コロナ禍で少子化が10年進んだと言われるなかで、結婚相手を求める男女は増えているようだ。実際に婚活アプリなどの利用者は男女ともに増加傾向にある。
■ベッドで泣かれる
元女優のマイさんと華道の先生のユキコさんはその後も連絡をくれた。2週間に1度くらいのペースで食事もした。アルコールが入ると、彼女たちは微妙に淫らな雰囲気になるが、それ以上の進展はなかった。
察するところ、二人とも婚活で知り合ったほかの男性とも同時進行で会っている。しかし、それはこちらも同じなのでしかたがない。
「今日、お泊まりしちゃいまちゅかあ?」
代官山で3度目の食事の後、マイさんが言いだした。
「いいの?」
彼女の自宅は池尻大橋。田園都市線で渋谷から1つ目の駅の近くだ。部屋でオスメス2匹のトイプードルを飼っているらしく、それを理由にいつも早めに帰っていた。
「ケンちゃんたち、今日お留守番できるようにご飯とお水を置いてきたの」
ケンちゃんというのは10歳のオスのトイプードルだ。メスのほうは2歳で、ミミちゃんというらしい。
すぐに部屋を予約した。渋谷の国道246沿いの、かつて結婚相談所の仕切りでサキさんとお見合いをした高層ホテルだ。タクシーをひろえば、10分かからない。彼女は気まぐれだ。気持ちが変わらないうちにチェックインしたい。
「今日、マイちゃんとすることになるとは思いまちぇんでしたかあ?」
そう言って、部屋に入るなり首に腕をからめてくる。
元女優だけあって、顔は美しい。細身の体形もしっかり維持している。本もよく読んでいるし、映画や演劇や音楽など、カルチャーにも詳しい。聡明だ。
マイさんの後にバスルームを使い部屋に戻る。間接照明の薄明りの中で、白いバスローブをまとったマイさんが立っていた。
「じゃーん!」
大げさにバスローブを脱ぐ。小さな淡いピンクの下着をつけていた。
「かわいいでしょ?」
抱きついてくる。こちらの下半身はすでに準備ができている。そのままベッドに倒れ込んだ。こういう行為をしたからといって、そのまま結婚というわけではないだろう。自分に言い聞かせる。
十分に時間をかけて、おたがいを確かめ合う。いい感じだ。
あらためて顔を見ると、閉じた目が涙で濡れている。
なぜだ? 涙の理由を知るすべはない。聞ける雰囲気でもない。
気づかないふりをして、先に進もうとした。しかし、鼻をすする音はやまない。
「大丈夫?」
つい聞いてしまった。
「うん……」
マイさんはうなずくけれど、涙はとまらない。
自分のものが活力を失っていくのがわかる。必死にエロなことを考えて、取り戻そうとした。しかし、ダメだった。やがてナカオレした。
「今日はやめようか?」
そう言うしかなかった。
「うん。ごめんね……」
しばらく無言の時間を過ごした。
「マイちゃん、帰るね」
マイさんは起き上がり、服をつけて、部屋を出ていってしまった。僕は全裸のまま、ベッドから見送った。
■行為中に犬に尻をなめられる
ベッドサイドの電話のコール音で目が覚めた。時計を見ると深夜の1時半だ。30分くらいうとうとしたようだ。誰だろう? ベッドのかたわらの受話器をとる。
「なんで眠っちゃうの!」
いきなり怒鳴られた。マイさんの声だ。
「はあ……」
状況がすぐには理解できない。
「何度もスマホに電話しているのに!」
「そうなの……?」
スマホを確認すると、確かに5回、着信があった。
記憶が少しずつよみがえってくる。マイさんとホテルに入ったものの、いざというときに彼女が泣きだして、帰られてしまったのだ。
彼女は帰宅して、すぐに電話しているらしい。僕がスマホにでないので、ホテルにかけたのだ。
「さっき、マイちゃん、泣いちゃったでしょ?」
「うん」
「それで帰ったでしょ?」
「うん」
「それで、マイちゃんがいなくなったら、すぐ眠っちゃったわけ?」
「気づいたら眠っていた」
「よく眠れるよね? マイちゃん、大丈夫かな、って心配じゃなかったわけ? ふつうは気になって電話くれるでしょ!」
「ごめんなさい」
謝るしか、対応が思いつかなかった。まだ僕の脳は覚醒していない。とにかくこの場を収めたい。
「来て!」
「えっ?」
「今からマイちゃんのうちに来て!」
彼女の家は渋谷からはすぐだ。深夜だから、タクシーで5分もかからないだろう。でも、眠りたい。
「今、眠りたいと思ったでしょ?」
するどい。
「来て!」
彼女は早口で住所を言った。僕に選択肢はなさそうだ。電話を切っても、何度もかけてくるだろう。スマホも合わせて、すでに6回目のコールなのだ。
覚悟を決めてホテルを出て、10分後にはマイさんの部屋のインタフォンを押していた。
部屋に入るなり、犬が鳴き始めた。トイプードルのケンちゃんとミミちゃんだ。オスのケンちゃんは深夜の見知らぬ侵入者を警戒し、離れたところでうなっている。メスのミミちゃんは歓迎して、しっぽを高速で振りながらまとわりついてくる。
「こーら、ミミちゃん、おとなしくしてなさあーい」
マイさんは犬をあやし、ケンちゃんのほうを抱いて奥へ引っ込んでしまった。僕はしかたがなく、低くしゃがんで、残されたミミちゃんと戯れる。ミミちゃんが僕の手の甲をペロペロ舐める。
「じゃーん!」
マイさんが再び現れた。ホテルのときと同じ下着をつけている。
「さあ、続きをやりまちょうね」
電話で激怒していた同じ人間とは思えない満面の笑みだ。
そのとき、にわかにアンモニア臭が鼻をついた。足もとを見るとフローリングに小さな水たまりができている。ミミちゃんがウレションをしたのだ。
「この環境で、エッチなことをするのでしょうか?」
マイさんに確認をする。
「ちょっと待ってて!」
そう言うと、彼女は手際よく水たまりを処理し、ミミちゃんもケージに入れた。犬は素直にケージに入った。しつけはできているようだ。でも、まだクークー鳴いている。かすかにアンモニア臭は残っている。エッチな気持ちになどなれない。
マイさんはそんなことはおかまいなしで、自分の下着をとり、母親が幼児の世話をするように僕の服も脱がせ、ベッドへ誘う。
やるのか? ほんとうにここでやるのか?
しかし、この状況から逃げるのは困難だ。幸い犬の鳴き声は小さくなってきた。僕がいる状況に慣れたのだろう。もうやぶれかぶれだ。頭の中で必死にエロティックなことを考え、自分を奮い立たせる。57歳になり、復活に時間がかかるようになった。それでもあきらめず、過去のエロい体験を記憶からたぐり寄せる。
ちょっと元気になってきた。タイミングを逸すると自分の復活はないと思い、一気に突撃する。よし、いい感じだ。
うん? そのとき、僕の尻に温かくざらざらと湿った何かがペタペタペタと触れた。なんだ? ふり向くと、ケージから脱走したミミちゃんが、しっぽを振りながら、僕の尻をなめていた。
マイさんの部屋を出ると、東の空が白々と明けてきた。僕は一度ホテルに戻り、チェックアウト時間まで睡眠をむさぼった。
(第5回「華道の先生、ユキコさんとのその後」につづく)
※石神賢介著『57歳で婚活したらすごかった』(新潮新書)から本文一部抜粋して構成