いま日本全体が鬱状態だ。いや、世界中が鬱状態だとも言える。

もちろんコロナ禍の影響がある。それよりも近未来がどう考えても幸せに満ちたものになるとは思えないのだ。むしろ未来があまりに見通せない不安が増大している。『馬鹿ブス貧乏な私たちを待つろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください』(KKベストセラーズ、2020)がAmazon(フェミニズム部門)ランキングで第1位にもなった著者・藤森かよこ氏が提言するのは、「排他的極私的互恵的人間関係を作ろう」というもの。これはいったいどういうことなのか? 女性のみならず男性も必読の内容。





■婚姻も出産も減らしたコロナ禍

 



 新型コロナウイルス騒ぎは、変異株の出現もあり、まだまだおさまりそうもない。いろいろな種類の変異株のせいで、ワクチン接種も解決の決定打になるのかどうかわからない。とはいえ、とりあえず医療従事者以外の一般の国民への摂取も高齢者から始まった。 



 9都道府県の緊急事態宣言の解除期限は5月31日であったが、解除は6月20日まで延長されることが決まった。



◆緊急事態、6月20日まで延長へ 首相「予断許さない」 (msn.com) 



 緊急事態措置期間の飲食店や商店への休業補償は十分ではなく、2020年のときの給付金も今回は支給されない。



 失業した人々が雇用保険を給付されるための説明会は、地方でも大きなホールで開催され、参加者の70%は女性だと失業した知人から聞いた。経済危機が起きると、やはり女性の方が失業しやすい。



 5月26日の「日本経済新聞」朝刊の第一面には「少子化コロナで加速 昨年度出生数4.7%減」の活字が躍る。2021年の出生数は76万9千人まで落ち込むと予想される。出生数が80万人を下るのは、厚生労働省の統計をさかのぼれる1899年(明治32年)以来初めてとなる。



 大恐慌も天変地異も戦争の危機もありそうだ。近未来は確実に厳しいと予想される今の時代に、女性たちが子どもを出産することに危惧を感じるのは無理もない。



 しかし、私は、だからこそ、女性たちに家族でも疑似家族でもいいから、排他的極私的互恵的人間関係を持つことを勧める。すでに持っているのならば、それを保持し続けることを勧める。敢えて出産することも勧める。婚姻数はどんどん減っている現状ではあるが。



◆コロナ禍「結婚危機」深刻 戦後最悪レベル…昨年、10月まで13%減(1/2ページ) - 産経ニュース (sankei.com)







■家庭や家族の問題を丸投げされることに対する女の警戒心



 女たちが、家庭を持つことや家族を形成することに躊躇する気持ちはわかる。コロナ禍によって、未来への不安が増していることに加え、今の日本には家庭や家族に関連する問題が山積している。子ども虐待。

家庭内暴力。母子家庭の貧困化。老人介護。少子化による未来に確実に起きる国内経済の収縮。引きこもりは100万人超えている。孤独死孤立死の増加。自殺者の増加。



 かつては、家庭や家族に関連する問題への対処は女に丸投げされていた。今でも丸投げされる傾向が大きい。たとえば、口には出さずとも心の底でこう思っている男性は少なくないのではないか。





 子ども虐待? 母親が離婚後に、子どもの父親ではない男と結婚したり同棲すると子ども虐待は起きやすい。母親ならば子どもの養育を第一に考え、男のことは諦めろ。

生物学的な父親が実の子どもを虐待する場合は、母親ならば子どもの盾となり、父親が子どもに対して暴力をふるわないように工夫せよ。





 家庭内暴力? DV男は一種の知的障碍者であり、物の道理を言ってもわからないのだから、諦めて我慢しろ。男を刺激しないようにうまく扱え。怒らせるな。そんな男と結婚したのだから自己責任だ。





 母子家庭の貧困化? 母子家庭になって貧困に陥るのは離婚が主たる原因であり、かつ母親に定職がなく、頼れる親族もない場合だろう。ならば、母子の生活費を確保する見込みもないのに、なぜ離婚したのか。母子の生活費が確保できるようになるまで我慢して結婚を継続させよ。





 老人介護? 昔は女が我慢して、義両親や親の介護をしたものだ。老人の孤独死とか、離婚後の中年男の孤立死なんて、女が我慢して面倒みてやれば、そんなことは起きないのだ。





少子化? 生きがいでもあるし、自分の収入は確保したいから仕事を育児のために諦めることはできない? 子どもをきちんと育て上げることこそ女が社会に最も貢献できる道だ。いくばくかのカネのために育児の手を抜くと後悔するはめになる。

家計が苦しいから子どもはひとりしか産めない? 貧乏でも夫の給与内で生活せよ。昔の女はそうしながら、何人も子どもを産み育ててきた。



 



自殺者の増加? セイフティネットは、いつだって家庭だ。家族だ。特に母親だ。女だ。女が支えないと、いったい誰が支えるのか?



 



子どもの引きこもり? 3歳までに人間は決まってしまうと言われるではないか。もっと真剣に、しかし神経質にならずに、おおらかに、かつ細心に育児をせよ。スマホなど弄っていないで、もっと子どもにほんとうの関心を持て。3歳までに決まってしまうのだから。



 



 



 男性の本音は「女さえ我慢すれば問題はないのに・・・」だ。つまり、それだけ男たちや社会は女に依存してきた。

今でも、その依存度が激減しているわけではない。どこまで行っても、大多数の男にとっては、家庭や家族は女が責任を持つ領域である。自分もその領域の当事者であり、その領域の問題に対処する責任があるという自覚は、ほんとうにはない。だから、「家事を手伝う」とか「育児を手伝う」とか言ってしまう。家事も育児もしてあたりまえとは思っていない。





 依存され責任者とされる女からすれば、冗談ではない。女を生身の人間ではなく、プラスチックだろうが産業廃棄物だろうが汚染水だろうが何を垂れ流してもいい海だと無自覚にも前提している男の幼稚な無責任さに苛立つ。フランス語では海は女性名詞(la mer)であるが、今や本物の海だって汚染が限界を超え浄化できそうもないことが問題になっているのに。







■フェミニズムと福祉官僚の利害の一致

 



 大多数の男性の本音は、構成員に男性が多い政府や自治体の本音でもある。女さえ我慢して非人間的なほどの労苦を引き受ければ、福祉予算はかけなくてすむ。社会的コストはかからない。老人問題にせよ、子ども虐待問題にせよ、孤独死孤立死にせよ、引きこもり支援にせよ。



 しかし、遅々とした歩みだったかもしれないが、女だけが我慢しなくてもすむように、介護や虐待などの家庭や家族の問題に関する公的支援制度が整えられてきた。それらの支援が形式だけのものであり実質を伴わないことがあるのは、お役所仕事というものの常だからしかたがない。公務員にとっては、しょせんは他人事である。



 家庭や家族の問題に関する公的支援制度が整えられてきたのはフェミニストたちの功績である。しかしフェミニストたちの力だけでは、こうはならなかった。



 家庭や家族の領域の問題に公的機関が介入したり支援したり関与することは、税金のかかることではある。しかし、それらは役人の仕事を増やし、彼らの権限を高めるので、役人集団にとっては利益になる。役人集団にとっては自分たちの存在意義を確認し示威することができる。機能不全になっている家庭や家族の代替になれる施設や人材を確保するために補助金という税金をどのように配分するかについての実質的決定権を持つことができる。



 つまり、フェミニズム運動の目的と、それを利用して権限を拡大したい役人の利害が一致した。だからこそ、女だけが我慢しなくてもすむように、女に家族問題を丸投げしないように、制度が整えられてきた。



 家庭や家族の領域の問題に公的機関が介入したり支援したり関与するシステムの整備と充実は、役人にとって権限拡大という利益をもたらすだけではない。役人組織の上位にある支配層にとっても大いに利益がある。





■家族という互恵集団が機能不全になれば個人は公的機関の管理下に置かれる



 



 権力者共同謀議論的観点から見れば、家庭や家族の領域の問題の解決に公的機関が介入したり支援したり関与することは、個人をして公的機関への依存を一層に促すという意味で、支配層にとっては人民支配管理の有効な手段になる。



 個人は(機能している)家庭という場を持ち家族に属することによって精神の安定を得たり、情緒的に満たされたりする。と同時に人間が生きて行くためには、人間どうしの助け合い(互恵)が必要だと学んでいく。家庭や家族というセイフティネットがあることによって、生きていく過程で遭遇する困難にも対処しやすくなる。



 家庭や家族の領域の問題の解決に公的機関が介入したり支援したり関与すればするほど、人間は家庭という場を自分の力で保持し家族集団を支えようとはしなくなる。家庭や家族に対して無責任になる。



 女は自分に丸投げされるのはかなわないので公的機関に丸投げする。男は女に丸投げできないのならば、公的機関に丸投げする。公的支援について無知な場合は、女も男も逃げる。そうなると、問題の処理はいやおうもなく公的機関に託される。



 自分の私的個人的領域に起きる問題を公的機関に託すというのは、公的機関の管理下に「直接的に」置かれるということだ。公的機関に自らの生殺与奪権を握られるということだ。人々が、自分の私的個人的領域の家族集団に責任を持たず、寄る辺のないバラバラな個人になれば、頼るもののない個人は「お上」に頼るしかなくなる。そんな人々は「お上」からすれば非常に扱いやすくなる。そんな人々は乳(税金)だけ吸い上げればいい牛(人畜)と同じだ。



 しかし、公的支援は公的支援でしかない。寄る辺のないバラバラな個人の空腹はかろうじて満たせても、心の飢えや渇きまでは満たせない。人間には、排他的な関心を自分に向けてくれる人間関係や絆を信じさせてくれる濃密な人間関係が必要だ。そのような排他的極私的互恵的人間関係が人間には必要だ。



 もしくは、そのような人間関係を持っていたという確かな体験や記憶が必要だ。通常は、それは家族かもしれないが、疑似家族でも結社でもいいのだ、排他的極私的互恵的人間関係ならば。家族でなくてもいい。家族的関係ならば。



 旧ソ連では、家庭や家族が持ちがちな女性への抑圧から女性を解放するという善意の実践だったのか、家庭や家族は私有財産制維持装置であり共産主義の敵であるという認識からか、もしくは人民支配は私的領域からという支配者の深謀遠慮のためか、子どもの集団養育や家庭や家族の機能の集団化が試みられた。しかし、今ではその弊害の方が多かったことが指摘されている。



◆ソ連の「フリー・ラブ」実験の失敗(1) (epochtimes.jp)



◆ソ連の「フリー・ラブ」実験の失敗(2) (epochtimes.jp)





 イスラエルのキブツ(私有を否定し、生産消費活動や教育を共同で行う農業共同体)においても乳児期初期からの集団養育が試みられたが、子どもに愛着障害が起きて、やはり子どもの養育には特定の養育者との排他的絆が不可欠であるという結論にいたった。



◆愛着障害について | 森田理論学習のすすめ - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)





 人間存在に関することは理論どおりには行かない。いかに開かれた平等で公正な人間関係の実現を求めても、人間個人の心の深層は、自分を排他的に特別に愛し永続的な関心を持ってくれる特別な存在を必要とする。それが「母なるもの」だし、家族である。血縁関係かどうかではなく、「自分を排他的に特別に愛し永続的な関心を持ってくれる特別な存在」が必要なのだ。







■厳しい時代になればなるほど人間には家族や家族的関係が必要



 コロナ禍を契機に一層に世界は不安定化しつつある。そのような厳しい近未来が待っているからこそ、私は、女性たちに敢えて排他的極私的互恵的人間関係である家族や家族的関係を保持することや形成することを勧める。



 女が排他的極私的互恵的人間関係を形成しようと結婚する場合、婚姻相手の男は、無意識に家庭や家族などは女が責任を持つ領域であると前提しているので、家庭や家族に問題が生じたら、その問題への対処が自分に丸投げされる可能性は高い。それはあらかじめ承知しておこう。



 「承知しておこう」と私が書くのは、唯々諾々と自己犠牲することを意味していない。どのみち、あなたの家庭や家族に問題があるのならば、あなたは当事者なのだから、その問題に対処するのはあたりまえのことなのだから、粛々と対処すればいいだけのことだ。対処に失敗しても、大局的にはどうということはない。一国が滅びるとかの類の問題ではないので、反省し謝り、またやり直せばいい。



 男性のみなさんへ。あなたが無意識に家庭や家族などは女が責任を持つ領域であると前提して、私的領域ではいつまでも子どもをやっていたい気持ちはわかるが、せめて、自分がそういう存在であると自覚して、私的領域での責任者を引き受けてくれる女性への感謝はちゃんと表現することを勧める。



 ゆめゆめ、そんなことは当然だなどという態度は採らないように。離婚すると、社会的にも孤立して孤独死しやすいのは男のほうだ。この事実は、(女が責任を引き受ける)排他的極私的互恵的人間関係の恩恵を男の方が受けているということを示唆している。



 女も男もLGBTQも弱い。弱い者が結束しないで、どうするのか。ましてや、何の後ろ盾もない庶民が結束しないで、どうするのか。結束のしかたを学ぶのも、家庭においてであり、家族との関係をとおしてである。



 公的機関ができることは、良くて、あなたを飢えさせずに生きながらえさせることだけである。あなたが、あたかも保護され管理される人畜であるかのように。あなたの心の飢えや渇きは、あなたにとって特別な人々や、あなたを特別な人と思ってくれる人々と共に生きることをとおして癒される。



 そんなことは、あまりにあたりまえなことで言うまでもないこと? そうだろうか。私は、最近の日本人の排他的極私的互恵的人間関係形成力が弱くなっているような気がしてしまうのだが。



 排他的極私的互恵的人間関係形成にはリスクが伴う。リスクを嫌う日本人の多くは、ならば独りでいるほうがマシだと思う。しかし、ここはあえて蛮勇をふるうべきだと私は思う。





文:藤森かよこ



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