグソンは『笑い』で「ほとんどの場合、事物の上に貼り付けられたラベルを見ているだけである。そうした傾向は必要から生ずるのだが、しかし言語の影響がそれに拍車をかける」と述べています。語は事物のきわめて一般的な機能とごくありふれた側面しか記さず、事物とわたしたちとのあいだに割って入り、その語自体を生み出した必要の後ろにまだ隠されていない事物の形をさえ、わたしたちの眼から覆い隠してしまうと。



 小林が言っていることも同じです。

イデオロギーで判断するのではなくて、現象の具体性を見ろということです。この対談の第一回で「リバティー」と「フリーダム」の話が出ましたが、現実に即していない抽象的概念、イデオロギーは暴走します。ハンナ・アーレントは、エドマンド・バークがフランス革命の人権宣言を否定したのは正しかったと言っていますね。人間の普遍的な権利なんて無意味な抽象だと。



 人類は二度の大戦、ナチスの蛮行を経験してきた。そして、イギリス人の権利とかドイツ人の権利とか個別具体的な権利しか残らなかったことを知ったと。権利とは継承された遺産であり、国民の権利という形でしか成り立たないと。







中野:はい。小林秀雄とハンナ・アーレントには共通点がある。何が共通点かというとアーレントは、「一回きり」「その人にしかない」「その一瞬にしかない」といったことを重視していましたね。小林もそのことをずっと言ってる。アーレントは集団が群れて動く大衆社会が嫌いでした。

彼女が特に嫌ってたのが統計学ですね。社会科学上の統計学というのが成り立ち得るのは、人間一人一人が固有の存在じゃなくて横並びで同じ方向に行くというような大衆現象があるからだとアーレントは言うのです。要するに、集団主義的な大衆社会論、もっとはっきり言うと全体主義みたいな話と、統計学的な分析手法というものは、非常に親和性が高いというのです。そう言えば、アーレントだ何だと哲学者ぶって大衆社会批判や全体主義批判をしながら、統計学的な手法を振り回している変な学者がいますが、おそらく彼は何も分かっていないのでしょう。もっとも、その人は、その統計ですらインチキして大衆を煽動しようとしているから、論外ですけれどね。





適菜:今の日本自体が、統計学とプロパガンダで動くようになってしまいましたね。「近代科学の本質は計量を目指すが、精神の本質は計量を許さぬところにある」。小林はベルグソンについて、「彼の思想の根幹は、哲学界からはみ出して広く一般の人心を動かした所のものにある、即ち、平たく言えば、科学思想によって危機に瀕した人格の尊厳を哲学的に救助したというところにあるのであります。人間の内面性の擁護、観察によって外部に捕えた真理を、内観によって、生きる緊張の裡に奪回するという処にあった」(「表現について」)と言っていますが、小林の仕事もまさにこれです。





中野:そういう政治状況の問題を小林秀雄が戦後しきりと『考えるヒント』などで書いている。小林が『考えるヒント』で、ヒトラーの『我が闘争』を読み直してみたり、あるいは、プラトンだとか、『プルターク英雄伝』だとか、ペリクレスだとか、しきりに古代ギリシャの政治学の古典とか歴史に戻ったりする時期があるのですね。それが、安保闘争の頃と一致してるんですよ。

だから、小林は政治に関心はあっただろうし、実際、政治について深く考察しているんですよ。



 適菜さんの『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』でも強調されてましたけど、小林は『大衆の反逆』を書いたオルテガ・イ・ガゼットに匹敵するような大衆社会論をやってますよね。





適菜:そうです。小林は「ヒットラーと悪魔」の中で、「人間は侮蔑されたら怒るものだ、などと考えているのは浅薄な心理学に過ぎぬ。その点、個人の心理も群集の心理も変わりはしない。本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。支配されたがっている」と喝破しました。全体主義は一枚岩のイデオロギーではなく、そこには構造がない。煽動する側と煽動される側が一体となり拡大していく大衆運動です。ヒトラーは人性の根本は獣性にあると考えました。ヒトラーはその確信のもとに、大衆の広大な無意識界を捕えて、感情に火をつけたと小林は指摘していますね。













■人間は政治的動物である



中野:小林秀雄がしきりにその頃に書いていたのが、人間の「獣性」についてです。

アリストテレス以来、人間は「政治的動物」と言われますが、小林はむしろ「動物」の方を強調している。人間というものは、集団を構成して集団行動をとらないと生きていけない。しかしながら、集団行動をとるときにいかに獣的なものになってしまうか、つまり人間性を失ってしまうかということをしきりに書いているんです。だから小林は政治から目をそむけたということではなくて、人間はそういう獣的なものに陥りがちなんだけれども、その一方で、政治ってものをやらないと生きていけない。そこでどうするかということについて論じていたのです。それは、言葉では表しにくいことだけれど、それを書こうとしてるから、小林の文章は難しく見えるのでしょう。



 繰り返すと、人間は集団的に行動しなきゃいけないんだけれども、放っておくとほんとに動物的になって人間性を失ってしまう。だからどこで踏みとどまるかということ。そういう一番言いにくいところを小林は書いている。言い方を変えると、ストライクゾーンぎりぎりを狙ってボールを放っている。その投球術はすごく難しい。そのボール・コントロールの妙こそが、小林のすごいところなんですね。





適菜:「獣性」というのは大事なキーワードですが、簡単に言えば社会学の定義でいう「大衆」ですね。それは近代の負の側面とも言えるわけで、近代の内部でそれを批判するのは「投球術」「フォーム」といったものが必要になると思います。





中野:小林がマキャベリとかに関心を示すのもその一点なんです。政治というものをやらなきゃいけない、集団というものをマネージしなきゃいけないんだけれども、集団の権力に呑まれて人間性を失わないようにするにはどうしたらいいかという難しさについて、小林はずっと書いていているんです。面白いことにそういう難しいことを考えてきた人物についてばかり書いている。プラトンとかペリクレスとかマキャベリとか。



 もっとも、そういう昔の政治学の偉人たちの書き残したものは、現代のわれわれからすると、凡庸というか退屈に見えるわけですよ。



 ある意味、小林も、言われてみればそんなことは分かってるよ、って言いたくなるような事をああでもないこうでもないって書いているのかもしれない。要するに概念とかで綺麗に、鮮やかに書くことをしていない。ひと昔前の、まあ最近でもいるけど、若いインテリがやるような、スマートな概念で世の中を分からせるような鮮やかさが小林にはないわけですよ。例えばマキャベリのような、煮ても焼いても食えないような難しい人物のことを書いたりしている。マキャベリを退屈だと思っていたが、退屈だと思うことが自体、政治観が歪んでいるのだ。そのことに小林自身が気づいて反省してるんですよね。



 戦後、小林は福沢諭吉を極めて高く評価してたんだけど、若い頃に福沢諭吉の『福翁自伝』を読んだ際は、「面白い人だ。非常に面白いけれども、『福翁自伝』の他は読みたいという気にはならなかった」みたいなことを言っていた。小林自身が成熟したり、あるいは読み直したりすることによって、「退屈だと思ってたら、こんな深いこと言ってたのか」と後から気づいて感動してるんですよね。そういうことをじつに素直に書いている。彼の全集を前から読んでいくと、それが分かって、非常に面白かった。







適菜:マキャベリのその本なんでしたっけ? たしか小林が中国かどこかに旅行するときに持っていったんですよね。





中野:『ローマ史論(ディスコルシ)』です。読んでいて「これは面白い」と率直に感動している。『ローマ史論』とか、あるいはギリシャ古典とかを、退屈だとか、つまらないとか思ってしまうことそれ自体がすでに近代に毒されているというわけです。



「小林秀雄は何を言っているのかわからない」とか、「何が面白いのかわからない」と言われているんだけれど、よく読むと、こうとしか言いようのない大事なことを書いているんです。



 世間の人は、重要なことは、なんか非常に鮮やかで面白いことだと思っているのかもしれないんだけれど、実は、大事なことは「そんなことは分かっている」と言うべきようなことの中に潜んでいるものです。しかし、それを「そんなことは分かってる」と言ったらおしまいです。大事なことを繰り返されたら、「そんなことは分かってる」などとせせら笑う利口者が一番だめですね。









■政治家はなぜ「顔」で判断すべきなのか?



適菜:小林は、「政治とは技術である」と言ったわけですね。政治とは動いているものであり、イデオロギーで判断したり、計算できるようなものではないと。計算なら計算機でできる。でも、「常識」の働きが尊いのは、刻々と変化する対象に即して動くからだと小林は言っています。マキャベリもそれに近いことを語っていると思うんです。小林はマキャベリが空理空論を嫌ったのは、彼の深い人間理解が、政治を理論化・空想化させなかったと指摘していますね。



 先日まで安倍晋三というホラ吹きが総理大臣をやっていましたが、一応自分で書いたということになっている『新しい国へ』という本の中で、「わたしが政治家を志したのは、ほかでもない、わたしがこうありたいと願う国をつくるためにこの道を選んだのだ」と述べています。これは保守的な政治理解の対極にある発想ですね。マイケル・オークショットは端的に「政治とは己の夢をかなえる手段ではない」と言いましたが、小林も理想は一番スローガンに堕し易い性質のものだと見抜いていました。





中野:そうです。







適菜:『小林秀雄の警告』でも書いたのですが、小林は人を「顔」で判断しました。近代的思考では、人を外面で判断するのは間違っていて、内面を見ろと言います。しかし、外面で人を判断できるのは、人類の歴史的経験、社会の共通認識から言っても否定することはできないでしょう。子供向けの漫画の悪役は悪そうな顔に描かれています。最先端の顔分析システムでもテロリストなどの顔の特徴を分析できることがわかっています。小林は「人間はおもてにみえるとおりのもの」だと言いました。「自分よりえらく見せようとしたって、利口そうに見せようとしたって、あるいは、もっと深く考えているんだって、いくら口で言ったって駄目なんだ。持っているものだけ、考えているだけのものがそのまま表に、顔つきにも文章にも表れるんだよ」(高見沢潤子『兄 小林秀雄との対話』)と。



 政治家も顔で判断したほうがいい。こう言うと近代的思考に凝り固まった人の反発を買うかもしれません。「それなら美男美女が政治家をやればいいのか」とか「お前の顔はどうなんだ」とか。しかし、言葉はごまかすことはできるが顔はごまかせない。顔に表象されているものを見ろという話です。立ち居振る舞いや言葉の言い回しもそうです。





中野:ちょび髭とか生やして、まなじり吊り上げて怒鳴っているような顔には気をつけましょうとかですか(笑)。





適菜:一言で言うと品の問題だと思います。下品な人間はだめだということですね。新渡戸稲造は、人の性格は、その人間がなにも考えていないときに表れると言っています。偉そうにしてる奴は大勢いるが、そいつが礼服を着てきちんとしているときではなくて、浴衣姿だったり、ステッキを持って散歩をしているとき、ひょっと物を食っているときに、「あれはあんな人間である」とわかると。スローガンや高尚なことなんて誰でも言えるわけです。しかし、品位は隠すことができない。安倍が握り箸と迎え舌で飯を食っている姿を見れば、「あれはあんな人間である」とわかるはずなんですね。アメリカの犬だから犬食いなのだと。 小林の政治観もそうです。小林は「面(つら)」という言葉をよく使ったのですが、人を批判するときには「あいつは面がよくない」と。逆に褒めるときも、顔から褒めるんです。福田恆存という人は痩せた、鳥みたいな人でね、いい人相をしている。良心を持った鳥のような感じだと。





中野:もうそれを読んで以来、福田恆存の顔がほんと鳥にしか見えなくなっちゃった(笑)。





適菜:顔より言葉を重視するのが近代です。だから意識的に小林は言葉より顔を重視したわけです。近代により排除されたものがそこに表象していると。





中野:確かに。私も、丸山眞男の写真を見た時に、「ああ、なるほど。こういうことを書きそうな顔だ」と思いましたね。



 それはね、政治に関係しているし、近代的な考え方が間違っているという話と同じなんです。政治というのは技術である。政治と文学はもちろん大いに違うんだけれども、ただ、この技術とか手段こそが大事なんだっていうところは共通している。よく「手段とかではなくて、どんな社会にしたいかを語ってくれ」みたいなことを皆言うわけですが、そういう発想自体が間違っている。私は「小林秀雄の思想はプラグマティズム(実用主義)」だと書いたんです。プラグマティズムは、「目的があって、その目的を達するために手段があるんだ」という考え方自体に懐疑的な思想です。。



 例えば、理論というものは、実は、実際に実践することで世間や世の中をどういうものかを知るための手段なのです。知識とか理論とかが先に頭にあって、それを実現するために、手足としての政策などの手段があるということではないんです。手足を動かさないと世間がどうなっているのかという知識も理論も得られないというわけです。この場合、理論は、目的ではなく手段になっている。それがプラグマティズムの考え方なんです。小林はその考え方に非常に近い。





適菜:目的という発想もイデオロギーです。理性的に論理的に合理的に思考を続ければ正解にたどり着くのなら、その目的に向かって運動を始めればいいと考える。これが基本的な左翼の発想です。一方小林はイデオロギーは現実世界に触れていないと言うわけです。「この思想の材料となっている極めて不充分な抽象、民族だとか国家だとか階級だとかいう概念が、どんなに自ら自明性を広告しようと或は人々がこの広告にひっかかろうと、人間は嘗てそんなものを一度も確実に見た事はないという事実の方が遥かに自明である」(「Xへの手紙」)と。マキャベリについても「人間のさまざまな生態に準じて政治のさまざまな方法を説くのを読んでいると、政治とは彼にとって、殆ど生理学的なものだったというふうに見える。政治はイデオロギイではない。ある理論による設計でも組織でもない。臨機応変の判断であり、空想を交えぬ職人の自在な確実な智慧である」(「マキアヴェリについて」)。小林が言いたいのは、マキャベリが平和も自由も空想のうちにしかないことを知りながら、ニヒリズムに陥ることもなく、現実に立ち向かう精神を持っていたということですね。





中野:小林は政治は国民生活の管理術であるべきだとも言ってますけれど、これを今言うと、政治を卑屈に見てるような印象に見られてしまう。でもそれは全然違っていて、国民生活の手段とか管理術ということがいかに重要かということを小林は言っている。



 この点に関して、小林が感動してるのは、江戸の儒学です。孔子を正確に理解しようとした伊藤仁斎とか荻生徂徠の古学、特に徂徠は「孔子様は、政治は、術だと言ってるんだ」というようなことをしきりと強調している。「政治は、しょせんは手段に過ぎない」というような言い方ではない。「政治は手段であるということを極めることがどれだけ大事か」ということ、これをしきりに小林は言っている。でも多分それも誤解されていて、政治を小ばかにしてるんだとか思われたり、あるいは、持って回ったひねったレトリックみたいに思われたりしているのかもしれない。しかし、これは文字通り素直に受けとるべきです。「政治は手段である、技術である」ということに小林は大変感銘を受けているんだ、ということですね。



 その技術が文学でいうと「文体」にあたる。文体はいいけれども中身が伴ってないとか、そういうことはあり得ない。文体が悪いということは中身が悪いということです。先ほどの顔の話もそうなんですけど、形がすべてだ、ということです。スタイルとサブスタンスとは、きれいに分けられないのです。



 文体というものが大事だということを、小林は若い頃からずっと書いているんですね。ではなぜこの文体っていうものが大事なのか。「様々なる意匠」に戻ってくるんですけど、結局、言葉というものがそもそもどういうものか、ということと密接不可分だということです。





適菜:小林は文学者にとってもっとも本質的なことは「トーンをこしらえること」だと言いました。チェーホフはどこを切り取ってもチェーホフですし、文体はだめだけど、一流の文学というのも考えにくい。音楽もそうですよね。結局は、フォーム、トーン、文体といったものを軽視してきたのが近代的思考なのです。









■「顔」と同じく「文体」もその人間を誤魔化せない



中野:俗っぽい話になりますけれども、自分が40過ぎぐらいからかな、それ以前からかもしれませんが、文体が非常に気になるようになりました。





適菜:それはよくわかります。イライラしてくる文章ってありますね。





中野:そう、癇に障るというのかな。最近、私どんどん文体過敏になっているんです。若い頃からその気はあったんですけど、例えば、朝日新聞の論説とかにいつも出てくるセリフで、「だがちょっと待って欲しい」って、あれにイラっとくる。「いかがだろうか」とかね。一番嫌いなのは「◎◎と思うのは私だけだろうか」という言い回し。私だけかどうかなんか関係ないだろう。正しいか間違ってるかの話をしている時に、お前だけかどうかなんか知ったことか、と。そういうインテリぶった書き方をされるとカチンとくる。あるいは、「◎◎と思うがどうだろうか」とかね、共感を求めたり、こっちに聞いてくるような言い回しが大嫌いですね。最近だと、「◎◎である疑義が濃厚である」を連発する科学者ぶった偉そうな文章。見るたびに吐きそうになる。





適菜:ははは。一般論ですが、疑似科学は反科学ではなくて、科学に寄り添い寄生するんです。





中野:ちょっと話がそれるけど、私の場合、そういう文体過敏になっちゃった元々の原因は、佐藤健志さんのお父上の教育のせいかもしれない。つまり恩師の佐藤誠三郎先生が、そういう誤魔化したようなもったいぶった書き方を嫌って、学生に絶対そういう書き方をするなと厳しく指導していたんですよ。



 それもあるんですけども、この「いかがだろうか」とか「◎◎と思うのは私だけだろうか」とか「だがちょっと待って欲しい」といった書き方って、良心的なふりをしながら、批判されるリスクを回避しつつ、うまく人を丸め込もうとする嫌らしい意図を持ってるのが見え見えなんです。まあこれは私の好みの問題と言われちゃうとそうかもしれないけど、私は率直に書く人が好きだし、自分も率直に書くことを心がけていますね。





適菜:中野さんの文章はそうですね。昔、中野さんに言ったかもしれないけど、デュルケームの文体に似ている。もちろんフランス語と日本語をそのまま比較できませんが、具体的な事例で畳みかける感じが似てますよね。今回の『小林秀雄の政治学』も、そんな感じがしました。





中野:はい。畳みかけばかりやってます。これでもか、これでもか、と。





適菜:これまで小林について書かれた膨大な本の中では、中野さんの本は異質ですね。「文学」のにおい漂う必要以上に気負った本は多いけど、中野さんの本はストレート。





中野:おっしゃる通りです。私自身は、小林ほど切籠細工のように書くことができないので、小林はすごいなと思ってしまった。小林は、言葉をすごく恐ろしいものだと思っているわけです。ちょっと油断すると、言葉にこっちが操られて、分かった気になったり、自分を大きく見せようとしたり。言葉って、それができてしまうから。要するに自分に嘘がつけるから。言葉のそういうところが怖い。それを防ぐために私がやっているのは、とにかく率直に書くことです。



 率直に書くってことを心がけていると、言葉に操られてぐだぐだだと分かってないことを分かったように書いてしまったり、人からよく見られようとする邪念にとらわれて自分を偽ったりとか、そういうことを避けられるわけです。





適菜:もったいぶった書き方はバカに見えますからね。そういうバカに限って、「小林秀雄の後継者」を自称していたり。





中野:そうなんです。恐ろしいことに、もったいぶって書くと、逆にバカに見えるんです。だけど、これも難しいんですけど、率直に書いてるつもりが、他人からは攻撃的に見えたり、自信たっぷりで傲慢に見えたりするらしいんですよ。これはね、しょうがないんですけども、やっぱりどうしてもそうなってしまう。その点で言うと、小林もバシッと言い切りますよね。小林も率直といえば率直で、非常に鋭い。ただ、やっぱり小林は言葉の達人で練ってるから、切籠細工で細かく切っているんだけれど。しかし、切ってる断面は非常に率直にまっすぐ切っていて、しかも、あちこちから多面的に切るから上手い。私はそこまでの語彙力がないですね。やっぱり小林は凄いなと思うんです。



 繰り返しになりますけど、率直だけど細かく切ってる話と、もったいぶったレトリックでインテリぶってぐだぐだ書くものとは根本的に違う。





適菜:先ほども言いましたが、一部はだめだけど、全体がいいというのは考えにくいですよね。一部はへたくそなのに全体はいい絵とか、一部はくだらないけど全体としてはいい曲とか。これは批評や評論にも言えるのではないとかと思います。 最初の三行を読んで、だめなやつはだめみたいなところはやはりありますね。





中野:ありますね。だからね、恐ろしい話です。見た目で誤魔化せないということなのですよ。



 恐ろしいことに、以前は電話とかで済ましてたのに、今では、ネット社会になって、ちょっとした連絡でも、メールとかテキストでやり取りするわけですよ。書き言葉がすごく優位になっていますよね。以前よりも書き言葉中心の文化になっている。すると、嫌な話ですが、つまんないメールのやり取りとかでも、イラ立っちゃうんですよね。文体の裏にある人間性に気づいてしまうから。文体の嫌らしさにイラついて、メールを全部読めないこともよくある。絵文字ですら、イラ立つ使い方と楽しくなる使い方があるぐらいですからね。



 また、文体だけで、誰が書いた文章か分かってしまうようなところもあるじゃないですか。文体っていうのは学んで獲得するようなところもあるのかもしれないんですけれど、生まれつきの人間性みたいなものが出るとも言えるんじゃないですかね。





適菜:ネットの記事は最後に署名が入っていたりするじゃないですか。でも、最初の三行を読んだだけで髙橋洋一が書いたとわかることってありますよね。





中野:そうそう、最後まで読まなくても分かることありますね。やっぱり音楽なんかでもそうなんじゃないですか。小室哲哉が同じような曲ばっかつくっていたのと一緒でね。





適菜:あれはあれで逆にすごいですけどね。金太郎飴というか。文体が過剰で内容はなにもない。







中野:小林も書いてたし、私が引用したジョン・デューイも強調してましたけど、大事なのは、やっぱりリズムなんですよね。私、嬉しかったことがあって、ある批評家に「あなたの文章は、なんか律動があるね」と言われたことがあった。「律動は文学者にこそなきゃいけないのに、律動がない文学者はいっぱいいる。あなた文学者じゃないのに、なんか律動があるよ」とか言われて、「それは、そうかもな」と思った。文章のテンポとかって大事ですよね。適菜さんも非常に気を遣っていると思うけれど、改行や句読点の位置だけでも、中身の伝わり方も全然変わってきますからね。面白いものです。





適菜:気持ちの悪い音ってありますよね。発泡スチロールが擦れる音だったり。それと同じで、句読点や改行の問題もそうだし、同じ語尾が三つ重なると気持ちが悪いとか、生理的に感じるものはありますよね。つまり、文体こそが人間の生理であり、抽象的な概念ではないんですね。人間の生理から離れたものは信用できない。そこを突き詰めたのが小林だと思います。





中野:そういうことになりますね。





(続く)





著者紹介



中野 剛志(なかの たけし)



評論家



1971年、神奈川県生まれ。評論家。元京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治思想。96年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。01年に同大学院にて優等修士号、05年に博士号を取得。論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に『日本思想史新論』(ちくま新書、山本七平賞奨励賞受賞)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『日本の没落』(幻冬舎新書)、『日本経済学新論』(ちくま新書)、新刊に『小林秀雄の政治哲学』(文春新書)が絶賛発売中。『目からウロコが落ちる 奇跡の経済学教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)が日本一わかりやすいMMTの最良教科書としてベストセラーに。





適菜 収(てきな・おさむ)



作家



1975年山梨県生まれ。作家。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』、『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』、『小林秀雄の警告  近代はなぜ暴走したのか?」(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、中野剛志・中野信子との共著『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』(文春新書)、『安倍でもわかる政治思想入門』、清水忠史との共著『日本共産党政権奪取の条件』、『国賊論 安倍晋三と仲間たち』『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』(以上、KKベストセラーズ)、『ナショナリズムを理解できないバカ』(小学館)など著書40冊以上。購読者参加型メルマガ「適菜収のメールマガジン」も始動。https://foomii.com/00171





編集部おすすめ